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Little Eden



9月23日木曜日はれ

きょーは、カネハラさん、イシトビさん、イワミさん、イナダ、カナツ、ユオさん、カドナガ、私で、ユミのびょーいんにみまいにいった。A駅でまっててもカドナガがこないので先にいったら、ユミをみまいにいってバスにのり、ヨナゴの方にいこうとおもった時に、カドナガらしき人をめっけたのでバスからおりたのであった。私はおりなかった。局まえにいっておりて、みんなをまっていた。やよいデパートでアダチさんとイワサキさんたちにであった。ヨナゴ駅まで帰るときのこと。ユオさんとカナツにくっついていったところ、アーケードがいには外人がたしょういた。(ナンノコッチャ)そんでもって、せのたかいメガネをかけた外人さんがこちらにむかってやってきた。とおりすぎるとき、私たちにむかって「ハロー」なんていうから、私はびっくり。あとできいたことでは、そのとき、ユオさんがその人にむかって「ハロー、ハロー」なんていったんだって。とにかくおもしろかったんだなあ。昼メシはやよいで、やきめしをくった。

その時の様子を書いたショートが以下。

 今日は、ユミのいる国立病院に、カネハラさん、イシトビさん、イワミさん、イナダ、カナツ、ユオさん、カドナガ、私で、お見舞いに行った。
 さて、駅まで我が愛用車(自転車)に乗ってつっぱしったが、ほかの人は来てるのに、カドナガだけが来ていない。とうとう汽車も来てしまった。しかたないのでカドナガはおいてけぼりにしなくてはならない。私たちは汽車に乗った。
 初めて友達同士で乗る汽車。ドキドキしてしようがない。カドナガをさんざん悪態ついて、私たち女子はいろんなことを話し合った。
 いよいよヨナゴ駅についた。私たちは12時半までに国立病院に集まる約束をして別れた。
 初めは女子団体でいたのだが、どういうわけか、私とイワミさんとはみんなからはぐれてしまった。私たち二人はぶらぶらしたのち、道行く人に大丸デパートに行くにはどういったらよいかという文句をなんべんとなく聞いてやっと大丸デパートについた。
 大丸デパートで、国立病院行きのバスを教えてもらい乗った。そのバスの車掌さんがおもしろい人だった。イワミさんと私は、車掌さんの近くにすわっていて、「国立病院まではいくらかしら?」と私がイワミさんに聞くと「70円だよ」って車掌さんが、いたずらっぽくいった。
 その車掌さんはもちろん男で、若く、顔もまあまあのできの人だった。
 さて、私たち二人はなにはともあれ国立病院についたのだった。なんとか私たちが先に来たかと思ったら、みんなの方が早く来ていた。
 私たちは、ユミの所にちょっとしかいなかった。だれだかさんが「はらへったあー。なんか食いたい」なんていうもんだから、みんながいっぺんに空腹感を感じたからだ。
 病院を出てヨナゴ駅行きのバスに乗った。
「あ、あれカドナガじゃない?」
 カネハラさんがひくく叫んだ。
「おー、あれはカドナガだ」
 男子どもが言った。
 私はカドナガの姿は見なかった。みんなが次の停留所でおりてカドナガを追うといった。
「じゃあ、私は先に局前でおりとく」と、私はみんなに言った。
 局前に着いた。私はバスをおりると道にあるベンチにすわってマンガを読みはじめた。
 しばらくすると、カネハラさんやユオさん、カナツ、イナダがバスからおりてきた。だいぶたってからイシトビがバスからおりてきた。
 ところが、カドナガとイワミさんがなかなかこない。
「二人にしといてやれやい。俺たち先に食堂へ行こうぜ」
「そうだそうだ。熱々だもんな、あの二人は」
 男子どもがそう口々に言った。
 とにかく、カドナガとイワミさんをのけたあとの全部は食堂にはいった。
 メニューは、女子で私をのけたあと全員がスパゲティー、私がやきめし、男子はそれぞれジュース一杯。私たちは楽しく昼食をとった。
 それから、私たちは、三組に分かれて街をぶらついた。ぶらついたあげく、私の組、ユオさん、カナツ、私はヨナゴ駅に向かった。
 私たちはアーケード街を通って歩いていった。アーケード街は、外人がよく目立った。すると、向こうから背の高いめがねをかけた外人がやってきた。その外人さんが横を通りすぎるとき「ハロー」と言ったのだ。私は一瞬ドキッとした。
 ユオさんたちにそのことを言ったら「ぼくが、はじめ、あの人に向かってハローハローっていったんだよ」と、うれしそうにユオさんが言った。なんだ、つまらない。
 ヨナゴ駅に行くと、みんな来ていた。私たちはキップを買ってプラットホームにでた。
 そして、汽車に乗って私たちは帰っていった。

これを読んでいると完全に修学旅行の雰囲気ですよねえ。今思うに、どちらかというと学校行事の一環みたいな感じがしないでもない見舞い劇だったと思います。ユミが腎臓病で入退院を繰り返していたことで、いつもクラスでは彼女のためにいろいろ何かしようという話し合いが行われていたわけです。後に養護学校へと転校してしまうまで。そして、私は彼女と仲がよかったので、いつも先頭を切って行動していました。けれど、おかげでクラスの男女の結束は強かったと思います。病気であるユミには申し訳なかったと今は思いますが、彼女のおかげで、私たちのクラスは男女とも仲がよく、いつもこんなふうに男女共々仲良く行動していた印象が今でも残っていますから。






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