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Little Eden



5月14日土曜日くもりのちはれ

今日はテニスのラケットを買ってもらうため、早く家に帰った。
ガットをはってもらうため、火曜日には私の手に入るはずだ。そのほか、ボールを2つ、これはただでもらった。

聞いてよ。私、1年の時「くし」のことでコウイチロウたちをだましたことがあったわね。
それで今日は、私、セーラー服をたたんでネクタイでむすんでつつみみたいにして机の上においといたんです、放課後。
そしたらですよ、コンドウ君がそれを取りあげ「なんじゃこれ」って言うんです。
私が近よっていって「コンドウ、返してよ」って言うと「ほら、タクロウ」って言って、タクロウになげわたすんです。
タクロウはそれを学生服の中にしまいこんでしまいました。
私がしきりに返して返してっていってると、タクロウが「さあ、5組に行かか」って言って三階にいくのです。
そして、階段の所で、上の方からタクロウかヨシダがそれを私になげたので、頭にあたりました。
私はそこではっと思い出し、コンドウたちをだましてやろうと思いたったのです。
私は頭をかかえこんで泣くまねをしました。
無情にも涙は少ししかでてきません。
でも、コンドウ君はすっかり本気にしてしまい「だいじょうぶか?」とか「ごめんな、許してくれよ」とか言ってきました。
それでようやくあれをかえしてもらい、教室にもどりました。
コンドウ君とタクロウが帰ってきて、しきりになにか言ってたけど、聞かぬふりをしていました。
おかしいのをすごくがまんして階段の所にきた時、大声を出して笑いました。
若葉の時、Kさんが言うには、5組の所でコンドウ君がKさんに「教室でコクケンが泣いてるけん、なぐさめてやれよ」って言ったそうです。Kさんは「なーんしに」って言ったんですって。
コンドウ君が一番私のことを心配していたそうです。

ああ、そうそう、そんなこともあったですねえ。これはよく覚えています。それにしても女って恐ろしい。そして、やっぱりKさんはKさんだなあって。(笑)
コンドウ君が必死になって謝ってきたあの姿は忘れられません。この後、だんだんと彼とは気まずい関係になっていくので、よけいにこのときの彼のことが忘れられないんだと思います。

さて、この日付けで読書感想文を書いていました。

「走れメロス」を読んで

 この物語を読んで、というより朗読して、私はとても感動しました。この物語を読むのは今度がはじめてではないので声に出して読んでみたわけです。
 まず最初にメロスとセリヌンティウスの友情と信頼のことです。
 彼等の友情や信頼は、じっさいにはおこりえないことであり、あまり話ができすぎていると思う人もいるかもしれません。
 でも、私はそうは思いません。私は、彼等のような友情があると信じているのです。
 それから、王が言っていた「おまえなどには、わしの孤独の心がわからぬ」の孤独とはなんでしょう。
 そして、人を平気で殺しているくせに平和をのぞんでいるなんてへんな王だと思いました。
 メロスが処刑をまえにして、妹の結婚式をすませるために、友達を身がわりにおいておくことを許した王は「……世の中の、正直者とかいうやつばらにうんと見せつけてやりたいものさ」と思っていたわけですが、この言葉から、王は正直者に反発しているような気がします。孤独じゃなくて、正直者を憎んでいるのではないでしょうか。
 メロスが王城まで帰ってくるまでメロスはとても困難なことがありました。
 もし、そういった困難がなかったら、メロスだって途中でセリヌンティウスをうらぎりそうにはならなかったでしょう。セリヌンティウスだって、メロスの帰りがもっと早かったらメロスを疑うこともなかったに違いありません。
 メロスはぎりぎりで帰ってきました。そして、おたがいが一度だけ相手をうらぎったからといって、ふたりとも一発づつなぐりあいました。
 私は、この場面を読んで、涙があふれんばかり感激しました。そして、この場面こそ、ふたりの友情や信頼の心がひしひしと感じられる気がしたのです。そして、前にものべたように、うらぎりの心や疑いの心があったからこそ、このように前よりいっそう深くふたりの友情がむすばれたと私は思います。「残酷な行為をした王が、メロスたちの行為だけで、かんたんに心がかわるのだろうか」と考える人もいるでしょう。
 王だって、しんそこ悪人だとは思えません。
 たとえ王がどんなに悪い人だとしても、心がかわると私は思います。
 死刑台に来た時、メロスは着物はひとつもまとっていませんでした。そんな所にもメロスがどんなに苦労してここまで来たかがわかると思います。
 メロスが王城までいく間、メロスはいつも太陽のことを気にしていました。しいて、太陽の動きは、この物語の背景とにもなってるでしょう。
 最後に、私たちもメロスやセリヌンティウスの友情の心、信頼の心をみならわなければならないと私は思います。
 今日、人間には信頼という心が足りないのではないでしょうか。信頼の心がなくては、私たち人間は、人間らしい人間とは言えないと思います。






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