2013年04月14日(日)09:42

晴れ

昨日は13日。金曜ではなかったけど、ああ、13日だよなーという出来事が朝から目白押し。まあ、厳密にいうと、別に最悪な日だったというわけでないんだけど、旦那さんとしては最悪というか、最低な日だったと思ったんだろうなー。(笑)

GWまで戻れないと言っていた息子が突然「帰る」とメールしてきたのが金曜の夜7時頃。なので、ババさまとご飯食べてからも11時半くらいまでは起きてた。でも、やっぱりいつものごとく米子のゲーセンで遊んでるとツイッターでわかったんで、わたしも布団にもぐりこむ。もっとも、12時くらいまではモバゲかまってたんですぐには寝なかった。で、ウトウトしてたら12時半くらいかな、息子戻ってくるのがわかったけど、ねむたいので起きずにいたら、いつのまにか寝てしまって、2時半くらいに目が覚めたらまだ息子は起きてた。トイレに行ってから息子に「早く寝なさいよ」と声かけてまた布団にもぐりこむも、モバゲをかまいつつウトウト。息子もあのあとすぐに寝たんだけど、今度は3時半くらいに旦那さんが仕事から戻ってきて、また目が覚めた。それから旦那さんが寝る5時くらいまでウトウトしつつモバゲ。で、さて二人寝よっかとなった5時に、突然、息子のスマホの目覚ましが鳴った。うぎゃーとなるも、スマホはどうやってとめていいかわたしにはわからない。しばらくしたらとまったけど、どうせまた鳴るんだろうと思って、息子の寝室に放り込んで、やれやれやっと寝れるぞとなったら、今度は5時半に聞いたこともない音がケータイから鳴りだした。わたしはケータイが壊れたかと思って、見てみたら、なんと緊急地震速報。どこだかで強い地震が発生だってー。えー、となってたら、ここでも揺れ出した。そしたら、息子が飛び起きて来て、テレビつけるわ、パソコンでパチパチやりだすわで、またしてもしばらく寝れなくなることに。で、そんな息子もさすがに7時過ぎにはまた寝床へ。わたしやババさまはもう寝れないということで起きたんだけど、今度は8時頃かな、実家の母から電話が。なんと、叔母さんの旦那さんである叔父さんが亡くなったという。ガンだったそうな。知らなかった。しばらくそれにまつわる話をしてたもんだから、旦那さんは9時に起きるまで、ほとんど寝れず。わたしやババさまもほとんど寝れなくて、昨日一日三人ともボーッとした一日になったのでした。昨夜はほんとよく寝れたわ。でも、今朝もまだ寝不足からくる頭痛があんまり取れてない。

昨日は、それでも昼から、仕事用のズックを買いに行くという息子に付き合って米子に出た。わたしも本を売りたかったんで、連れて行ってもらいたかったし。本売って、解放倉庫に連れて行ってもらうけど、探し物は見つからず。それからプラントに買い物行って帰ったのだけど、息子は6時くらいまでまたしてもゲーセンに遊びに。元気やなー。しかも、次の日は仕事だからと昨日は夜ごはん食べてから向こうに戻って行った。ごくろうさんです。

まあ、息子のスマホの目覚ましとか緊急地震速報とかその地震とか実家の母からの電話とか、そういういろいろなことが重なってみんな寝不足になったとはいえ、地震でひどいことになったというわけでもないし、ましてや誰か死んだ(まあ、おじさんが死んだわけだけど)というわけじゃないんで、いつぞやみたいにわたし自身が骨折しただの、他人の車にぶつけただの、腎盂炎でエライ目にあったというわけじゃないんで、結果的に酷い事になったというわけではないから、どこか他人事みたいな一日ではあった昨日ではある。というか、それくらいのことで「最悪だー」と思うのもアレだよね。もっとひどくなった時に耐えられなくなるわけだしね。まあ、よしとしよう。うん。(笑)

それにしても、今年もすでに4月半ばになってしまった。今年は自治会などの役員もないということで精神的にはリラックスできてるし、今のところ体調もそんなにひどいというわけでもないので、途中になってる小説を書きださなきゃなあと思ってるんだけど、やっぱりなかなか書き出せない。どうもその気になれない。まあまだ今年が終わりつつあるという時期でもないんで、追いつめられ感も持てないんだろうけど、来年はまた役員が回ってくるんで、とにかく今年中に何とかしてしまわないとなあと思ってはいる。

というか、叔母さんにおじさんのお悔みとわたしの小説が掲載された文芸誌を送らないといけない、早々に。ほんとはもっと前に送るつもりだったんだけどねえ。あと、二人ほど送ろうと思って買い置きしているんだけど。なかなかね、手紙っていうのが書きづらくて。ブログなんかはサラサラっと書けるんだけど、どうも手紙は敷居が高くて……ネット始める前は叔母さんや前の職場で仲良かった人への手紙ってよく書いてたんだけどなあ。
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2014年1月11日追記。この時におじさんはガンで死んだと聞かされてたけど、正月に挨拶しに行った時に母から、どうやらガンではなくて聞いた事もない難病でなすすべもなく亡くなったのが真実だと聞いた。





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