そのときの詳しい状況が以下。
この罰は一生ものの罰となりましたね。このとき、結局は保健室で眼帯をもらってつけたくらいで、眼科に行ったということはなかったから。もし、あの時、眼科できちんと診てもらっていたら、とは思うんですが。 目が悪かったのは物心がついたときからだったようにも思うんですが、中一のこの時に「右目はちっとも見えない」と書いていたということは、もうすでにその頃からかなり目は悪かったんでしょう。私は右目がひどい近視で、左目だけで見ていたようですから。その左目のおかげでメガネをかけなくても何とか見えていたようです。それが、どんどん両方とも近視が進んでいき、短大くらいまでは本を読んだりTVや映画を見るときにメガネをかけないと見えないくらいになっていき、そしてとうとう会社勤めをする頃にはいつもメガメをかけてないといけなくなってしまったのです。 それでもコンタクトにしようと高校の時に医大で診察してもらったことがあったんですけれど、そのときになって初めて、私の左目になんらかの傷があるとわかったんです。その傷のせいで、いくら矯正しても視力は上がらないだろうとも診断されました。そこで思い出したのが中一の時のこのチョーク投げのことです。きっと、あの時に傷がついたんでしょう。それをすぐに眼科で診てもらわなかったせいで、一生治らない傷として残ってしまったんでしょうね。 ちなみに、この時に作ってもらったコンタクト、結局は何ヶ月つけても慣れなかったためにすぐにつけるのをやめてしまいました。両方合わせて六万もする高価なものだったのに。あれから何十年と経ってるわけですから、今はより一層慣れやすいものになってはいるんでしょうが、やはり直接目に入れるというのにはためらいがあります。ただ、その左目のせいで、メガネでは完全に視力の矯正とはなりません。本当はコンタクトのほうがかなりの視力アップにはなるんですけどねえ。 | ||