2013年02月10日(日)22:41

くもり

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昨日も更新したんだけど、とある人の記事を読んで、そして、その人がリンクしていた記事を読んでちょっくら私も書いてみたいなと思った。もう10時になってしまったんで、早めに書いて寝なくちゃならないんだけど。ほんとはサイトのブログじゃなくて、ノイズのブログで書く方がいいかなあとも思ったんだけど、あっちよりこっちの方がふさわしいような気がしたんで、こっちでれっつら更新。(笑)

「だれのために書くか」では『自覚的に不特定多数の人のための文章を書いていきたい』と書かれていて、昨日も書いたと思うんだけど、私は自分のために書いてたし、これからも自分のために書いていくつもり。では、ならばこうやって不特定多数が読む場所に書かなくてもいいんじゃないかと言われるだろうけれど、何だろう、なんかこうね、誰かがこれを読んでいるかもしれないという状況のものを他人目線で読んでみるというのも捨てがたいんだよなあ。これはもう、ネットで文章を公開するようになってから感じるようになってしまった快感とでもいうべきものなんじゃないかと自己分析。

「世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる - シロクマの屑籠」では『ブロガーとて「書く」ことだけを楽しんでいるのではなくて、「書いた文章に反応があること」を楽しんでいるふしはあるでしょう。』と書かれているのだけど、確かに、私もネットで不特定多数に文章を公開するようになってからは、それまでせっせとノートに日記を書き続けていた時よりも何らかの反応があるネットでの文章公開を楽しいと思うようになった。それは今でもそうだ。誰かの書いたものについて何か書いたら、その誰かがまた私の書いた物に反応して何か書いてくれたということを心から楽しんだ、今も昔も。だからこそ、つい反応を期待して誰かの書いたものに言及してしまうわけなのだけど。

ネットで書き出して、怒涛のように文章を繰り出していた頃は、私は自分が書くことが好きで好きでしょうがなくて、書くことに苦しんでいる人が不思議でしょうがなかった。書くのがつらいなら書かなきゃいいのにって。それを正直に書いたら、それをたしなめられたこともあった。不謹慎な発言だと。ただ、書けなくなった今でも、書くのがつらいというなら書かなきゃいいのにっていう気持ちは変わらない。だから、私は書けない時は書かないし、それをつらいとは思わない。書きたくなったら書くだけだしね。でまあ、気づいたことなんだけど、私は書くことが好きなんじゃないなあって。私は書くことが好きなんじゃなくて、読むことが好きなんだって。ずっと、自分は書くことが好きなんだと勘違いしていた。だって、怒涛のように書いていた頃は、本当に書くことが楽しくてしかたなかったから。だから好きなんだって勘違いしちゃったんだけど、私は書くことじゃなくて読むことが好きだから、だから書いていたんだよなあと気づいちゃったんだよな、ようやっと。つまり、私は読みたいから書く。自分が「こういうもの」を読みたいからという理由で、それで文章を書いていたんだって。世の中には多くの人が文章を書いているのだけど、その多くの中からなかなか自分が読みたいと思うものが見つからないことが多い。となれば、私は私が読みたいと思うものを自分で書きゃいいんだよってとこに到達したわけ。それは小説にも言える。「こんな小説」が読みたいけど、なかなかそれを見つからないから、じゃあ自分で書いちゃえって感じで。

こうなるとね、書けなくなる時期も出てくるわ、確かに。現にこの50年間で怒涛のように書く時期と怒涛のように読む時期が交互に訪れているからねえ。中学から高校まではけっこう日記を書き続けていたし、卒業して就職して結婚・出産するまでは書かなかった時期で、出産後に手術してからまたノートで日記を書き出し、それからネットで書き出してから最近まで、またしても大量にいろいろ書いた。で、今はまた書けない時期が訪れた。まあ、これからはどうなるかわからない。昨日も書いたけど、文章書くには気力だけでなく体力もいるからねえ。今の私は体調的に書くことは難しくなってきたから。これから死ぬまで読む、で終わりそうな気がしている。





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