現在は前の職場を辞めてから10年以上経っていて、すでに私の中ではこの時の職場での出来事は昔の出来事という括りになってしまっている。97年の1月に辞めたあの時より一度も会っていない人も何人かいて、その中でも最近はよく思い出すのがミウチさん。ミノウラ君とは辞めてから一度売場で会ってちょっと話したことあったけどね。「いつでも使ってやるぞ」みたいなこと言われたよなあ。でも、ミウチさんとは会ってない。あの職場では一番会ってみたい人ではあるんだけど、初期の頃ならまだしも今となってはちょっと会うのは心情的にあんまり嫌かも。会いたくないわけじゃなく、あれからだいぶ私も変わったと思うし。ミウチさんは若い頃の私のことを「かわいい」と言ってくれてた人でもあるんで、すっかりおぱさんになってしまった私のことをちょっと見られたくないというのもあったりして。ただ、息子に言わせると、48になった私のことを「まだ30代前半でも通用するよ」と言ってくれてるんで、そんなにおばさんおばさんしてないのかもしれないなあ、なんて希望的観測。(笑) あと、母が弟にいくら投資してきたかっていうのは、几帳面な母のことでちゃんと紙面に書き残してるみたい。だからといって母は弟から金を返してもらおうと思ってるわけじゃなく、単純に記録として書き残してるだけみたい。でまあ、母は私にいつも「すまない」と思ってるみたいなのよね。私にまったく何もしてやってないって。いやー私から言わせれば、子供の頃もそうだったけど、かなり私も母にはいろいろやってもらったなあという記憶しかないんだけどね。欲しいと思ったものはけっこう無理してでも買ってくれたりしたし、短大まで通わせてもらったし。普通の家庭の子よりはまだいい待遇だったと私は思ってるし。まあ、母としては、結婚式にまったく金銭的な手助けしてやってないというのが心に引っかかってるみたいなんだけど。けれど、私からすれば、それ以上のことをそれまでにしてもらってると思うから、私はその気持ちだけでほんと十分だって思ってる。たとえ、何にも残してもらえなくても私はまったく気にしない。家土地はすべて弟にあげるつもりだし。母は自分の保険金は私にって言ってくれてるけど、それもあまり期待はしない。残してもらったらラッキーくらいで、ぜったいにあてにしないという心づもり。 それにしても、今だに母の置かれた立場って、私から見れば救われているとは思えないし、いつになったら母は悠々自適に暮らせるんだろうって思うんだけど、もしかしたら、母はすでに幸せな状況なのかもしれないなあと思うようになった。母のあの超ポジティブな性格は、どんな状況下であっても生きていける精神力を培っているという点で。私は喉から手が出るくらいにそれが今欲しいと思ってるんだけどなあ。たとえそのせいで創作活動が出来なくなったとしても、今の私はどんなことでもへっちゃらさという生き方ができるのなら、母のような性格になりたいって。 でまあ、2014年現在、その母は乳がんにかかってしまって、さらにわたしは母に対して絶望的な気持ちしか持てなかった。やはり母の人生って何だったんだろうって。ただ、今(9月22日)手術も終って、病気だったのかと思えるくらいの元気な母を見ると、さすが母だよなあと感心するばかり。もちろん、病気が病気だから、予断は許せないという感じではあるんだけど、それでも、この人なら大丈夫と思わせる何かを感じさせる母ではある。だから、どうか母に良い余生を送らせて下さいと祈ってしまうわたしである。 | ||