2012年09月22日(土)10:50

晴れ

昨日は旦那は夜の二本。だから、今日は昼過ぎに戻ってくる。だから、昨日は買物も今日の分を買い込んだ。すると、息子が今日は帰って来るって。たぶん夜中になるかな。そういや、一昨日、旦那が仕事に出たあと、配達人がきて、それってどうやら梨だったみたいだけど、Kさんじゃないでしょうか、だって。番地しか書かれてなくて、他の棟にいるかどうかわからなかったんで、ここにはいないって言ったけど、あとで調べてみたら5棟にいたよ。あらら。それにしても、電話してから持って行けよと思ったんだけどね。言ってやればよかったかな。(笑)

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2012年09月22日 10:42

ついったーのタイムラインに流れてきたこのツイート。

"わたしたちはどうしたってわかりあえないし,わかりあえない相手の思考を理解することはおそらくできない"と書いたエントリに対する反応にすらこの有様。人は分かり合えないのではなく主張したいだけなのかもしれぬ / “ttp://d.…” htn.to/Rd9ntF
― やまだまさゆき(aka.ululun)さん (@ululun) 9月 22, 2012

あらー便利だわー。今までだったら、手書きで引用したんだけど、ついったーに「このツイートをサイトに埋め込む」をクリックしたらタグがちゃんと用意されてた。へー。(笑)

とと…脱線脱線。(爆)

ううるるんさんの言う通りで、人、というか、ネットで何かしらこうやってブログなどを書いてる人ってーのは主張したいから、だからこそこんなふうに書いてるわけだ。どんなに「主張したいからじゃない」なんて言っても。本当に主張したいなんて思ってないという人は、そもそもネットに自分の考えや意見なんぞ書かない。私だって、主張したくない時は書かないもん。まあ、その主張を誰かにどうしても読んでもらいたいかどうかっていうと話は別だけどね。伝えたい相手に読ませたいというのもあるだろうけど、そんなに相手に伝えたいとは思ってない場合もあるだろうし。あと、私みたいに、自分自身に読ませたい、つまりは、後に読み物として読み返したいから書いてるっていうのもあるしねえ。で、私の場合は、せっかく書いたんだから、誰か読んでくれたらいいかなーという軽い気持ちで誰でもが読める場所に置いてるということ。

さて、うるるんさんのツイートに反応したのは、まず孫引用となる『わたしたちはどうしたってわかりあえないし,わかりあえない相手の思考を理解することはおそらくできない』っていう言葉。これ、いつだったか梓さんも何かで書いてたなあと思ったわけ。まあ、そんなに目新しい言葉ってわけじゃなく、わかりあえないことは当たり前のことで、だけども、それを絶望と取ることはない、わかりあえないことを前提としていれば、そんなに対人で衝突するということもないだろうなあ、みたいなことをどこかで誰かが言ってたように思う。なんつーか、私なんかも誰かに理解されない人間であり、昔はそれがどうしても許せなくて、どうしても理解してもらいたかった。もちろん、理解してほしい相手は自分にとって好きな人だ。でも、私は、好きじゃないどうでもいい誰かの理解も得たいと傲慢にも思っていたんだ。それが、後にやっと、好きでもないどうでもいい誰かの理解なんてどうでもいいじゃないかと思えるようになった。そして、好きな誰かの理解も、理解されない事はちょっと悲しいなと思っても、それでも理解されないことはしかたない、理解されなくてもいいや、となんとか思えるようになった。ただ、好きな誰かに「理解はできないけど、理解したいという気持ちはあるよ」と言われることは願った。理解できないから離れていく人の中で、そういった人も必ず一人はいるから。それが「幸せ」なんだなあって。

と、理解云々はここまでで。

うるるんさんのリンク先のはてなハイクの会話は、初音ミクにまつわる理解についての記事を書いた人が、その自分の記事に一人の人がスターを何個もつけてて、それが不愉快だから一個に減らしてくれと言っていて、それへのコメントをスターつけていた人が「その不愉快の理由を教えてほしい」と言っているもの。不愉快さっていうのは人それぞれで、万人のわかる不愉快さだけじゃなく、その人だけの琴線っていうものがあったりするのは、私もとんでもないことで不愉快さを感じてしまうこともあるから、理解しがたい不愉快さを持つ人の気持ちはわからないではない。でも、相手の「なんで?」という気持ちもわかるから、相手に聞くことも悪いことじゃないだろう。何も聞かずに「そうですか、じゃあ、減らしてきます」と言ってくれる人もいないわけじゃないしね。私の場合だったら、「なにそれ、変な奴」って言われたくないから、たぶん言わない。何が原因で不愉快になったか、なんて。昔、一度、そういうことがあった。その時は相手に聞かれなかったから、わざわざ聞かせることもしなかったけど、それでも、私の気持ちを誰かにわかってもらいたいから、後にどこかで「これこれこういうことで不愉快になったのよ」と書いた覚えはある。今は理解されたいとは別に思わないから、他人が「なにそれ」と思うようなことが理由の場合は書かないけど。私として、は。別のキャラではどこかで呟いてるかもね。(笑)

それにしても、その問題の記事。

初音ミクについては、確かに新しいものだよなあという気持ちはあれど、でも、小説書きでキャラ作りしている自分としては、技術的なことは新しいんだろうけど、そもそも作り上げられた架空のキャラに歌を歌わせているっていうの、小説書いたり、マンガ描いたりするのとまったく違いはないよなあって思っている。表現のひとつの方法ってことで。初音ミク、アニメのキャラみたいなもんじゃないのって。なんでそれを「気持ち悪い」と思えるのか、その気持ち悪いと思う人はアニメとかも気持ち悪いって思ってんだろうか。アニメと初音ミクは違うとでも言うんだろうか。私にはどっちも違うようには思えない。だから、気持ち悪いっていう人のほうが理解できない。私は、初音ミクに熱狂してなんかいないけどね。それでも、気持ち悪い、理解できない、なんて言う人を理解できないなあ。

まだ、初音ミクは、ちゃんとした映像として具現化されてるよね。私の場合は、具現化といってもせいぜいイスラトで描いた自分の生み出したキャラで「ごっこ遊び」をしてる妄想女。どうにかすると、明確な画像もないのに、ひとつの作り出されたキャラで遊ぶこともある。つまり、ネット上で作り上げたキャラでいろいろ発信して、会話などを楽しむとか。やっぱ、そういうほうが理解され難いと思うんだけどなあ。でも、けっこうそういう人って多いと思う。妄想を楽しむ人って。まあ、確かに、以前は私も「気持ち悪い妄想女」って言われたこともあるしねえ。つまり、やっぱりわかりあえないもんはわかりあえない。わかってくれない人にわからせようとしたって無駄なこと。互いのテリトリーには踏み込まないのがいいんじゃないかな、なんて思う。とはいえ、自分の主張はしてもいいと私は思うんで。自分のテリトリーで引用して書くことは悪いことじゃないよねって。相手のテリトリーまで行って主張はNGだろうけど。

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