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Little Eden



2月13日木曜日

スティーブン・スピルバーグは「ジョーズ」とか「ET」とか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とか、エンターテイメントとしては最高だったし、アカデミー賞だっけ、オスカーだっけ、ノミネートされても選ばれることなくてもいいじゃん、なんで取ろうとするの、そのために意図して作られた、なんて噂されてたこの「シンドラーのリスト」だったので、んー、と思っていたけれど、私もミーハーなものなんで、話題の映画なのでちょっと話のネタにもなるしってことで、正月にTVでやってたのを録画したのがあったので、テープもなくなってきたことだしって、そんな軽い気持ちで今回見ました。
はっきり言って泣きました。人と一緒に見れないよな、これは。
正直言って、これは卑怯だな、と思った。
この題材は絶対、人々の胸を打つに決まってる内容だもの。
と、同時に、こんなに生々しくユダヤ人の迫害を、たとえドキュメンタリーでも、ここまで忠実に描いたものはなかったし、できなかっただろう。
それをあえてやってみせた、スピルバーグはやっぱり凄い奴だって再認識した。
「シンドラーのリスト」の意味がこれを見てようやくわかった。
主人公オスカー・シンドラーの救った1200人の名簿のことを「シンドラーのリスト」というのだということを。
そして、本当にあったことなのだ、これは。シンドラーに救われたユダヤ人の多くはまだ生きているのだから、彼らの体験をもとにして作られているから、今見た映画のほとんどは、まったく本当にあったことなのだ。
私はこれに弱い。そして、あの、アンネ・フランクも、あそこにいたら救ってもらえただろうか、と考えずにはいられない。
しかし、たったの1200人だったのだ。ユダヤ人が解放される時、シンドラーの叫んだ「この車があれば、もう10人は救えたかもしれないのに、このバッチで2人は、いや1人でも救えたかもしれないのに、私はいったい何をしていたんだ!」と。たぶん、それは確かにそうなんだろう。きっともっと救えたに違いないと思う。
でも、ユダヤ人たちから贈られた指輪に彫られた「一人を救う人は多勢を救うことになる」(あれ?ちょっと違うような気がするけど)というのももっともな言葉だよね。
結局、1200人救うことで、シンドラーは現在生きてるユダヤ人の中の6000人は救ったことになるわけである。
600万人のユダヤ人が虐殺された千分の一にしか過ぎないけれど、助かるはずのなかった人々が生きることを許されたわけなのだから、これを神の采配と言わずとして何と言おう。
まったく、運というのはいったい何なのだろうと思う。同じ時、同じ場所にいて、助かる人とそうでない人との差はいったい何なのだろう。
私はそれが知りたいと思う。
それは、自分も生き続けたいと思うからこそだけど、何よりもやっぱり真実、真理を知りたいから。
まったくの蛇足だけど、裸にされたユダヤ人たちが出てきたけれど、モザイクがなかったよ。名作だからいいのかな?ま、大人(といえるの?)の私はなんとも思わないけどさ。

で、いったい私はなにしてるのさって、問いかけたいね。

ユダヤ人の虐殺と震災による死亡とはまったく違うよね。たとえ、その二つの死をまぬかれた人たちは「運が良かった」ことで助かったことは同じだとしても。だって、虐殺のほうは殺す側の人間がいるわけだし、震災は殺す相手が人間ではなく自然だから。どちらが公平であるかは明らかだ。たとえば、殺す相手にかつて酷いことをされて憎んでいてそれを殺すのだというのには同情できないわけでもない。もちろん、だからといって殺していいというわけではないけど。ただ、殺す相手が憎んでいた誰かと同じ種族だからというだけで殺すのは私にはどうも納得はできない。確かに、私も関西弁の人が酷い人だったから、関西弁の人すべてに嫌いな気持ちを向けた過去があるし、ユダヤ人を迫害したのがドイツ人だったと聞いて、しばらくドイツ人を嫌ったこともあったんだけど、それらは違うんだっていうことに気づいてからは、そういう嫌い方はしなくなった。嫌うのならその本人だけを、と。そういうことが当たり前になっていけば、あんな酷い虐殺なんて起きないし、国籍で相手を嫌うっていうのもなくなるんじゃないかなあとは思ってはいるけど、なかなか難しいことでもある。国と国の間のことはねえ、ほんと難しい。






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