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Little Eden



2月3日水曜日

今日はようやくお義母さんの靴を買いに行けた。
天満屋ではご飯(中華よ!)食べて、ほしいのが見つからないので、サティに行った。
サティではスギタニさんが甥っ子と遊んでたし、ゲームコーナーで私は777を出しちゃうし…さすがにちょっと疲れちゃったね。

時々、道を歩いている時も仕事してる時もバスに乗ってる時も何もしてない時も音楽聞いてる時も、思い出してしまう、あの悪夢の2ヶ月間を。そう、入院してたあの時のこと。特に胃カメラ、手術、そのあとのことをナマナマしく…ネ。
忘れなきゃと思いつつ、ほんとは忘れちゃいけない体験。あれ以上つらい、痛いことが、これからないことを心から願ってしまう。

あれ以降、いろいろ痛いことつらいこと体験もたくさん経験したけど、やはり胃カメラと手術とその後の経過以上のことはなかったなあ。でもまあ、胃カメラはまたやることになってしまったけど。手術の頃から10年以上は経ってるから少しは楽になったかと期待したのに裏切られたもんね。リスクあるとわかってても、どうしても胃カメラしなくちゃならないというなら全身麻酔でやってもらいたいもんだわ。

ノートの最後のページに2月3日付で昔書いた散文を乗せていたのでここに記しておくことにする。


月の夜より星の夜の方が好きである。でも、満月の月はまた格別にすばらしい。そして、あたりのほんのり明るい風景が幻想的でSFチックである。そんな夜は、ただ部屋の窓から眺めているだけでなく、外に出てどこまでも歩きたい。一人でもよし、二人でもよし。そして、言葉があるよりないほうがなおよい。あの青白い空気が背筋をゾクゾクさせるから。冬の夜の雪がこんもりつもった月夜など、世界中に自分ひとりしかいないようなそんな気分にさせる。それほど、恐ろしく静かになるのだ。雪が、この世のありあらゆる音を、その透明な結晶に吸い込んでしまったかのように。

星の夜はどこかだだっ広い所で座り込んで、星を眺めていたい。今にも星の中のひとつが、スーッと動いて、こっちに向かってきそうでいいから。きっと、あの星のどこかに生命体のある星がある。そして、今、私がこうやって頬づえついて星を見つめているように、その星の誰かが、私と同じ気持ちで、この地球の方向をみつめているかもしれない。あの星のどれかから宇宙船がやってきて、自分を宇宙へと連れていってくれるのを期待して。私は他の人間とは違うのだ。選ばれた人間なのだ。いつか、きっと、何か非凡なことをやるにちがいない。胸すくような冒険の海に乗り出していくにちがいない、と、思い込めば思い込むほど、ふっと現実の自分の姿を鏡の中にみつけてしまう。

現実は残酷だ。夢に恋焦がれている者は、悲しいくらいのしっぺ返しがやってくる。と、いっても、何も考えずにその日を一生懸命生きるのは難しく、空想なしでは生きていけない。だが、空想ばかりしていても、虚しさは増すばかりで、自分もまわりも押しつぶしてしまいそうになる。こんな矛盾にはさまれては、やはり長生きはできないんだろうな、私は。

─月の夜に想うこと─

たぶん、10年くらい前に、高校か短大の時に書いたものだと思う。今の私を想像だにしてなかった時代…いろんなことのあった10年…10年後の私は、いったいどんなになっているだろう。頑張って生きているだろうか…生きててほしい…。

10年後…2003年か。頑張って生きてる真っ最中だったなあ。その頃は肉体的にも精神的にもギリギリな危ない状態で、そんな時にガクトさんの存在を知った。現実では旦那である錬司が救ってくれたけど、もうひとり、歌やその生き方で救ってくれた人がいる。それがガクトさん。彼が私の中で大きな存在となっていくきっかけとなったのが2003年の頃。いろんな意味での転換期となった。






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