NEO HIMEISM

2017年09月30日(土)13:14

晴れ

昨日は金曜だし、声はかけられないだろうなと思ってたら、やっぱりSで、声はかけられなかった。なので5時で帰る。というか、木曜もSキさん休んでたんだけど、昨日も出て来てなかった。どうも体調が悪いらしい。この間から鼻血が止まらなくなったりと、ちょっと心配だね。昨日は旦那さんは一本で夜に帰ってきた。今日も一本。で、旦那さんの会社は弔電はくれたんだけど、葬儀は家族葬だから参列は断ったんだけど、香典は礼状と引き換えでくれるということ。なので、昨夜は弟の嫁さんにメールしといた。次の日、つまり今日取りに行くつもりだけど、いつ行けばいいって。夜中にレスきてた。今日は初七日でお寺さんが4時にくるから三時過ぎには戻ってるよって。なので、その頃に取りに行ってくるつもり。

さて。

先週土曜日、息子は仕事だったんで、お昼食べたあとに1時くらいだったかな。それくらいに済生会へ向かった。個室の301に。そしたら、心電図が据え付けられてる。で、看護師さんがやってきて、今夜が山的なことを言われた。わたしが声かけても反応がないし、息も絶え絶えだし。なので、とりあえず弟の嫁さんと旦那さんにメールする。それから、まず買物へ。とっとと買物して、わたしはお茶とパンを買って、荷物をいったん自宅に置いてから、また息子に済生会に送ってもらった。わたしはそのまま病室に残り、息子は帰宅させた。それから6時過ぎまでずっと母の傍らについてた。時々息が止まりそうになってハラハラしてたんだけど、ああ、これはもうダメなんだな、母はこのまま死ぬんだなって思いつつ、ずーっと母の顔を見詰めてた。とてもじゃないけど、買ってきたパンは食べられなかった。おなかはすいてきたんだけどね。で、6時過ぎに看護師さんに「とりあえず帰ります。何かあったら連絡ください」と言って、息子に迎えにきてもらった。旦那さんは二本だったんだけど、きゅうきょ一本に変えてもらって8時過ぎに戻ってくれた。それからいつ連絡がくるかと待ってたんだけど、まだこなくて、とりあえず寝ることに。で、寝てたら弟の嫁さんから電話が。時間は12時半だったか。病院から息をしてないようだと連絡きたからこれから病院に行くと。で、わたしと旦那さんも用意して病院に向った。ちょうど病院についた頃に弟夫婦もやってきた。一緒に病室に向う。心電図、全部ゼロになってた。顔に触ったけど、まだあたたかかった。主治医が12時49分お亡くなりになりましたと告げてくれた。息が止まったのが11時半くらいだったけど、家族立会いの下に主治医が死亡時刻を告げるから、どうしてもタイムラグが出てきてしまうそうな。まあ、父の時もそうだったしね。それから、弟の嫁さんは葬儀屋さんに連絡するし、母の荷物をみんなでまとめて持って帰ることに。わたしは母のおむつを持って帰ることにした。どうせ、姑に使う事になるだろうから。使わずにすめばいいんだけどねえ。それから帰宅して就寝するも、結局はほとんど寝れなかった。わたしも旦那さんも。

次の日の日曜。まず息子が会社に電話してくれた。その後、弟の嫁さんから通夜や葬儀の日取りをメールしてくれたんで、10時になる前にわたしから会社に電話した。最初、Kタさんが出たんで、「息子から電話あったと思うんですけど、えっと、誰に言えばいいのかな」と言ったら、Tナガさんに代わってくれるという。で、彼に通夜と葬儀の日時を告げ、場所と喪主の名前を告げる。あれ、母の名前も言ったっけ。忘れた。で、通夜は7時からなので、それまでに旦那さんがケンちゃんに電話してくれて、みんなに連絡してもらうことに。父の時もそういうことすればよかったんだけど、あの時はもうそこまで考えが及ばなかったよなあ。で、親子三人礼服に着替えて6時半くらいに葬仙境港ホールに向う。ケンちゃん、アライくん、ナカニシくん、あっちゃん、トシエちゃん、メッコ、ユッケさん、きてくれた。メッコとユッケさん見たら涙止まらなくてしょうがなかった。通夜はそんな感じで終った。

次の日、月曜。葬儀は11時から。それまでにまた礼服着て葬儀場に向かう。今度は弟の会社の人、わたしの会社からはTナガさんが参列してくれた。それから1時に火葬。火葬場に向う前に最後の別れの時にわたしだけが声かけをしたんだけど、母の顔を触って「がんばるけんね」って声かけたけど、母の顔は冷たくなってた。ああ、やっぱり本当に死んじゃったんだなあって。とにかく涙が出てしかたなかった。火葬場では待ってる時にお弁当をみんなで食べる。ああ、弟のとこはSとYが参列したんだけど、Mは仕事の都合でどうしても出られなくて来てなかった。火葬が終わったあとは次にお寺さんに向う。そこで読経してもらって、その後は解散。わたしらは帰宅して着替えて買物に。礼服も持って行ってクリーニングに出す。

次の日の火曜も旦那さんはお休み出してたのでわたしも休むことにした。息子は仕事に出た。火曜は買物に出た以外はとにかくひたすら家で静かに過ごした。そのさい、やっとのことで、ずっと前に録画してた「るろうに剣心」の一話と二話の映画を見る。最終話はまた今度、近いうちに見る予定。で、次の日水曜は雨だったんだけど、昼から松江に連れ出してもらった。本屋巡りしたけど、それほど収穫はなし。まあまったくなかったわけじゃないんだけどね。そんな感じで過ぎて行った五日間でした。


いまだに母が死んでしまったことが信じられない。そりゃ、この一年間、母がだんだんと弱っていくのをずっと見続けたわけだから、いつその時がくるのか、それは時間の問題だと覚悟を決めて過ごしてきたわけだけど、それでも、母は死なないんじゃないかと心のどこかでわたしは思っていたみたいなんだよね。あの母が死ぬわけがないって。「家に帰れるんだろうか」と呟いていた母、ベッドにちょこんと座ってわたしらを待っていた母の小さくて弱々しい姿が忘れられない。元気な頃は恰幅の良い身体でワハハと大きな声で笑って話してた母だったのに、いつのまにこんなに小さくなっちゃったんだろうって。母の母であるおばあちゃんに似てきたよなあ、でも顔はおじいちゃんに似てきたよなあって思ったものだった。父の時は死ぬまでの二年間をまったく会いに行かなかった親不孝をしたけれど、その後の母が亡くなるまでの二年間はもうずっと密に過ごした。まるで父の時の罪滅ぼしのように。父の時はまったく涙なんて出なかったし、悲しいとも思わなかったけれど、今回の母の場合は当分立ち直れそうにない。油断すると泣いてしまう。母がこの世にもういないなんて、やっぱりまだ信じられなくて。今でもピンポンが鳴って玄関に出てみたら、あの母がそこに立っていそうで。いかん、また涙ぐんできた。とりあえず、ここまででやめとこう。ここ数年の日記を読み返す目的ではてな日記に転載していくつもりだけど、ああー、ほんとはその前に太陽の刻印書かなきゃなあ。はあ。





inserted by FC2 system