2012年10月04日(木)23:24

晴れ

今日は夜出勤の一本だけど、明日から当分、昼出勤の二本だって。とりあえず雨は大丈夫みたいだけどねえ。お願いしますよ、天気さん。

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2012年10月04日 23:19

ともむんさんの記事が久しぶりに更新されたと思って見たら、あーあの話題かー。

『こうやって仕事の愚痴を漏らしただけで袋叩きにされる若手社員は可哀想と思われるのに、

同じシチュエーションでも母親に向けられる言葉は世間で定番化しているくらいにすんなり受け入れられてる不思議。』

こういう時にね、たとえば、子供なんて産んだこともない育てたこともないような人、それが女だろうが男だろうがどっちでも、私は産んでみろ、育ててみろ、って言いたくなる。もちろん、産んで育てて、ちゃんとできる人もいるだろうけれど、産んで、育ててみた人は、うまくいかなかった人の気持ちは多少はわかるはずだよなあ。一方的に母親を責めることはしないんじゃないか、と。そりゃね、一番かわいそうなのは死んでしまった子供だよ。でも、殺してしまった母親も憐れだよ。私はそう思うよ。一歩間違えれば私もそうなってた。たとえ虐待されたこともない私であっても、そういう危うさはあったわけだから、恐らくあの母親も子どもの頃に母親から虐待されていたんじゃないかな。祖母も孫を虐待してたみたいだから、容易に想像がつく。虐待の連鎖ってやつだよねえ。それを断ち切るには、母親自身だけじゃどうしようもない。やっぱり第三者が介入すべきだ。難しいとこだけど、どうにかできないもんかなあ。

それと似たような感じで、こちらの記事も。

『こうした事件で一方的に母親を責める人は、自分がどれほど恵まれているのか理解できないだろう、
意識することがないほど、自然に人とのつながりをもてているのだから。』

以前から、私も理解してほしいという気持ちから、虐待をテーマにした小説はいくつか書いていて、そのうち二作品は入賞もして文芸誌にも掲載して頂けた。とにかく、子供を殺してしまう母親のどうしようもない心を、理解できない人に少しでもわかってもらいたいからという一心で。それに、私なんかよりもっと有名な人たちも、そういうのテーマにして発表してるのに、それでも、わからずやの人間どもは多い。どうして母親を責められるのか。どんな人間だって、責めることはできないというのに。「子供がかわいそうだ」を免罪符にしてほしくない。その言葉を言えば、どんなことを言っても自分は正しいんだと思い込んでいる輩が、一番私は酷い人間だと思うよ。理解しようともしない、そんな輩にほんと反吐が出る。

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