2012年10月14日(日)21:23

晴れ

昨夜は10時過ぎには寝た。今朝は5時半に起きる。ご飯食べてトイレ行って、旦那のご飯もしかけて準備は万端。7時半に向こうの集会所に行ったのだけど、7時半に集合っていうのは、各地区で使うための清掃用のゴミ袋を受け取りに行くためだった。6月の一斉清掃の時も7時半だったっけと思ってたのだけど、さっき6月の日記を読み返したら、8時前に集合してたよ。だから、7時半に行ったら、連合会長さんからゴミ袋を受け取ったのだけど、あれー、これって各地区の草刈りで使うゴミ袋みたいーと思ってたら、うちの会長さんがやってきた。どうやら、これのゴミ袋は会長さんが取りに行ってくれるということだったらしい。なんだー。ということで、8時前までまた家で待機してから8時前にうちの集会場に行ったのだけど、うちの班長さんまだ出てこなかったんで、Kさんに、班長さんに私の名前も書いてくださいって言ってから、向こうの集会場に急いで向かった。今回は竹ぼうきをゲットして、草をかき集めることにしたのだけど、あれってけっこう腰にくる。つらかったなー。草かってるほーがまだマシだったなー。今回は9時前に終わった。ジュース勝手にもらって、うちに帰ったら、階段のとこで、Aさんにポカリもらって、家にもどり、風呂には旦那と一緒に入った。今日の仕事は5時半まで。Iさん、腹痛でお休みだった。

---------------------------
2012年10月14日 22:05

『20年以上になる私の結婚は実はあまり周囲に祝福されたものではなかったけれど、私は結婚で幸せになった人間である。
それでも結婚について何か人に語ることはないなあ、私が私で、愛するダーリンがダーリンであっただけの話なのでなあ。
それ以上の言葉が私にはないな。』

この一文に大いに頷いた私である。私も結婚して20年以上になるけれど、どちらかというと周囲から祝福されてたという感じじゃなかった。相手側の家族からは、お堅い家庭のお嬢さんかとか思われてたみたいだし、うちのほーは父親はもちろん不服だったみたいだし、親類からは相手の家族のことよく知ってたみたいで、あんなとこに嫁にはいかないほーがいいとかいろいろ口さがないこと言ってたみたいだし、私の友達は旦那本人にいい印象持ってなかったしねえ。そりゃまあそうだ。私自身もお付き合いする前までは彼のことを「ありえない」と思ってたしねえ。それが「この人じゃなきゃ結婚しない」とまで言うくらいに気持ちが変化したわけで。んで、結婚して確かに不満とかあったりするけれど、それは本人以外のことでの不満でしかなく、彼本人と結婚したことは私にとって本当に幸せなことだったなあという思いしかない。まあね、結婚って本人同士はもとより、やっぱ家同士の繋がり、親類とも繋がりを持つものだから、二人だけの世界〜とはちょいと言い難い。とくに長男に嫁に行った場合は。私の場合は長男の嫁になったわけじゃないけど、長男の嫁になったようなもんだから、しかたないんだけどさー。ただ、考えようによっては、彼が家を捨てて二人だけで…っていうような人間だったとしたら、私はとうの昔に捨てられてただろうなあ。こんな私でも見捨てずに愛してくれるのは、家族というものを大切にする彼だからであり、そうであるなら、彼はやっぱり親は捨てられないだろう。だから、私も観念して親の面倒を見なきゃならない、嫁として。結婚の前後ではそんなつもりはなかったんだけどねー。でも、そこらへん心に折り合いをつけないと、離婚するしかないってことになっちゃう。それはイヤだ。つか、いつになるんだろうな。同居。(^_^;)

-------------------------
2012年10月14日 22:40

「悲しみや苦しみと共に生きるということ ? suVeneのアレ」

何だろう。すーさんの書いているもの読んで、そんなことはわかってるってば、でもどうしようもないんだよなーと思ってる自分がいるなあって。

私も一通り依存はしてきたし、その依存を抜け出たことも何度かあるわけで。それはもう、自分ではどうしようもないわけだ。誰かに「それはだめだ」と言われたとしても、そんなことは頭ではわかってんだ、でも、どうしても依存から抜け出れない。で、抜け出られないまま、最悪なことになってしまう人もいれば、私は依存しても最悪にならなかった、それだけ。そこには、自分自身の努力なんてないんだよなあ。いつのまにか抜け出てたっていう感じなんだもん。

そうだな。私にとって一番しっくりくる考えは、すべては時間が解決してくれる、かな。私にとっての悲しみ辛さ苦しみって、ほんと他人にとっては「どうしてそんなことが?」という些細なことなんだよね。それでも私にとっては世界の終りみたいな気持ちになるわけで。たとえば、仕事で誰かに電話しなければならないことがあるとする、それが私にとっては追いつめられるほどのストレスとなり、それが原因で自殺までしかけた過去がある。たかが電話一本。自分でもわかってるんだよ。どうしてそんなことができないのかって。PTAとか自治会の役員にしたって、そういうのやるくらいなら死んでやるという気持ちになってしまう。わかってる。そんな気持ちを持ってしまうことは愚かだって。自殺してしまうほどの苛めを経験している子供からすれば、私の辛さなんて…という気持ちもあるから。けれど、その苛めで自殺してしまう子供に対しても、誰かは苛めで自殺することを愚かだと言う人もいるだろう。そうであれば、私の悩みなんて、誰かにとっては笑われることだろうな。

でも、そんな私でも、今では何かの役員をすることになったとしても(実際、現在やってるわけだけど)死にたいとまでは思わなくなった。それもある時ふっと、どうでもいいや、って思えるようになった。何の前触れもなく。だから、私は思った。これはもう時が解決してくれたんだろうなって。たぶん、私が今までもの凄いストレスを感じてしまったのも、自分のやることに対して他人がどう思うかを尋常じゃないくらいに気にし過ぎてたからなんじゃないかって。完璧にしなくちゃならないという思いが私の中にはあって、でも、私は完璧にはできない不完全な人間で、そのギャップに苦しんでたんじゃないかな。それが、いつしか完璧にしようと思わなくなり、いい意味での無責任さを身に着けた。つまり「ま、いっか、別に」と思えるようになったということで。それもこれも、いわゆる「無神経なおばちゃん」となっていったからとも言えるよなあ。それって周りからすれば迷惑な存在だろう。若い頃は、そういう迷惑な人間に絶対なりたくないと思ってたけど、今は迷惑かけてもいいじゃんか、死ぬよりは、って。つまり、それは憎まれっ子世に憚るってことで。死ななきゃいいよってことで。

悲しみや苦しみと共に生きる…すーさんは「肯定」と言ってるけど、私は肯定というより、自分勝手に行動することが死なないで生きることだよなあ。

inserted by FC2 system