2015年03月13日(金)06:58



昨日は仕事は6時まで。Nさんは5時半で帰った。ハーレクインの雑誌を二冊買ってウホウホで帰る。出勤前に清竜さんがミクとがくぽの話をフライング更新してて、それ読みたかったけど夜まで待った。寝る前に読んじゃった。メールも送った。で、こっちの作品もフライング更新しといて清竜さんだけに教えた。ごめんね、湯冷めさしちゃって。

さっき、ゴミ出ししにいったらYさんとバッタリ。昨日も声かけられたけど、今日も。モト○○さんが紙持ってきた?と聞かれた。なんでもバッタリ出会ったから、総会の紙のこと話しといたよって。書き方わからなかったみたいだから、自分が教えたんだとか。まあ、インカン押してなかったけどね。まあいいや。てか、ああいうの報告してくるのって、もっと班長として教えてやんなさいよってことかしらん。

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人間の考えることとかアイデアとか経験とかって、そんなにぶっ飛んだものっていうのはないよなあ、と。そりゃ、発明などで奇想天外なものが生まれちゃうこともあるだろうし、とても同じ人間とは思えない考え方とか行動とかあったりしないわけじゃないんだけど、そういうのは稀で、たいていは誰かがどこかで考えてたり、経験したりしてる。だから、わたしも昔の日記で書いたと思うけど、アニメのワンシーンで描かれていた、好きな人に無理やり歌わされた経験とか、今回のように友人の書いた小説で、わたしと旦那の間に起きた出来事などがそっくりそのまま表現されてたりするのを見て、ああ、わたしもふつーの人間なんだなあと思ったわけ。

自分の乗ってるスクーターがまるでぶつくさ悪態ついてるように聞こえたから、だから「スクーター・ジョー」という話を思いついたわたしではあるけど、それさえも、きっとどこかで誰かが同じことを思いついたりしてるんだろう。ただ、わたしのように小説として表現しないだけで、頭の中で「それ、自分も考えた」と。あと、なんて映画だったか忘れたけど、わたしがマルチエンディング小説として書いた「メラバ」の設定もその映画でそっくりそのまま表現されてたのを見て、わたしとしては誰もこんなこと考えないだろうと思ってたけど、似たようなことを他人も考えるもんなんだなあ、やっぱわたしってふつーの人なんだって。

子供の頃は、ふつーの人がイヤだった。特別な人間になりたいと思ってた。けど、特別な人間はふつーの暮らしはできない。波乱万丈な物語のような人生しか送れないわけだ。今のわたしはそういうのはカンベンと思ってて、そういう波乱万丈なのは読んで疑似体験だけでけっこう。それだけ年取ったということ。ただ読みたい。とにかく自分が読みたいと思うものを。それは子供の頃と変わらない。変わったとしたら、子供の頃は読んだ物語の主人公のような体験をしたいと思ってたけど、今のわたしはそれは思わないな。それがたとえ、ハーレクインのようなシンデレラストーリーだとしても、それでも別に体験したいとは思わない。でも、思わないけれど、妄想はしたい。自分が「そういうことになったら」という妄想は。そして、それを文章として読みたい。

だからわたしは書く。自分が読みたい物語を。それがわたしが物語を書く原動力。






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