画像提供サイト
Little Eden



7月29日木曜日はれ

今日は、かならずFさんが若葉にいくのに、むかえにきてくれるものと思っていた。
しかし、私が2かいにいるとき、家の前をすどおりしていってしまったではないか。もう私は、ぜつぼうのどんぞこにおとされてしまった。
とうとう、私たちの友情はたたれてしまったのだ。
でも、私はなんの悲しみも感じなかった。もうそんな悲しみのめんえきはできてしまったのだろうか。
それで、ひとりでいくことになってしまったのだ。
とりのこされて、ひとりで若葉にいくのは今日がはじめてだ。
私は足どりもかるくペダルをこいでいった。しかし、その足どりもきゅうにたちきられてしまった。
お母さんともうひとり女の人が、私と同じ方向を自転車でこいでいくではないか。(前にいた)
私は、早くよこみちにはいってくれないかといのった。だって、お母さんは、てっきり私はFさんたちといっているとばかりに思っているはずだからだ。
でも、けっきょく、若葉の所まできてしまった。
しかし、お母さんたちはそのまままっすぐアーケードの方にいってしまった。(今日、カドナガが、じてんしゃからひっくりかえって大ケガをした)

そのときの様子を書いたものがこれ。

 チリン、チリン。
 自転車のベルの音がする。Fさんが来たのかな、と思って、窓から道の方へ目をやった。
 すると、意外にも意外。いつもは、塾に行くときさそってくれていたFさんが、私の家の前をすどおりしていってしまったではないか。私は自分の目をうたがった。
 しかし、やっぱりすどおりしていくのはFさんだ。私は、急いで用意をして考えた。
(もう、あの人たちと私の友情はおしまいだ)
 いつもはとても悲しいのに、なぜか今日はおちついている。きっと、悲しさにたえられる免疫ができたのだろう。(いつもそうだから)
 とりのこされて、ひとりで塾にいくのは今日がはじめてだった。
 私は、足どりも軽く、ペダルをこいでいった。しかし、その軽い足どりも、急に断ち切られてしまった。なぜかというと、私の前をお母さんともうひとり、女の人が自転車でこいでいくではないか。母は、てっきり私がFさんといっていると思っているはずだ。
(早く横道にはいってくれないかなあ)
 私は必死になってそう祈った。
 しかし、けっきょくは塾の所まできてしまった。母たちは、そのまままっすぐアーケード街の方に行ってしまったので、ほっとした。

この時のことはまるで昨日のことのように覚えています。取り残される絶望感と私は必要とされないのだという無気力感に精神が支配されて、悲しいとか惨めな気持ちを感じる心が麻痺してしまったといった感じでしょうか。
ただ、当時の私は、自分が悪いとは思ってなかったので、どうしてこんなひどい仕打ちをされるのかが理解できませんでした。今の私は、自分が彼女ら(とくにFさんに対して)とても酷い仕打ちをしてきたことを思い出しているので、そりゃ毛嫌いされてもしかたないよなあという気持ちは持っています。でも、言い訳させてもらえるのなら、彼女に対して行った酷い仕打ちは、幼い私にはどうしようもない出来事だったのです。特に子供は、自分が今やっている行為が間違った事、やってはいけない事だと知らなかったら、どうしようもないのだということ。何が正しいことで何が間違ったことかを理解できないほどの幼さ、そのためにやってしまう酷い行為。それを当時の私に教えてくれる人はいなかった。もっとも、私から自分のやってることを親に話さなかったから、だから日の目を見ることはなく、親に叱責されることもなかったんでしょう。それを親のせいにしてしまうのも酷でしょうね。
この後、彼女たちと決定的な別れがくるわけですが、そのときの様子を克明に書いたものを、当時のほかの友人たちに読んでもらい、多くの慰めをもらったものでした。彼女たちを「なんてひどい人たちなんだ」と言わしめるほどの内容のものを、すでに当時書くことのできる文章能力を持っていた私でした。人々の同情をどうすれば獲得できるのか、無意識のうちにわかっていたのでしょう。文章って本当に怖いものです。印象操作ができてしまうのですからね。書かれていることは本当のことではあるのですが、それを文章だけでいかようにも他人に感じさせることができるわけですから。負の感情も正の感情も。
だけど、誓っていいたいです。いつでも私はそうしようとして印象操作をしたわけではないのだ、と。書く段階になると、私は七色の文章をどうしても書いてしまうタイプの人間だというだけのことに過ぎないのだ、と。だから、このまま書き続けたいと思うのなら、誰に誤解されてもいいという覚悟で書いていかなければならないのです。






inserted by FC2 system