2015年06月09日(火)07:48

くもり

昨日、気にかかっていた息子のこと。昨日は5時半で帰ってみれば、ちゃんと眼科行ってくれたらしい。まあ、だいぶ炎症は収まってるとのこと。炎症が治まるのはだいたい10日くらいだとさ。でも、完治するまで一ヶ月はかかるって。で、もらった目薬がなくなった頃にまた来なさいだって。でまあ、昨日、出勤した時に小耳にはさんだのが、息子が午前中までは次の日、つまり今日までだそうな。今日は旦那さんは一本のはずだったんだけど、二本になっちゃったんだって。お気の毒さま。

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今朝はついったーで創作に関することをリツイートしてみたりして、その中でも紹介されてたネットで小説書くこと云々な記事を読んだのだけど、目新しいことが書けないなあと思って、書くことを断念。ただ、ちょっとだけ思ったことを書いてみる。

ようするに、わたしが子供の頃と違って今は小説書く人が増えすぎたんだろうなあ。別にそれが悪いというわけじゃない。書けば書くほど、その人の文章は上達していくわけだから、それだけたくたんの人が文章がうまくなって、その分、書けることで他に良い影響を及ぼしたりするわけだから。ほら、国語ができる人は他の教科もできるようになるって。それだけ国語、書く能力って大切なことだもんね。

で、書けるってことは、たいていの人は小説を書きたくなる、と思う。ただ、わたしの子供の頃は、公に「小説書いてます」と言ってる人はほとんどいなかった。わたしの周りでは。書いてるのはわたしだけだった。まあ、もしかしたらこっそり書いてる人もいたかもしれないけれど、誰にも何も言わなきゃわかんないよね。わたしは目立ちたがりな子供だったから、誰もやってないことを自分はやってんだってことをこれ見よがしに公言してたわけよ。みんなチヤホヤしてくれたしね。学校の先生にだって書いてること知られてたし。つまり、40年も前から、わたしは今のネットで小説を発表している人たちのようなことをリアルでやってたわけ。ただ、今は世界中の人に見られるけれど、あの頃は、せいぜい学校内くらいだったというだけに過ぎない。

自分のできる限りのことをやっても誰にも読まれない、感想ももらえないとしたら、今のわたしなら、それでも自分のためだけに小説を書き続けるだろうなという選択と、あともうひとつ、それだけ努力しても読まれたいのに読まれない、感想もらいたいのにもらえないのなら、もう小説を書くことはわたしはやめるという選択。今のわたしは、とりあえず、前者を選択している。今はまだ書かなくちゃいけないものがあるから。それが書き上がった時にどうするかはその時に考えるつもり。

言い足りないことはあるけれど、結局は人は人、自分は自分であり、わたしは「こうするよ」と言いはするけれど、それを他人には言えないよなあ、と。ただ、言えるとしたら、絶望できるうちはまだその人は書けるだろうなってこと。絶望なんかしなくなった時、人は筆を折ってしまうんじゃないかって。わたしはそう思うな。






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