ハラダ先生が見た私によく似た人って誰だったんだろう。もしかしたら親戚だったのかもしれない。父の方の親戚はほとんど知らないし、母の方の親戚もよく知ってるとは言えないから、私に似た誰かもいないわけじゃないと思う。それに、大人になってからでも外出したら、何度か誰かに間違えられたこともあった。「それにしてもよく似てる」と言われたこともあったよなあ。 当時の私たちの年代の男の子が本当に年上好きだったのかはわからないよねえ。私がそう感じたってだけで、たぶんそういうわけじゃないんじゃないかな。ただ、少年時代って年上の人に惹かれるってなんかよく聞いたような気がするから、そう思い込んでただけなんだろうな。 相手を大きな愛で包み込む存在でいながら、時にはかわいい女、顔だけでなく全体が、そして、相手を飽きさせないユーモラスな女かー。うん。自分で言うのもなんだけど、この頃の理想の女になったと思う。ただ、私は家庭的な女にはなれなかった。家事一般が嫌いなんだもの。だから、そういうのがちゃんとできる女を求めてる人とはうまくいかなかったと思う。錬司が家事にうるさい人じゃなくてよかったー。(笑) 当時の私は父に感謝してはいたけど、今は必ずしも純粋にはそういった気持ちは持てないなあ。もちろん、父がダメな父親ってわけじゃない。自分のことより娘の事を第一に考える父親ということで、十分親としての責任は果たした人だと思ってるし。ただ、私はできればあの短大ではなく、県外の短大に行きたかった。実際に行ったところより多少はお金のかからないところを見つけたつもりだったんだけど。とはいえ、当時は気づかなかった病気の兆候のせいでちゃんとした短大生活はできなかったかもしれない。一年だけだったとはいえ、寮生活ができたから、体調が悪くても何とか生活していけた。 そういえば、今も息子は県外から毎週のように帰ってくる。週末に仕事が入らない時は、だけど。で、そういや私はも寮生活してた時、毎週末に実家に帰ってたなあって。なんか、この母にしてこの子ありって思ってしまったよ。(笑) 確かにあの短大に行ったのは私にとっては悪いことではなかった。でも、2年間で多額の金額を親に使わせて卒業したにも関わらず、その学業を活かす仕事につくことはなかったんだよね。まったく無駄な2年間だった…とは言わないけれど、それは精神面だけのことで、生活していく上で役立つことは今までになかった。そう思うと、どうしても無駄な2年間だったなあと思ってしまうのはしかたがない。やっぱり高校卒業後は大学なんか行かずに就職したほうがよかったんじゃないかなあと今更ながら思ったものだ。 | ||