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Little Eden



12月5日日曜日

売場応援はなかったけれど、気分の沈んだ1日だった。
1日の集計の出る前に昼休憩だったけれど、1枚、仕入の伝票抜いてタナカさんに渡してたのをすっかり忘れていたのだ。帰ってきて、仕入の伝票が1枚合わないとクワガキさんたちが言って、そこで思い出したんだけど。
またわたしの悪いクセで、彼女らの含み笑い、アオキさんの意味ありげな言い方。あー、バカにされてるんじゃないだろうか、と思ってしまった。
彼女らはたぶん私の事も、サトウさんたちみたいに話題にしてるんだろうなって思う。これはたぶん思い過ごしぢゃないと思う。
なんでもないように、たとえばイズミさんとかは私と接してくれるし、あからさまな態度は示さないから、ひどい迫害は受けてないと思うけど、時々チラッと見せる嘲笑は私の心を暗くさせる。
言いたい奴には…っていうかもしれないけれど、私はやっぱり気にするタチだから。
だけど、ほんっとまいるよなあ。アオキさんったら、ヤマグチさんの事、あんなこと言える立場じゃないと思うけど。でもそれわかってても言うんだもん。どうどうと休憩するなんて、だけど自分は忙しくない時に行ってる、なんて、よく言うわ。
私、いつも正直に答えてバカみたいだわ。今度からは本当の事は話さないでおこう。嘘も方便だよね。

昨日、ビデオで「愛人(ラマン)」という映画を見たけど、久々に心に残る(夢まで見た)映画だった。
主人公の少女は作家になりたい、不幸な環境に育った少女で、ある中国人青年の愛人になるけれど、それはお金のためだった、と親にも自分にも言い聞かせるんだ。でも、フランスに帰る船の中で、なんだっけ、曲は忘れたけど、真夜中ホールから聞こえてくるピアノの音色を聞きながら、ほんとうはあの青年を愛していたんだということに気づいて、そこで初めて声を出して泣いた、というところが、妙に哀愁があって心に残った。結局、彼女は作家になって本を出すことになるけれど、これを見て思った。やっぱり物書きは幸せな人間には書けないんだなって。そう思うと、私はやっぱり才能なんてないんだって思ってしまう。
私は、確かにボキャブラリー貧困な人間だけど、考えてることはたくさんあるし、いろんな人に私の考えや気持ち、わかってほしい。でも、伝えるすべを知らない。言葉にしようとすると、思ってることの半分も表すことができないし、文章にすると、ただの文字の羅列でしかない。なさけない。ほんとになさけないと思う。
他人と違う人間になりたかったけど、こんな形じゃイヤだ。もっといい方に違う人間になりたいよ。
10年前の私は、今の私がこんなになるとは思っていなかった。果たして今から10年後の私はどんな風になっているだろう。せめて笑っていることを祈っていたいものだ。

この頃から10年後、少なくとも2003年はけっこうしんどい年だったんだけどね。たぶん、93年の時と似たような人間関係で苦しんでた。それはネットでの人間関係で、だけど。私はどこまでいっても私でしかないんだなあと今は思う。






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