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Little Eden



4月4日水曜日

あれからほんとにたったの5ヶ月しかたってないのに…なんとずいぶんいろんな事があったことか。
1989年10月17日、境マリーナホテルにて、とうとう結婚式を挙げ、仙台にハネムーンに行き、旗ケ崎に新居をかまえ、幸せの絶頂になるはずだった。
確かに、今年2月に弟がまたしても大事故を起こし、エライ目にあったあの日まではそれは嘘ではなかった。
現在の私は不幸のどん底です。
会社でみんなとうまくいかなくなってしまったのです。
まだ、ほんのちょっとしかたっていないのに…私は本当に心の底から笑うことが、またしてもできなくなってしまいました。
毎日、忙しくて、これも書けなくなってしまって、たったひとり、話を聞いてくれるトミーにも話ができず、私はほんとに目に涙を浮かべながら毎日暮らしてます。
こうなるともうどうしようもありません。
いつもの心のスランプです。
そして、まわりの人は、いつか私が立ち直っても、帰ってきてはくれないでしょう。
アオキさんしかり、サトウさん、イズミさん…もう普通には接することができない。
これは昔からよくあることだけど、またしても起きるとは思いもかけなかった。
イヤな予感はしてたけど…ネ。
会社に行きたくない!
Wさんがいる時以上の辛さだものね。
ほんとに我慢できないくらいだもの、毎日、毎日。
早く、タゴさんが出てこないかなあ。
今度、これを書く時は、もっとうれしいことが、心の底から楽しいと思える日に書ければいいです。

この頃のことだったのか。みんなとどうもうまくいかなくなってしまって、なんかみんなが私に対して冷たいというか、しかとしてるみたいな感じになって、かなり精神的につらい思いをしたんだけど…今思うと、それはきっと思い込みで、私のほうが何らかの壁をみんなに対して作っていたんじゃないかと思う。その時は自分は普通にしてるつもりなのに、みんなが私をイジメてると思い込んでた。ただ、何かがきっかけでそうなったというのだけは覚えてる。その何かは覚えてないけど。

でまあ、本来ならトミーに話したり、日記にぶちまけたりして発散するんだけど、結婚してからはなかなかトミーと二人きりで心行くまで話すこともできない、錬司と暮らし始めた頃はまだ人がいる場所で何かを書くということができなくて、それで日記もなかなか書けなくなってしまったんだよね。だから、子供が生まれてすぐに内臓系の手術をした後まではほとんど日記というものが書けなくなっていた。書けるようになったのは手術した後。手術したことで、いつ自分が死ぬかわからない、だから、書ける時に書いておこうとなって、それからは面白いくらい書けるようになったんだよね。もっとも、最近はまたしても書けなくなってきた。これもきっとサイクルがあるんだろうなあ。






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