画像提供サイト
Little Eden



2月24日土曜日

とうとうこのノートも終わってしまう。

錬司さんとIQの話を夕食の時したんだけど(平成教育委員会を見ながら)私はIQというのは終生変わらないものだと思っていた。
そしたら、変わるものなんだって。なんだったっけ、精神年齢になんだかをかけたりして割り出すものだから、とのこと。
ということは、昔、IQ130だった私は確実に今はそれ以下になっているに違いないよなあ。平均が100ぐらいだということだから50くらいかって錬司さんは言うのよ、ひどいわ。

昔、中学に入りたての頃、中庭の砂の上に座って部活で瞑想した時、他のみんなと「昔は良かったね、小学校の頃に戻りたいね」って話したことを、まるでこの間のように思い出せる。それと同じ頃の事のように、10年以上前になる職場に入りたてのヤセてかわいかった娘の頃に戻りたい、と今思っている、この今もあっという間に思い出の彼方に追いやられてしまうのだ、と考えると、せつなくてせつなくてかなしくなってしまう。
ここにこうやって綴っている「今」の私のこの想いや、このページもどんどんどんどん時の彼方に、消えてはいかないけれど、埋もれていくんだな、と。
確実にバカになっていっている私は、なりたいなりたい、と思ってるだけで、作家にはなれないのかもしれない。ただ、言えることは、こうやって書き綴っている日記が、つたないものであっても、他人にとっては物語なのだ、と、立派に小説といっても過言ではないと思う。
特に50年、100年先の人が読んだとしたら、日記という名の小説になるよね。それで自分をなぐさめてたら、本当に作家になんか万に一つもなれなくなるだろう。

書きたい、という欲求はあるのだから、なんとかなる、きっと!

錬司さんに手伝ってもらうことだってできるんだから、ボキャブラの方面で、ね。物理的なこともだな。
ああ、でも、ほんと、この「スパイラルダンス」のCDは、私のコレクションの中で一等賞かもしれない。(セブンウェイブスがないから、ね)
これを聞いてると、ますます救われない気持ちになる、いろんな昔の事を思い出す、せつくなくて、淋しくて、哀しくて、そういった感情すべてのものに支配されてしまう。

新しいノートには、できることなら楽しくてすてきな事ばかり綴れればいい、そうなることを祈りたい。

そして、今またこの日記を書いた1996年2月24日が遠い昔となってしまったわけだ。その時の「今」の気持ちを綴ったあの時からさらに長い時が過ぎた。けれど、ついこの間のような気がしているというのもあの頃感じた気持ちと同じなんだよね。だから、今こうやってウェブに昔の日記を書いては思い返すこの気持ちもまたどんどん時の彼方に同じように埋もれていってしまうんだ。まあ、「今」の気持ちはこのことより明々後日に迫った自治会の総会のことしか考えられなくなっているという気持ちがあって、後にここを読み返したとしたら「ああ、そんなことあったよなあ」となるんだろうな。何年か前に自治会の役員をしなくちゃならないと決まった時のあの気持ちを「そんなことあったよなあ」と最近の私が思い返すのと同じで。この繰り返しのおかげで、死にたくなるくらいにやりたくない事を少しづつそこまで思いつめるほどじゃないよなあと思えるようになっていくのかなあと、何となくそう思った。今の私にはそれが一番大事なことだもの。

そんなふうに、昨日3.11のことがすべての人の心に訪れたらいいなあと思った。

そして、2014年10月27日現在。そっか、↑のことを書いたのは2012年3月12日だったんだな、と。とりあえず、現在は棟の班長してるわけで。次の11月第一日曜日に集会所の掃除あるんだよなあ。それが終われば、いよいよ来年度の役員決めのことが出てくる。来年は会長だよ。わたしがするわけではないけど、それを頼まないといけないのはほんと精神的ストレスだ。無事、次の人が引き受けてくれればなあ…どうなりますことやら。来年はもっと静かに過ごせればいいんだけど。今年は激動の一年だったからねえ。






inserted by FC2 system