2009年02月13日(金)07:48
晴れのち雨、らしい。

今朝、ゴミ出しに外に出てみたらすごい風。どうやら南風らしく、冬の冷たさはなく気持ちのいい風だった。目覚ましテレビの天気予報では今日20度にもなるらしく、すっかり春の陽気だよなあと。でも昼から雨らしい。出勤時には雨降らないでほしいけどなあ。もちろん仕事終わって買い物して帰る時にも。

昨日も午前中は旦那と録画していたアニメをけっこう見た。いつものしゅごキャラと絶対可憐を。やっと12月頃の放映に突入した。お昼には実家からもらったうどんをゆでて食べて、旦那は1時頃から仮眠に入り、3時過ぎに夕飯の買出しに出かける。その時に実家に寄ってもらって、ボンタンもらって帰る。ああ、こんなにもらっちゃったよ。ババさまに持って行かなくちゃなあ。それから買い物して戻ってからも旦那はまた仮眠に入り、6時過ぎにまた起きてご飯食べ、また7時半まで一眠り。その間に息子に風呂入らせて、7時半に風呂に入って、8時過ぎには出勤していかれました。今日はお昼頃に戻るはず。今日は6時に起こすのか、たぶん。今日もまた5時で帰らなくてはね。




さて、昨日も書いたことではあるんだけど、友達が「私を殺したければ殺せ。だが、己も死ぬ覚悟で殺しに来い」って以前日記に書いていたってやつ。たまたま2004年の6月3日の日記を読み返していたら、そのことが書かれてあった。

友達は、自分もいつか殺される時がくるかもしれないと思っていて、もし自分を殺すのならその覚悟でこいって。その覚悟というのが捕まったら『私は罪を犯した。だがヤツを殺したことを後悔はしない。さあ、死刑にかけてくれたまえ』って言えということを書いていたんだった。これって死ぬ覚悟なしで自分を殺すなって言ってることと同じだよね。それくらいの覚悟がなきゃ他人を殺すなってこと。私はこれに共感したんだ。さすが私の好きになった人だって。(笑)



でまあ、他人の書いたもので自分語りは自重するなんて言ってたけれど、やはり「書きたい!」って思うものはあるんだよなあ。(笑)
でもこれもね、昨日わっさーにも書いたけれど、夕方近く、もうそろそろ旦那を起こさなくちゃならないって時に、執筆の神様が舞い降りてきたらしくて(爆)、鋼の乙女の続きをガシガシ書き出したことで、小説執筆への焦りが薄らいだというのもあり、さて書こうかとなったってことなんだけど。

またしても前振りが言い訳っぽい。(笑)

「人生を変える「物語」は、「泣ける話」でも「いい話」でも「感動できる話」でも「人を幸せにする話」でもなくて、「人を狂わせる物語」だ。 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」

23mmさんのこの記事、書かれていることには同意できることなんだけど、タイトルだけ突っ込みいれると、それは違うでしょうと思ったってこと。つまりはね、どんな話だろうが、人生が変われば、その「物語」は人生を変えたってことなんだよって。彼が「おもしろくなかった」と言っていたその物語だって、少なくとも彼を変えることはできないだろうけれど、誰か他の人の人生を変えることだってあると思う。
まあ、彼としては、いい話で前向きになるってことは人生が変わったということじゃないとは言ってるんで、人生が変わるっていうことの定義が違うんだろうなとは思う。確かに、私も彼の言うようにいい方向に変わるではなく、人生が狂ってしまうこと、つまり悪い方向に変わってしまうことが人生を変えてしまうということもわかる。けれど、人生が変わるっていうことをそんなふうに一定方向だけに決めてしまうのも乱暴な話だよなあ。「そうあるべき」という意思が感じられてしまって、つまりは押し付けだよな、と。まあ押し付けているつもりはないんだろうけどね。自分はこう思うんだって、ただ提示しているだけなんだろうから。

『「人生を変える力を持った表現」は、けっして人を幸福にするようなもんじゃない。衝撃を与えて、狂わせてしまうもの。今この手の中にある幸福なんて要らねぇ、そう思わせるもの。いや、幸福とか不幸なんてどうでもいいから、とにかく「やらなくちゃ」と思わせるもの、なんです。

その結果、悲惨なことになってしまっても、それはしょうがない。それが「人生」なんだもの、ってか。でもでも、「いい話」に錯覚させられて、錯覚していることにすら気付かないでいるよりは面白い人生だと思うし、楽しい人生なんじゃないでしょうか。不幸かもしれないけど。』

幸福にするもんじゃないと彼は言う。けれど、狂わされた人は不幸だなんて思っていないと思うよ。幸福とか不幸なんてどうでもいいって思ってるわけだから、それを見て他人が「こいつ不幸に飛び込んでるよ」と思うことも、思っちゃダメではないけれど、でも思うことはその人に対して失礼なことだよなあと思う。俺の人生おまえらに口出しされたくねえって思ってるんじゃないかとも思うし。ま、これも私の想像でしかないんだけどね。どんなふうに思われても関係ない、好きに思ってくれって思ってるかもしれないしね。

さて、私のことだけど。

私もまた人生というか、たぶんこんなふうに変わってしまうことは子供の頃に想像もできなかっただろうと思う。旦那を選んだ時とか、ガクトさんという人を知った時とか。その都度、私は彼らに変えられてきた。彼らと接しなければ、私はこんなふうに行動することは絶対になかっただろうという変わり方。それは狂わされたこととは違う。いい方向に変わっていったということで、23mmさんの定義することとは違うんだけどね。でも、私は間違いなく旦那やガクトさんに変えられたと、人生を変えてもらったと思っているよ。

結婚なんて絶対しないと思っていた私を結婚させたこととか。
ライヴなんてもの絶対行かないと思ってた私を引きずり出したこととか。

昔の私なら絶対にそうはしないだろうということを私にさせるように変えていった彼ら。私は心から尊敬している。人として彼らを心から愛しているということ。そして、もう書かないと言っていた私に書かせた23mmさんも彼らと同じ存在だ。

それにしても蛇足なんですけど、今気が付いたこと。23mmさんのこの記事、ガクトさんのバースデーの日に書かれていた。こういうちょっとしたことでも運命だわ〜と感じてしまう私って、ほんっとおバカさん。(笑)

それともうひとつ。23mmさんのこの記事でもうひとつ自分語りをしたくなったけど、さすがに今日はもう時間がなくなった。明日、書ければ書きたいと思う。




画像提供サイト/Pearl Box

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