正社員だったクワガキさんは事務から売場に移動になったんだよね。そりゃもう私も売場に移動も時間の問題だと思ったものだったしなあ。 汽車で話しかけられたことはよく覚えてる。どんなおじさんだったかまったく覚えてはないけれど、手の事をほめられたことは覚えてるし。今はもうそれなりに年食った手になってしまったけど、私の手は自慢の手だった。すーっと長い指に白魚のような白さで、確かに「お嬢様」って感じの手だったから。それは自他とも認めるものだったし。それを私の息子は受け継いでいる。だから、息子の手を見ると、昔の私の手にそっくりだなーと思う。私は子供の頃からピアノを習ってて、その手でピアノを弾くのは優越感に浸れたものだったし。まあ、息子はそういうのには興味持ってくれなかったけれどね。でも、習わせたら興味持ったかもしれないとは思う。ただ、ピアノのレッスンはお金かかるから、とてもじゃないけど習わせる余裕はなかったなあ。私の時は母が私を将来保母さんにしたかったからというのもあってピアノを習わせてくれたんだけどね。息子自体が強く習いたいと言えば考えたけれど、そんなふうにもならなかったし。もっとも、うちにはお金ないっていうのは本人もわかってたから、それで言い出せなかったというのもあるかもしれない。まあ、すべてはただの推測でしかないのだけど。 それにしても。本当は息子の名前には中学の時に好きだった、転校してしまった人の名前をつけたいとは思ってた。昔から。大人になって自分の子供が男の子だったらその名前つけようって。ただ、錬司さんの名字とその名前とを組み合わせたら、ちょっとゴロが良すぎて変な感じなもんで、つけることができなかったんだよね。で、それと似たようなゴロの良さになってしまったのが義弟の子供さんの名前。でも、今思うと、そのゴロの良さってそんなに違和感ないかなあって。まあでも、私の息子の名前は今では最高にいい名前だなあって、名前つけた私自身で自画自賛してるんだけどさ。(笑) | ||