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Little Eden



6月29日水曜日

私は、自分のこの性格が憎らしい。
明日、髪を切ろうと思い、980円も出してヘアカタログの本を買った。気に入った型も決まった。あとは、こんな風にって言うだけなのに、それが今から気になって言い出しにくくて、その時のことばかり考えてしまってなんにも手につかない、考えられない。口だけで説明できないと思って本を買ったのに。でも、錬司さんの言う通り、「その本を無駄にせんように」しなければ。

とうとう「F」を28巻読み終わった。ラストは盛り上がりに欠けたけど、感動した。
他の本の時もそうだけど、作者っていうのはほんとすごいなって思う。自分の信念っていうか、いろんな事や、物に対しての自分なりの考え、想いっていうのがしっかりしているというか…。そして、それを他人に納得させてしまう、そのテクニックって、ほんとにすごいもんだと思う。
この本に、作家になろうとしている女の子が出てたけど、まるで私とは正反対の人間だった。とにかく動いている。調べまくっている。書くっていうことは、もしかして文章のうまいへたとは違うのかもしれない。なにか、その人をつき動かすものがあれば、りっぱに書けるものなのかもしれない。学生の頃の私がそうだったように。
ひとつ、この本を読んでて思い出したことがあった。
純子が出産する時、小森のオバちゃんの言った言葉、確か、出産することが女にとって最大の喜び、だったと思うけど、そんなことを言ってた。私は思わず、カナが生まれた時のことを思い出してしまった。
ものすごい苦しさの果てに、ス、スーッてな感じでカナが出てきた時、喜びより、あまりの緊張のあとなので、ホーッとして身体中の力がイッキに抜けた状態。あまりに頭はハッキリクッキリ冴えてて、母になったんだっていう感覚もなかった。痛みも薬のおかげで痛くないし、でも何か言わなきゃ、泣かなきゃって思って、こういう時、TVや小説ではってな感じで、涙ぐんで「ありがとうございました」なんて言ってみたりなんかして、うっわー、あまりに芝居じみてるー、だった。
流産しそうになった時だってそうだった。ほんとは心のどこかで、そんな風になってほしい、なんて思っていたような気がする。あの時、泣いたのは、お腹の子を心配してというより、常日頃から言っている、水子を出したくないからって、それで泣いてたのかもしれない。
イズミさんを見てると、きっとうらやましいんだと思う。「できないのー」なんて言ってるひまあったら努力しろっなんて心の中では思ってる。子供産んで、私みたいに苦しんでみたら、なんて考えてしまう。実際は、精神的なもんで、子育ての苦しみはしてないんだけどねー。
私はそんな人間なのよ。自分の理想からずいぶん離れてる。でも、楽したい、なまけものなのよ。
ああ、なんにも怖くないものはない、という人間になりたい!

私が仕事辞めた97年の頃、イズミさんはもう辞めてたように思うけど、その頃もまだ彼女は子供がいなかった。今でもそうなんだろうか。それはわからない。今でも時々会ったりするアオキさんにでも聞いてみればわかるんだろうけど。今度聞いてみようかな。

それにしても、今でも水子を出すことはちょっとした恐怖でもある。でもまあまだ妊娠できる身体でもあるんで、もし子供を身ごもった場合、たぶん私は産むだろうな。ただ、50が近いということもあり、初産ではないとしてもあまり体力的には無理かもしれないんで、やはり堕胎するかもしれないんだけど。そうならないように気を付けないとなあとは思うんだけどねえ。でも、気がつかないうちに流れているってこともあるのかもしれない。そういうのもあると聞いたから。生理かと思ってたら実は流産でしたっていう。

今でも他人に何か説明するのに緊張して何も手につかなくなるっていうのはある。たいていは公の何かやる場合。たとえば自治会の役員したりしてみんなの前で何か言う時とか、仕事なんかで何かお願いする時に説明しなくちゃならない時とか。PTAで広報の部長した時なんかもそうだったな。印刷屋さんに連絡取る時とか会議を開く時とか、ほんっと苦痛だったもの。胃に穴が開くくらいに。あれって慣れればっていうのもあるんだろうけど、私はいつまでも慣れない。そのせいで病気になりそう。てか、実際なっちゃったこともあるし。






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