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Little Eden



2月27日木曜日

昨日26日は、とうとう職業安定所に行ってきた。
まだ勤めることに実感がわかないが、カナを保育所に通わせるためには確かにどこかに行かなきゃならない。その事はどうしようもないことなので、イヤがってもいられないわけで、そこには私の気持ちは無視されなければならない。
つらいことだけど、他人に言わせれば甘ったれんな!だろうな。
錬司さんについてきてもらってよかったことは、受付にいって「失業給付の手続きに来たんですけど」と言ったら、離職票などの提示を求められ、更に求職票の記入やら離職した理由を記入する用紙やらにいろいろ記入しなければならない時、希望する職種をコンピュータ・オペレーターにしたらよい、と言われて、確かに今までやってきたキーパンチャーのような仕事ならやってもいいな、と思ってるので書いたけれど、オペレーターなんて言葉、きっと出てこなかったと思う。
それらを書いて提示して待ってて、今度は職業相談の窓口で呼ばれて記入した事の質問に、更に詳しく説明を求められ、離職した理由、義母が保育所の迎えができなくなったこと、希望する職種に、今までキーパンチャーをしてたので、そういうのがいいこと、時間は短めに、近くにあれば、とか、ワープロはどうですか、と言われ、精通してるわけではないけれど、やろうと思えばできる、ことなど説明した。
でもねえ、また待たされて、今度は受付で同じ事聞かれて、同じ事答えた。もうガクガクよ。私の精神なんとかもったみたい。
でも、どうして私ってこんななんだろうねえ。
一番したいことは小説を書いていくことだけど、これも他人に認めてもらえないと、やっていけるわけないし、自分は売れなくてもいい、と思ってても、やとって、というか、売り出してくださる所はそれでは困るんだろうし。だけど、今の私の力量では、確かに難しいだろうしなあ。ああ、気持ちが追い詰められていく。
この世に私をつなぎとめてるのは、本と音楽と恐怖(死への)だろう。あ、映画もね。それと、錬司さんの言った「あったかくなったらどっかにドライブに行こう」だろう。
しかし、生きていくのは本当につらい。それは私だけではなく、すべての人々に言えることではある。
そういうことを表に出さずに生きていく人々は、ほんとにすごいなと思う。
13年前、同じようにつらかった。なぜ私は同じつらさから逃れることができないのだろう。
あの時は、とにかくイヤなことから逃げようと心を閉ざしてた。今だってそうしたい。
でも、カナの事を考えるとそれはできない。
子供なんていないほうがよかった。いたおかげで強くなった事もあったし、よかったこともあるけれど、今のままの私なら子供のためにもよくないし、子供を排除したいって一時的に突っ走ってしまいそうになって、ショックを受けることがある。
気が狂うことはないと思うが、狂いそうになることがある。
考えてしまうのがいけないのかなあ。
とにかく今は小説に専念しよう。
それしかない!!

まあ、今思うと、その狂いそうなくらいの苦しみのおかげで奨励賞をもらった小説が出来上がったわけだ。どうしても認められる小説っていうのはそういう血反吐を吐く思いの中でしか生まれないものなのかなあ。なんとなく納得できない。好きに楽しく書いているものでも認められたいよ。そういうの認められる作家だっているのになあ。私はどうしてそういうのではダメなんだろう。どうしてもそう思ってしまう。だから、結局は疲れてしまって、書きたくなくなるのかもしれない。






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