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Little Eden



1月6日火曜日

きょうはTちゃんと境にいきましたが、根っから好きになれない外人が多く、いやな気持ちでした。
そのかわりにまんがの本を三冊かいました。

1月8日木曜日

今日はピアノのレッスンの日でした。
二時半の「幸福相談」を見ていてレッスンにちょっとおくれ、じゅん番が最後になってしまいました。
だけど、そのおかげでチョコレートを先生に買ってもらいました。なぜかというと、いつもTちゃんやTちゃんの妹さんが、帰りに「かぎ」をもっていくので、おれいをしようとチョコレートを買ってくださったのです。たまたま、私が最後のレッスンだったので、ついでに買ってもらったということです。

6年最後の冬休みが今日で終わりました。
あすから4月まで6年生最後の三学期です。
6年生のまとめのようなものですから、勉強をがんばらなくては。

ピアノの先生は隣の市から一週間に一度、私たちの町にきていました。レッスンの場所は近所の町会館で、その鍵は近所の酒屋さんが持っていました。たぶん、自治会関係の人だったんでしょう。子供でしたから、どうして会館の鍵を酒屋さんが持ってるのかわかりませんでしたけど。

Tちゃんは現在まだ独身です。精神の病で仕事もさせてもらえない状態。彼女の妹さんはとうに結婚して二人子供がいるそうですが、妹さんも子供のことでは苦労したらしいです。二人のうちの1人が難病にかかり、一時は大変だったらしいし。今はだいぶ良くなったらしいけれど。
妹さんもTちゃん本人も違う不幸を背負い込んでいますよね。だから、とあるところで話題になっていた、結婚して子供がいることがどうとか、結婚できないし子供もいないということでどうとかって、一概には決められないことだよなあって、そういう話題を聞くたびに、私は幼馴染のTちゃん姉妹を思い出します。
私などは、まだTちゃんが元気だった頃、仕事も一生ものの手堅い仕事の上、貯金もある、一人身だから旅行もバンバンできるという状態をうらやましいと思ったこともありますが、けれど、うらやましいとは思っても、彼女のような暮らしがしたいとは思ってはいなかったです。

彼女とは親友だと私は思っていました。けれど、結局は私の不甲斐無さから彼女とは縁が切れてしまいました。私は彼女の不幸を背負い込む気力はなかった。彼女にどう接すれば彼女の病気を治せる手助けができるのか、私にはわかりません。だって、ああいった病気は本人が治そうと思わない限り無理ですから。去年(2006年)、彼女にバッタリ出会ったとき「自分は大丈夫だと思うんだけどねえ」と、そういう彼女に、ああ、これはやっぱり彼女の病気は治らないかもしれないと思ってしまった。
病気の兆候が出始めてた数年前、あの頃からもうずっと彼女は「自分は大丈夫なのに、周りがそう見てくれない」と言い続けていたから。

私には何もできない。というか、私自身もそういった人々に引き込まれてしまう傾向があるので、自分のことで手一杯なんですよね。やっと、何とかやっていけるというところまできた私ですから、非情だとは思いつつ、私は一切彼女とは縁を切ることにしたのです。言い訳はしないです。私は自分のことしか考えない、そういう人間なのですから。






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