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Little Eden



11月20日日曜日

「思い出のアンネ・フランク」を読み終えた。
「アンネの日記」に書かれている事の外の世界の事、いわゆる支援者の生活や戦争の悲惨さを描いたものとして、これは絶対読んでよかった、と思う。
日記に出てくるミープという女性が、いったいこんな人物だとはわからなかっただろうし、よもや、アンネたち以外にもかくまっていた人がいたなんて、いったい誰が想像しただろう。
そして、そういった何人もかくまっていたオランダ人が、彼女らの他にたくさん存在した、ということに私は少なからず感動した。
私は日記の中に父であるオットー・フランクという人の人となりを見て、彼が生きていたことはアンネにとって本当に良かった、きっと日記を世に出してくれただろう、これが母親の方であったなら…などと、なんと失礼な事を考えたのだろう、と深く反省した。
本当は父親も世に出すのは反対だったのだ。
そして、ミープという人も、長い間、本が世に出てからも、彼女の日記を読もうとしなかった。
確かに何も知らない私たち戦後の人間は、そういったつらい戦争時代の事を忘れないようにするため、そして、二度とそんな事にならないようにするため、戦争に関する書物などは読んで然るべきだ、と思うのだけれど、まさにその悲惨な時代を過ごした人々は思い出したくないのだ。
そして、ミープはアンネの日記を読んで、つらい思いをしたくなかった。だから読まなかった。
だけど、オットーの執拗な説得で、彼女はついに日記に目を通した。

そして知ったのだ。いろんな事を!
アンネがこの世にいなくなって絶望したけれど、彼女はそして他の人達がこの日記の中で生き生きと生き続けている事を!!

私は、というと、アンネの日記はあまりにも唐突に終わっているので、あとがきに8人の消息が、どこに行って、そこで死んだ、と書かれてあるだけで、ちょっと不満ではあったのだけれど、ミープのこの本で、問題の1944年8月4日の例の日の事がこと細かく書かれてあって、それを知れてよかったと思うし、納得がいった。
私もいったい誰が密告したのだろう、と気にはなったし、それさえなければ、きっと彼らも生きていただろう、と思ったが、その考えはもしかしたら違うのかもしれない、と思った。
それは彼らが捕まってからのミープたちの生活ぶりを見て、果たしてあんな状況で8人もの人間を養っていけただろうか、ということ。
確かに、最後の最後まで、潜伏して助かったユダヤ人達もいたけれど、それは一人や二人の少ない人数だったからじゃないかと思う。
収容所に送られても、ずいぶん大勢の人たちが助かったみたいだし、現にオットー・フランクは帰ってきた。
ただ他の7人は運が悪かったのだ。アンネやマルゴーはチフスにさえかからなければ、きっと助かっていただろうし、それはやっぱり運命だったとしか言いようがない。
しかし、本当にこの本は戦争の恐ろしさを身に染みて感じさせてくれた。
実際にあった事なのだ、と、とても信じられない事があまりにもリアルに書かれてあるのだもの。
だけど、これが戦争下の市民なのだ。市民とはいつもこうやって虐げられてきたのだ。
彼らオランダ人のみならず私たち日本人も、他の戦争にあった国々でもいつもいつの時代も。そして、今現在でもこの空の下、戦争が起きている。今いったい何百万の人が、ミープたちオランダ人のように、戦争による飢えと病気で死んでいるのだろう。
ここにこうして平和に安穏と暮らしている自分がなんだか悪いような気がする。
アンネの日記もだけれど、この本も自分の命を大切にして一日一日を大切にくいのないように生きていかなくてはいけないって思わせる。
彼女らのことを想えば、それはきっとなんでもないことなんだ。私の遭遇するつらい事は、たいした事じゃないって思えてくる。そう思う事が大事なんだよね。

あれから50年が過ぎようとしている。
アンネは果たして天国で幸せにしているだろうか。
そう祈りたい。

この日の日記は本当にいい子ちゃん的な文章だなあと今のスレた私は思う。(笑)それでもやっぱり自分にとってのつらいことは心が折れてしまいそうになる。たとえアンネたち不遇な人のことに思いをはせても。つらいことっていうのは個人的なことだもの。私のつらさが他の人にとっては何でもないこともあるし、他人のつらさが私にとってはなんでもないってことだってあるからなあ。






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