2012年06月02日 11:59

とはいえ、これだけは転載しとこ。全部ログを確認したわけじゃないけど、ひとつ見つけた旦那さんの書き込み。(といっても、旦那さんの口述筆記をしたというのがほんとのところ)

*ハゾスさんが好きなわけ。

今晩は、皆さん。
『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』の8文字の中で、とりわけ『忠』が好きなんですよ。だからといって、自分が忠臣だと思ってないですけど。てゆーか、なりたくもないけど。(ヲイ、ヲイ)
ただ、キャラクター的にはこの『忠』のキャラクターに弱いんです。もうメロメロ〜って感じ?ヽ(´・`)ノ
ただし、カメロンみたいに変質狂的な忠義(彼の場合は忠義じゃないかも、どっちかっていうと変質的な愛かな)(笑)は嫌い。てゆーか、嫌い…じゃないけど、好きくないかな?(ヲイ)

で、ハゾス。彼はいいです。剛直で生真面目でユーモアを多少解して、頭もそれなりに良くて、さらに一番に考えるのは(ハとムと書いてなんと読む)『公』国が一番、民が一番…ああ〜なんて、いい人だー!!
ということで、ハゾスが一番。
でもね。ひねくれもののナリスも嫌いじゃないよ。てゆーか、最近のナリスは考えがバレバレ、ちっともひねくれてない。おもしろくないぞ、おいっ!
でも、そのうち彼はまたやってくれるでしょう。あのまま、普通の人じゃおもしろくないし。弟が絡んでまためちゃめちゃにパロを引きずりまわすんでしょうね。
それでこそ、ナリスー!!
親友のスカール大迷惑。これこそまさにグイン・サーガ!!
以上。私の中のグインのイメージです。(あれ? グインがいない??)

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ナリスは作者の一番のお気に入りで、お気に入りはいたぶるのが好きな作者だったものだから(笑)、とんでもなく大変な目に遭っちゃいましたよねえ、ナリスって。個人的に私は栗本さんのその趣味趣向に傾倒しているところがあるから、それはそれでOKなのだけど、たぶんうちの旦那さんにとっては、ああいった末路になるナリスは不本意だったんじゃないかな。でもまあ、基本的に彼は作者がどんなふうに自分の作品を料理しようが好きにしてタイプなんで、自分が興味なくなったら見向きもしないんだけど。幸か不幸か、グインを読める時間がなくなってしまった旦那さんが後半のグインの内容を読むに堪えないと思ったかどうかはわからない。こちらがどんなに「読んでよ」と言っても暇がない限りは読んではくれないからなあ。今の仕事してる限りはマンガ以外は読む気にもならないんだろうし。ただ、一時は暇があったからグインも読んでくれてて、けっこうおもしろく読んでたみたいなんだよね。

旦那さんは、自分が読みたい内容と違ってきたらそれを修正しようとして作者にモンク言う読者の気持ちがわからないと言う人ですからねえ。あと、嫌になって読むのやめても、それでもウダウダとモンクを言い続けるのも嫌いな人ですから、当時の栗本関連でワアワア言ってた人たちのことを、とにかく、そんな無駄な事して何してんだかと冷めた目で見ていたというのが、私が旦那へ抱いていた感想。というか、↑の書き込みにも書いてましたよ、「変質的な愛は嫌い」って。つまり、これってグインに向ける読者の愛が彼には「変質的な愛」に見えたってことに他ならないわけですよね。

あの頃の騒動を振り返ってみて、グインが作者の好き放題に書かれていて読者がないがしろにされてるとか、同性愛のことで傷ついた人たちがいたとか、そういった問題が勃発してたわけだけど、そういうのって、もしグインが商業用として書かれた物ではなく、私が書く小説のように趣味で書かれていたとしたらそれほど問題にはならなかったんでしょうね。まあ、本人がどんなに、自分は自分をプロ作家だとは思ってない、だから好きに書くと言ったって、実際には自分の書いた物が売れに売れて、それで生計を立てていたわけですから、やはり買ってくれた人に最低限の感謝はすべきじゃないかなとはいかな私でも思うわけです。それを踏まえて、買ってるんだから、不快に思ったとか傷ついたとか言ったっていいじゃないかという気持ちもわからないわけではない。ただ、それを全面的に許してしまったら、収拾のつかないことになってしまうというのもあって、それでやっぱりモンク言う側もある程度の節度は持って言わなくちゃならないし、たとえそれが相手に伝わらずに、傷ついたことなどを謝ってもらえないとしても、それはしかたない、でもちゃんと自分の意見は言えた、で溜飲を下げるべきじゃないかなあ、と。それをたとえば裁判に持ち込むというのであれば、黒白つけなくちゃならないんだろうけど、そうでない限りは、納得いかなくても、平行線でしかない議論はどこかで終わらせなければならないんじゃないかな。

えーと、このメモはどこのトピで書かれたものだったかちょっと覚えがないんだけど、書かれている内容でグインのとこかなあとは思ったけど、どうも違うみたいで、もしかしたらなぜ書くトピだったかもしれない。というか、これは私に対して言われたものだったと記憶にあるんだけど。

*気持ち悪い夢見る少女

なんでしょう。
美少年同士の恋愛を美しいとか言って
セックスは汚いっていうくせにオナニーはする。
そんな人なんですよ、彼女は。
そういう妄想の小説を書いたらいいんですよ。
それは別に悪い事じゃないし、
その手の小説は需要がありますから。

*悪いけど

この程度のやりとりで簡単に泣いちゃったり、
感動しちゃったりするような人が小説書くのって
ものすごぉぉく違和感があるんですけど。
「がんばりますね。ありがとう」じゃねーだろって思うのは
意地悪過ぎ?
でまあ、これだけじゃ不公平だから、それに対しての私のレスも書いておくべきでしょうね。

*言わせてもらうけど

美少年同士の恋愛書いてる作家さんの方が
そこらへんの若手の作家よりも文章能力がすごいって
あなた知ってる?
もっとよく勉強してね。
栗本薫ばんざい!!

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これ完全に売り言葉に買い言葉。頭に血が上ってしまっての腹いせカキコだったものだから、今思うと、すげーこと書いてんな、私、そりゃ攻撃されてもしょうがないわ、と思った。(笑)文章能力なんて関係ないし。書かれている内容が気持ち悪いと思うのは読者の自由だから、自分の嫌いなものを嫌い、気持ち悪いって言うのは別に悪いことじゃないもの。私を気持ち悪いって言った人も「別に悪い事じゃない」って言ってるわけだから。今の私であれば、自分のことを「あんた気持ち悪い」って言われれば、多少は傷つくし、むかつきはするけど、それに対して何か言うということはない。言う自由はあるから好きに言えばいい、私は無視するからって感じ。まあ、かみつけばかみついたで、それをおもしろがる人もいるわけだから、私はそういう人たちからはつまんないヤツって思われるんだろうけどさ。あの頃は、かみつかれたらかみつくという行為を繰り返してたから、それなりにヲチ対象になってたみたいだけど。

美少年同士の恋愛をただの好き者として求めているというわけじゃないんだけどね。そこのところの認識の違いが両者の間に深い溝となって横たわってるわけで、そりゃもう互いに互いを理解するなんて無理なことだ。今の私は、不思議なほどに男性同士の恋愛に興味をなくしている。読みたいとも思わないし、書きたいとも思わない。それはそれで淋しく思う。そういうのにどっぷりつかっていた時期が私にはあるわけで、その時の気持ちを思い出すと、今の興味なくした自分に多少の物足りなさを感じるからだ。恐らく、一種の病気なんだろうな、あれらに惹かれる精神って。今の私はもっと切実な問題があるから、そういうものに逃げてる場合じゃないって感じなんだろう。現実を生きるためにはそれなりの心構えに切り替えないとちゃんと生きていけないからなあ。

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2012年06月02日 16:29

衝動と感情で生きる人間、かー。そうだなあ、私もそうだ。それでいつも周りに迷惑かけっぱなし、傷つけっぱなし、怒られっぱなし、だ。いちお、ノイズん場所は匿名でやってるってわけじゃないんで、親戚関係のことは詳しくは書けないんだけど、それなりに私の実家のほーの親戚縁者にもそれなりにドラマみたいな人生な人たちもいるわけで、でもさすがにこういうとこでは書けないよなあと、多少は常識的なことも考えてる。ただ、母親だけは自分のどんなことを小説だののネタにされてもかまわないと言ってくれてるんで、それだけが私が救われてるところかなあ、と。

あの人もその人も結局は子供を持たないという選択をしたわけだ。でも私は持った。そのへんの葛藤は過去日記ブログでも語ってるし、サイト日記でも昔書いた覚えがある。他人は恐らくこう言うだろう。「あなたの子供さんが見たら傷つくだろうね」と。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私は両親に私が書いたような日記を読まされたわけじゃない、むしろ、愛されて育ったはずなのに、それでも私は母に望まれなかった子供なんじゃないかと思い込んでしまった。それは、母が自分の考えや思いを正直に話す人だったからでもある。つまり、母の若い頃の恋愛話を聞かされ、父との結婚は親が決めたもので、親に逆らえないから恋人と別れて結婚したんだというそれだけの話で、私は母は好きでもない父の子供である私なんか愛してないんだって思い込んでしまったんだ。よく考えてみたらそんなはずはないのに、それでもそういう疑いを持ってしまう。

けれど、今の私からすれば、恋人と別れて親の決めた相手と結婚した母は、いまでも寝たきりの夫の介護をし続けている。その逆に、母の妹は親の決めた相手とは結婚せずに、なかば駆け落ち同然で結婚した愛する人と、今は離婚したくてもできない状態。その違いはどこからくるんだろう。男と女の関係は簡単には決められないってことなのかな。それと同様に親子の関係も同じなんだろう。関係ではなく、その人その人の気質、性格によるものなのかも。で、私の場合はどうなのかな。私は母に似てるということを思ったことがないんで、じゃあやっぱり叔母に似てるのかなと思った。とはいっても、私はとりあえず恋愛結婚ではあるけれど、その恋愛もどっちかってーと相手に押し切られてスタートしたものだったし、しかも自分の気持ちが今までずっと定まらなくて、最近になってやっと「私はこの人を愛してるんだ」と気づいたくらいだから、どっちかってーと私は恋愛結婚とは言えないような気もしている。つまり、叔母とは違って母と同じような人生を歩いているとも言えないか、と。

ただ、そんな子供を持つべきじゃなかった私のこれまでの体験で言うと、「案ずるより産むが易し」は確かにそうだなあと思ったよ。まあもちろん、それが当てはまらないケースだってあるだろう。けれど、当てはまることもあるわけだから、そうするってーとやっぱり「やってみなきゃわからない」つまりは「案ずるより産むが易し」なんだよなあ、と。そして、それを選ぶのは他ならぬ自分ってことで、どっちを選ぶかは他人には口出しはできない、その人の選んだことなんだからってことなんだよね、と。

子供のことにしたって、自分は自分がどんなにわがままで、人に奉仕なんてできない人間だとわかってもいるんで、こんな人間が子供なんて育てられるはずがないと思ってもいたから、ほんとに私って子供なんて持つべきじゃないよなあと思ったし、実は今でもそう思ってたりする。まあ、その私が育てた子供がこれからどんな一生を送るかで、私の子育てが成功したのか失敗したのかはわかるわけだけど、ただ、どういった生き方をするのが成功なのかは実のところわかっていないし、どんなのが成功だなんて誰にも言えないんじゃないかと思う。まあ、最低限、お縄になるようなことさえせずに、死ぬ時に「まあこんな人生だったな」と思って死ねれば、それが成功なのかなとも思うんだけどね。そうなってくれることを心から祈りたい。

とまあ、そんなことを今読んでいるある人の日記で思ったのだけど、別にその人に何か言いたいってわけじゃないんで、リンクせずに好き勝手に書いてみた。以上。(笑)

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