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Little Eden



10月3日日曜日

ようやく「緋の稜線」全25巻を読破した。
何度も何度も泣いて読みました。
こんな作品を見るたびに、私は自分がなんて小さいのだろうって思ってしまいます。
こんなすごい物を書く人がいるんだ。
私にこんなすばらしい物が書けるんだろうか、と、打ちひしがれてしまいそうになる。
書きたいものがたくさんあっても、それをいかにいかして人に伝えることができるのか、それはわからない。
たとえ上手に文章を書けたとしても、それだけではみんなの共感や感動を受けるとは限らない。
やったらやったぶんだけ、努力したら努力した分だけ、実になるとは限らないんだ、この世界は。
そして、私のような、人と繋がりを持とうとしない人間には、小さいものしか作り出せないんだってこともよくわかってる。
そういう人で世に出る人は、本当に才能ある人だけだってことも。
いったい何度、挫折を感じ、涙を流し続けなければならないのだろう。
こんなにも作家になりたいと思っているのに。
こんなにも誰かに認めてもらいたいと思っているのに。
人と違う生き方をしたいと願った時から、こんなふうに辛い想いを抱いて生きていかなければならないだろうってことはよくわかってたはずなのに。時々、すごく何もかも投げ出したくなる。
こんな気持ちになるのは、この本のように凄すぎる作品に接した時。
いつまでたっても私では一本立ちしていけないんだって思い知らされるから。
それでも今日、また新聞の詩壇に「彼方からの手紙」が載ってくれて、嬉しかった。
こんなふうにまた続けて詩が載ってくれたらいなあ。
だって、それは私の詩を認めてもらえたってことだもの。
ああ、私の小説はいつになったら認めてもらえるのだろう。

やったらやったぶんだけ、努力したら努力したぶんだけ、実になるとは限らないっていうのはある意味では本当だし、でも、だからといってそれをしなかったらいいというもんでもない。やるべきだし、努力もするべきで、それは基本的なこと。実になるかどうかはその先で決まるんだよね。そこらへんはき違えて努力しないっていうのは間違いなんだってことは今の私にはわかる。で、その上で、私は努力することが大嫌いだから、やっぱり私には作家になることは無理なんだと思う。努力しないで作家になれる才能は私にはないのだから。本気で作家になるには、私はまず努力しないといけないわけだもの。

確かに私は認められたくて小説を書いていた。認められて作家になることで、日常的なものから逃れたいという気持ちもあったし、誰それを見返したいという気持ちも持っていたから。だから、私は小説というもので成功したいと思った。それ以外では見返す事柄が私にはなかったからね。けれど、私は小説は好きだから書いてたというわけではなく、だからこそ、書き続けることはできなかった。好きであれば書き続けられたわけだから、私は書くことは好きなんじゃない、私は私が読みたいと思うものを他に見つけられなかったら自分で書いていたというだけ。つまり、私は誰かに何かを伝えたくて書いていたわけではないのだ。私は自分のためだけに書いていたのだ。それに気づいた時、少なからずショックは受けたけど、妙に納得もした。そうか、そうだったのか、と。で、それを踏まえ上で、私は改めて自分のために書いていこうかなと思った。それであれば無理して書くこともないだろうから。






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