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Little Eden



3月1日水曜日

夜はすっか寝癖がついちゃったので、ただいま午後3:20、カナを昼寝させておいて書いてます。
ここ数日、またしてもいろんなニュースがあって、やきもきしていた。

まず大ニュースをひとつ。

この春の移動の事。クワガキさんが、なんと3部へ行ってしまう。
苦手な人ではあるけど、決して一緒に仕事したくない人ではないのでショック。
当然、残される私たちに重荷ができるわけで、とても不安なのですよ。
ミウチさんの言っていた締めの処理も現実のものとなってきたわけだから。
で、昔のように、休んじゃいけない日っていうのも出てくるわけだし、タゴさんが連交休に入るってことになれば…ああ、考えたくない。それが、明日2日からはスタートなのだから。

全部を覚えてるわけではないけど、あと、ヨシムラ課長が大阪に出向、かわりにオクダ課長が人事に。それから、イクタさん(3部の)も大阪に。昨日、夕方、経理に挨拶に来てて、私に「テンコさーん、お世話になりましたー、3年経ったら帰ってくるけんー待っててね」なんて言っていた。果たして3年後、まだ私も仕事してるだろうか。それに彼女もあっちでいい人できてゴールインなんてことにもなりかねないよね。

キタヤマさんとアダチさんに聞いたいい話とはこういうことだった。
これから春になってカナが保育所に行って、家で生活するようになったらっていう話から、なんだったっけ、利用する時はおかーさんも…なんていう話からだったと思う。
この間のあみだくじも思い通りになったんで、まあちょっと調子にのってたっていうのもあると思うけど…。
あの時は時間がどうしても折り合いがつかなかったんでおかあさんに頼んだのは仕方なかったけど、本来だったら私が行かなくてはいけなかったんだよって。
それだけじゃなくても、たとえば自治会の事だって、最初は誰だってわからないものだから、正直にわからないので教えて下さいって言えば、なんとかなるもんだからって。
そんなような話をあの二人に聞いて、あたりまえの事なのに、なんだかほんとに目からウロコが落ちたようにスッキリして、なーんかなんでもできそうな気になってきたの。
それで、今度9日に、カナの身体検査もいつもの私ならおかあさんに頼んじゃうところだけど、8日は錬司さんも休みなので9日に休みを変えられたので、いっちょがんばってカナのことはなるたけ自分でしよう、と思っちゃったわけ。こんなふうに変われたのもキタヤマさんとアダチさんのおかげだわ。

それでもやっぱり公の仕事は今でも逃げられるものなら逃げたいと思う。下っ端で使われるのならまだしも、自治会の役員とかって、何年か前にやった役が来年またくるけど、他の地区との集会で長を決めるっていうのがあって、それになった場合大変だよなあって。仕事自体が、じゃなく、人々の前でいろいろ喋らなくてはならないのが一番苦痛。たとえば一斉清掃の始まりで挨拶するっていうのがあったんだけど、しどろもどろになってしまって、何言ってんだ状態になったこともあったし。あの時は自治会長さんに代わってもらったんだったよなあ。仕事自体は別に嫌いじゃない。前に立って何か言うってことさえなければと思う。けど、やっぱりああいった役員はなるべくならしたくないよなあ。

キタヤマさんたちに諭された当時はいい子ちゃん的なことしか書かなかったけど、後に仕事辞めて息子が小学校にあがった最初の年に広報部長なんてものすることになってしまって、それで自分の性格のせいでホトホト疲れてしまったんで、それ以降かたくなに役員から逃げ回ってしまった。最初はみんな私の苦労を知ってたんで何も言わなかったけれど、小学校も真ん中あたりからは後ろ指さされてたと思う。中学になってからもかなりブーイングされてたんじゃないかなあ。でも、そのおかげで高校になってからはまったく役員からは解放された。高校は小・中学の時に役員してた人たちに白羽の矢が立つというのが定番だったみたいだから。私みたいな不良保護者はそういうのかやの外だったみたい。こっちは助かったんだけどね。

さて、3年経ったら…だったけど、彼女が帰ってくる前に私はあそこを辞めた。95年から97年の辞めるまでの地獄のようなあの2年間を今では黒歴史となってあまり思い出したくない2年間。日記は呪詛みたいに書かれていくことになる。






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