2012年04月20日(金)22:09 雨のちくもり お昼頃に旦那は戻ってきた。そしたら、明日は休みになったという。まあ、昼まで戻ってこないんだけど。今夜、息子は帰ってくるから、明日はババさまんちでご飯。あと墓参り。 --------------------------- 2012年04月20日 09:44 *言わせてもらうけど めったなことは言わないほうがいいと思いますよ。 確かに私が「夢見る少女」であることは否定しませんが、 セックスも知らないおぼこだと思われるのは心外です。 それに「ものすごいことを書く」ということに対して あなたは思い違いをなさっている。 私はラヴクラフトのようなおどろおどろしいものを 書いてしまうことがある、と言ったのであって 案外と恋愛物は書かないのです。 まったく「ゲスの勘繰り」とはこのことですよ。 お気をつけあそばせ。 *ふむ… 井の中の蛙とはよく言ったもんだ。 私は他人を怒らせてしまうところがあるらしく これまでのやり取りの中で、自分の欠点というものが ようやくわかってきたような気がする。 そのてんでは、皆さんに感謝せねばなるまい。 確かに私は他人を「感動」させることはできないだろう。 だいたいが、たにんを感動させようなどと おこがましいことだったのだ。 原点に戻らなくてはならない。 なぜ、いったい、小説を書くのか。 それは書く人がいるだけ理由は星の数ほどある。 つまりは他人の言うことに振り回されるな、ということ。 自分の信じた道を進むだけ。 (ちなみに××さん、私の書く小説は基本的にはファンタジーです。それも一応、清純派ですので、怖がらないでください) *もう一言言わせて 感動できない自分を好きですか? 少なくとも、私はなんにでもお手軽に感動してしまう自分が好きです。 (自分を自分で好きだというのは恥ずかしいことではない) うらやましいと思ってるということは、 何かに感動したいって思っているのでしょう? たとえ、私の感動できるものを知ったところで 他人には何の役にも立たない。 それは自分で探し出さなくてはどうしようもない。 たくさんの小説やマンガ、映画、いろんなメディアに接してますか? 結婚するとか、子供を持つとか、様々な職業につくとか、 そういういろんな経験をする気はありますか? そういうところから、いろんなタイプの感動が生まれてくると思うのです。 ------------------------- 結婚するとか子供持つっていうのは、必ずしも経験したくてもできない人もいる。結婚は相手もあることだし、子供に至っては不妊の人もいたりするから。ただ、私はそれらは比喩として掲げただけで、いかに多くの経験を、どんな経験でもいいから、経験を多く体験することが感動を呼び込む突破口にもなると本気で信じているわけ。新しい経験を怖がるこの私がそう思うのだから間違いないことだと思う。感動したいがために経験してみるのもいいかなあって。それは、ガクトさんが言う、その向こうの幸せを掴むために痛い思いや辛い思いを率先して体験するのと同じことなんだと思うよ。 それにしても、この時の私の言葉は今では考えられない言葉使ってるよねえ。「ゲスの勘繰り」だってさ。(笑)しかも、書き込む文章を変えてああいった文章になったみたいだけど、線で消されたもともとの原文はもっとひどい文章だった。「あなたのような人をゲスの勘繰りというんです」って書かれてあったから。さすがに書き込む時に、それは相手を誹謗中傷する言葉だと思い直したんだろうね、書き直したということは。もっとも、書き込まれた文章もけっこう中傷文だと思うんだけど。 あと、「ものすごい事を書く」っていうの、それについての会話をおぼろげながら思い出した。つまりはエロ関係のものすごいことを書くって相手は思ったようで、そういうのがあまり好きじゃないという相手に言い訳めいたこと書いたんだよね。やっぱ、あんまり知らない人に自分はスケベなんだってこと知られるのが恥ずかしいと思ったんだろうなあ。それに、あの頃は小説で残酷な殺戮シーンとか書いたりしてたから、そのことで「ものすごいことを書く」というつもりでその言葉を使ったわけだけど、今思うと、あのころ書いていた残酷シーンはそんなに大したことはなかった。後に、ラヴクラフトに詳しい作家さんのオカルト小説を読んで、トラウマになりかけた内容だったこともあり、いかに自分の残酷シーンが大したことなかったか思い知ったもの。 でまあ、エロ関係の「ものすごいことを書く」は、これはけっこうそうだったみたいで、そこまで書くと、これは体験談かと思われたりしたものだったけど。いやまあ、多少は経験も入ってたりするけど、ほとんどはいろんな資料で疑似体験としての内容を書いただけだったのだけどね。エロ関係は割と自信もあったりする。ただ、これは万人に受け入れられないところがあったりする。そういうのは絶対受け付けないって人もいたりするから。最初はそういうのが許せなくて、どうして読んでくれないのか、悔しく思ったものだった。エロ小説でも、自分の中では一番よく書けてる小説だったから。それを、ただエロ小説だからというだけで、読む価値もないと思われるのが悔しかったから。 ---------------------------- 2012年04月20日 10:05 *明るく、明るく、生きていこ 「お前には無理だ」って言われながらも書いてます。 いろんな人が指摘してくれるように 私の日本語はどっかおかしいらしいんですよ。 それは、物書く上では致命的な欠陥じゃないかと思います。 でも、それでも書きたい。 友人たちには中学の頃から話してます。 とりあえず応援してくれてます。(半分ひやかしかも) 親にはようやく最近打ち明けることができました。 自分のやるべき仕事をおろそかにしないならやってみれば、だって。 ある人に言われました。 「物を書いて公にしていこうとしたら、なにかしらの反論とかは出てくるものだ。 それを怖がっていたら自分の書いた物を発表することはできない」と。 話をもとに戻します。 たとえば、思うようにストーリーが進まない。キャラが動かない。 そういう単純なことで苦痛を感じている。 たとえば、今書いているものが自分の書きたいものではない。 これはプロの作家でない私たちにはありえないことだ。 しかし、いずれにしても、投稿する人間にとっては、 どちらも重要なことではなかろうか。 いくら書きたいものを書いたからといって、 あるいは自分自身おもしろいストーリーだと思ったとしても 投稿するからには、認められなければ意味はない。 投稿せずにひっそり書く人間は、 その人なりに生きる術として書いているのだろうが。 --------------------------- まあ、だからといって、投稿する人間が偉いという訳でもない。ただ、投稿する原稿は、少なくとも他人に認めてもらえるものを考えて書かないとなあという思いがあったりする。でも、それさえも考えずに書けばいいのではという気持ちもあったりして、どうすることが一番いいのかなんてほんとわかんないわけだ。 書くという世界は難しい。こうすればああすれば必ず成功するとは限らないからだ。どんなに素晴らしいものを書いたとしても、それを好まない人はいるし、どんなに酷い内容、文章だったとしても、それを称賛する人もいる。だから、正解がない世界だから、あとはもう自分が「こうだ」と思って進むしかない。それで誰も認めてくれないのなら、もう書くのを諦めるか、認められなくても腐らず自分の好きなように楽しく書いていくか、それしか道はない。 | ||