画像提供サイト
Little Eden



11月27日月曜日

「夢は望めば叶う」っていい言葉ね。
最近、お気に入りの藤本ひとみという人の書いた小説の主人公が喋るセリフなんだけど、こっちまで元気になる言葉だよ。
藤本ひとみは、最初、銀バラシリーズが好きで入ってったんだけど、これがまあはまりまくって、さすがに全シリーズを読むというわけにはいかないけど、とっても参考になる作家だなって思ってる。
彼女の小説を読むと、やっぱり小説はキャラクターが一番だなって考えさせられる。
そりゃもちろん文章力なども必要なんだけど、出てくる人物がいかに読む人を惹きつけるかっていうのが、一番重要だと思うし、私はそう思いたい。

この間、錬司さんと話した中で、物に執着しないっていうことで、自分の生まれた家だから土地だから、誰にも渡したくない、思い出があるからっていうのは嫌だ。もう決して手に入らないものだからこそ美しいのであって、心の中でずーっと永遠に存在していくものなんだからこそいいんじゃないかって。

私は確かに頷いていたんだ、その言葉に。

もう二度と帰ることのない昔のあの家。たとえその場所がそこにあっても、あの家はもう取り壊されていてないんだもの。
私は覚えている、壊される前に、もうボロボロになってあとはなくなってしまうのを待つだけのあの家に入って泣いたあの日を。
今でも思い出すと泣けてくる思い出。
それでね、突然、悟ったの。
私って、二度と戻ることのない思い出とか、そういうのを思い出したりすると、すごく泣きたくなるんだよね。
それってもしかして、もしかしてよ、前世ってこともありうるかもしれないってことに。
なんでもないことなのに、不思議と泣けてくることってあるじゃない。
たとえば夢よ。たいした夢じゃないのに、泣いてしまったってこと今まで何度もあったよね。
やわらかな日の光が差し込む広々とした草原、私は歩いている。
あの時は、なぜ、たったそれだけのことなのに、なんで泣きながら目が覚めたんだろうって思った。
だから、理由を勝手につくって、地球から遠く離れたところまで来ちゃったんだ、だから淋しくて、なんて思ったもんだったけど。
もしかしたら、あれって前世の記憶なんじゃないのかしら。
それに見たことない人なのに、夢に出てくる人、とか。
そう考えると、今、現在の、この私が、この次の来世の私の夢に登場したりするのだろうか、と思うと、とっても不思議な気持ち。
そして、前世の私も、こうやって同じようなことを考え、ノートみたいなものに書いてたんじゃないのかなって思ったら、楽しい、と思う反面、とってもやるせない気分になってくる。
どうやったら全部覚えていられるんだろうって本気で考えてみたくなる。
死んでしまったらそれで終わり、なんてもちろん絶対イヤだし、記憶は忘れたくない。
どうにかならないものかしらね。
だからこそ、自分の考え、思いというもののつまった書き物を残しておきたいって思うのかもしれない。
自分が生きてた証に、と。

それともうひとつ。倦怠期の話で、恋愛と結婚は別もんだっていう話もあった。あれって最近私もありうるなって思うようになった。
好きだから結婚してうまくいくっていうのは全部が全部、本当とは限らない。
そりゃ基本は「好き」っていうことだけど、結婚ってそうじゃない、いかに気が合うかっていうことだと思うって錬司さんは言う。
だってね、私も、だけど、錬司さんだって一人では生きていけないんだもの。私の場合は経済的なところが特にね。
錬司さんはたぶん、心の支え的なとこかな、本人じゃないから、ほんとかどうかわかんないけど、たぶんそうじゃないかと思うよ。
それと今はもう息子のいない生活は考えられない。

とにかく、ともあれ、頑張ろう!

確かに、錬司さんは私を心の支えにしてくれている。私がいるからこそ生きていけるって。だからこそ、私には先に死んでほしくないと言う。私が先に死んでしまったら、彼はきっと生きていけないんだろうなあ。

そういえば、泣きたくなるその夢の風景、小学生か中学生の頃に見た夢だったのだけど、のちに、ひかわさんのマンガ「彼方から」の一巻目に私が見たあの夢とそっくりな雰囲気の描写が出てきていたのにびっくりした。主人公の典子が見た異次元の世界の風景の夢なんだけどね。ただ、私の場合は、典子のような冒険の旅には出なかったのだけど。まあ、私の場合はその夢のおかげで長い長い物語を書き始めたわけだけど、その物語ももうすぐ完結する。

それから、小説はキャラクターが一番重要っていうのは今でもそう思っているのだけど、小説というものは私の考えるものとはちょっと違うみたいだ。私のは小説じゃなく、物語なんだろうなと思うようになった。小説と物語は違う。それがやっと今わかったように思う。






inserted by FC2 system