NEO HIMEISM

2017年06月24日(土)13:58

晴れ

昨日はあれから速報で、小林麻央さんが亡くなったと報道されました。海老蔵さんの会見は昼からなので、仕事で見れなかったんですが、今朝、見せてもらいました。昨日はいつものKの事前で、それが終わってから自部署で仕事。休憩も4時半には入れたんですけど、5時前に声かけられたんで半まですることにした。立ち読みして買物して帰ってみれば、ちょうど息子も帰って来たところだった。7時半になってた。で、旦那さんも夜戻る。今日は二本。まあ、隣に乗ってるだけの仕事らしいんで二本できるんですけどね。明日は一本。まあ、明日は雨みたいなんだけど、わたしも半までするつもり。カッパ持って行かないとな。月曜は夜一だから、絶対5時で帰らないといけないしね。今日は絶対「太陽の刻印」の続き書く。

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中貫さんの書かれた記事を読む前に、わたしもここではなく別の場所で麻央さんのこと書こうと思っていたのですが、中貫さんに便乗してわたしもここでちょっと書いてみようと思います。

冒頭に「グリーングリーン」を紹介したのは、今朝、海老蔵さんの会見を見せてもらって、その様子を見ていていろいろわたしの中で「そういえば」といろいろ書き残しておきたいと思い、さて、書こうかとした今、突然、頭の中に「グリーングリーン」の歌が浮かんできて、あらためてゆーちゅーぶで聞いたら、なんでか不思議と海老蔵さんと麻央さんのことみたいだよなあと思ったのです。とはいえ、亡くなったのは父親ではなく母親なんですけど。けれど、お二人のお子さんたちは「グリーングリーン」のお子さんみたいに母親の背中を支えにしてこれから生きていくのだろうなあと思いました。

わたしの母ももう余命いくばくもないです。今日も病院に行ってきました。いつ亡くなってもおかしくない感じではあるのですが、このまま死なないんじゃないかという気持ちも持ってたりします。ただ、麻央さんも骨に転移されたということですが、わたしの母も腰の骨に転移しております。なので、あまり楽観視はできないのです。でも、それでも…という気持ちがどうしても捨てきれません。けれど、動けず、ずっとベッドで寝たまま、ぐるぐると悪い事ばかり考え続けて生き続けるより、早く楽になってしまうほうが当人のためにも幸せなんじゃないかと思ってしまうこともあります。わたしもちょっと精神的に弱ってきてるようですね。まあ、それもあって、現実逃避としてヒマができるとすぐにマンガの世界に逃げ込んでしまってるんでけど。

麻央さんも、そして母も、あと、中島梓(栗本薫)さんも乳がんだったわけですが、この間、以前の仕事場で仲良くしていた人が、当時、わたしたちの上司だった人の奥さんが、乳がんで亡くなったということを教えてくれました。その上司は当時のわたしをとてもかわいがってくれた人で、まあ、正直言うとその奥さんはそんなに好きじゃなかったんですよね。けれど、彼はその人を選んで結婚した。それはもちろん海老蔵さんが麻央さんを愛したように、彼も奥さんのことを愛して結婚したわけです。それが、乳がんで死んじゃうとは、当時のわたしたち、誰もそんな将来が待っていようとは思いもしなかったはずです。教えてくれた友人は、奥さんが亡くなるちょっと前に自宅でチラッと姿を見たそうで、やっぱり亡くなったと聞いた時はショックだったと言ってました。わたしもそれを聞いて、奥さんのことは好きになれなかったけど、お世話になった彼のその時の気持ちを考えると何ともいえない気持ちになりました。で、その話を聞いてからすぐに麻央さんが亡くなり、今朝は海老蔵さんの会見を見て、ああ、彼もこんなふうに泣いたんだろうなあと想像して泣けてきました。

いずれ、わたしもわたしの周りの人々もみんないなくなるんですよね。それは当たり前のことなんですけど、どうしても自分が死んでしまうことが信じられないというか、本当にわたしは死んでしまうんだろうかと思ってしまう。死にたくない。死にたくないけど、こればっかりはどうしようもない。母が、わたしが行くと必ず言う言葉が「どうすればいいんだろうなあ」なんですけど、それにわたしは何も答えられない。何か言って安心させてやりたいと思っても、言える言葉が見つからないんですよね。たぶん、本人ももう長くないとわかってるんだろうと思うし、それに対して「絶対治るよ」なんて空々しいことは言えないし、かといって、「もうちょっと辛抱だよ、楽になれるよ」なんて残酷なことは言えないし。泣きそうな気持で笑ってるしかできない。手をぎゅって握っててあげることしかできない。ほんと無力です。ほんと、どうすればいいんでしょうね。こんな時、お互いの辛さを解消したいがために手をかけてしまう親族の気持ちが痛いほどわかってしまう。

生きるって本当につらいです。

なんでこうまでして生きなきゃならないんだろうって思うこともあります。ただ、わたしは、まだ「読みたいと思うものを読むために生きている」という生きがいがあるから、なんとしても生きようと今はしてますが、それがもうどうでもいいやって思うようになった時に、きっとわたしは死ぬんだろうなって思います。母はどうだろう。今の母には生きるための何かがあるとは思えない。だからこんなになっちゃったのかなあって。まだ父が生きてた頃は、父より先には死ねないという気持ちがあったから元気でいられたけど、父が亡くなったとたんに、こんなふうになってしまったわけで。やっぱり、それが原因で今があるのかなあって。

そんなふうに思います。





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