画像提供サイト
Little Eden



7月18日日曜日

昨日、錬司さんの会社のヒシモトさんからTELがあって、何事かと思いきや、娘さんのお二方が何だか探してるマンガがあるけれど、知らないかーということだった。
結局、羽原よしかづという人の「我が光と君よなれ」っていうやつで、ちょっくら聞いたこともないもんだった。
そしたら、他にも何かないかなーっていうことで、おじゃまさしてくれ、と言うんで来てもらった。
イヤー、おねいちゃんの方とはばっちしシュミが合致しちゃって、帰る頃には盛り上がって話がはずんでしまいました。
妹ちゃんの方も、ゼロスが好きだということで話は合うし…。
ああ、いつの時代も中学生の女の子って、私と同じ道を歩んでる子がいるんだわー、って、なんかとっても感動してしまった。
ひとりじゃないっていうことがこんなに嬉しい事だとは思わんかった。
こんなに遠く離れてなけりゃ(安来だからなー)毎日でも本読みにきてもらってもいーのに、さ。ここは宝の山だゾいっ!
さて、例のごとく、クノさんとこの旦那さんから、昨日、夜TELがきたんだけど、16日の拡大執行部会は28日だかになんか講演会があって、それに行かんかーっていう話だったらしい。
いつもすみませんです。って謝るくらいなら出れってか?
こんないやな気持ち持つくらいなら、もーどんなに非難されよーが、絶対役員はやらん。
私は小説だけを書いていきたいの。
誰がなんと言おうと、お話のことだけ考えていきたいの。
それを胸はって大声で言えたら、どんなにいいだろう。
子供のことは?無責任じゃない?って?
だって、私は虐待するつもりはないし、もちろん、してないつもりだし。
すべて投げ打ってるわけじゃないよ。
最低限して、その上で小説書かせてもらってんだから、とやかく言われる筋合いはない!!
私の心の重荷になんかなるんじゃねー、すべて!!みんな!!

ほんとーならこれ以上は書かないんだけど、書かずにはいられない出来事が起きてしまった。
それは、カナを寝かしつけてる最中にかかってきた一本の電話の内容である。
私は出れないので錬司さんが出た。
ホッタくんからだった。(あとで聞いたら、アライくんからだったということ)
なんと、10月11日に式の日取りを決めてたはずの彼、破談になってしまったそうな。
私、もー呆然!なんでー?ってまあ、確かに去年話を聞いてから、ムズカシそうな感じではあったけれどねー。
恐らく、やっぱり家族のことなんだろーなー。
だって、互いに好きあってるはずだったもの。
悲しすぎるよ。好き合ってるのに結ばれないなんて。
詳しいことはそりゃ私にはわかんないけれど、家族を捨ててまでホッタくんと一緒にっていう強い決意は持てなかったのだろーか。だとしたら、ほんとに男と女の間って難しいよね。
私、ホッタくんには(彼に限らずだけど)幸せになってほしいなーって思ってるから、ほんとに自分のことのように今回のことは辛いよ。
元気出してほしいな。あーあ、なんてこったい!!

えーと。破談になったという話、まったく覚えてなかった。彼はいつだったか結婚して今は幸せに暮らしているはずだから。あれー、今の奥さんってこの時の人だったんじゃなかったっけ。あれれ。どうだったっけ。この後、より戻したんだっけ。うーん。やっぱり覚えてないなー。そのうち日記に出てくるかな。これからの日記に。

それにしても、昨日(2013年1/18)にも書いた芥川賞受賞した女性のこと。調べてみるまではどういった経歴の持ち主かわからなかったんだけど、5歳から物語書いて70年、ほとんど大きな賞を取ったことはなかったみたい。何度か投稿はしたらしいんだけど、あまり認められなかったらしい。それで30代の時に投稿はやめたらしい。ところが去年、早稲田文学新人賞に期待をして投稿して受賞、それが今回の芥川賞に選ばれたんだそうな。つまり、初めて認められた作品がそのまま芥川賞に繋がったという、なんか、こういう話聞くと、自分もあきらめなければ…と淡い期待感を抱いてしまうよねえ。

確かに、自分の作風やその文学賞との相性とか、そういったものを見て投稿先を決めるというのも大事なんだというのもわかる。私が入選したことのある賞のことを考えれば、私もそういった傾向の文学賞に応募すればあるいは…となるわけだし。ただ、私は自分の書きたいと思うものだけを書きたいから、投稿先のカラーに合わせたものを書くというのが苦痛になってきたわけだ。私が本来好きで書くようなものは、毎年投稿してるところには合わない。絶対に選ばれないことは間違いないわけで。やっぱ、私は75歳になっても有名な賞は取れないんじゃないかな。てゆーか、その年まで生きてる自信はない。






inserted by FC2 system