2012年04月19日(木)22:13

晴れのち雨

火曜日、Eさんきてたみたいだけど、今日の休憩に、Eさんが持ってきたお菓子をもらった。出てきたってことは少しはよくなったのかな。それともやはりもう辞めるのかなあ。今日は旦那は夜出勤の二本。明日の昼に戻る。
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2012年04月19日 22:08

*「何故書くのか…」に対して

書き始めたきっかけは、物語のヒロインになりたかったから。
読んでた主人公のように、自分も学校とか日常生活から抜け出して
夢あふれる世界に行きたい、と思ったんです。
今はちょっと違ってきてるけど、本質的に大きく変わったということはないみたい。
ただ、自分も「めちゃくちゃおもしろい!」と思えて
他人にも「おもしろいよ、これ!」って言ってもらえる物語を
書きたいなって思ってます。
たぎる想いを伝えたい、とか、何かを表現したいとか
そういうことも私の心の中には確かにあるけれど、
やっぱり基本は「おもしろい小説」を
自分でも生み出したいっていうことかな。

*精進しなきゃ

私の場合、いろいろやってみて「書く」ことなら
認めてもらえそうだなと思ったから。
私の周りには公に「書いてるぞー」という同世代の人がいなくて
いるのは定年退職したおじいさまばかり。
そういう環境だから、ちやほやされてしまうのよね、若いと。
もしかしたら向いてないのかもしれないけど、
書きたいもんは書きたいのだ。
でもでも、ボキャブラリーは絶対必要だと私も思う。

*ない頭をしぼって考えた

「何故書くのか」に答えて「書く事は辛い」と答えた人がいた。
でも、ほとんどの人が書く事は「楽しい」であって、
「辛い」という気持ちがわからない。
で、自分には理解できないから「辛いなら書かなければいい」となる。
本来なら、そこで終わるはずが(だって誰も辛い気持ちなんてわからないんだからね)
たったひとり、それに賛同する者が現れた。(私ですな)
私は、辛いのにそれでも書き続けることは、
きっと何かあるからだ、という気持ちを持った。
だから、その人を弁護することになったのだけど、
まったくひとりきりだと思ってたところに
少しでも理解を示してくれた人が現れた。
「感動」という言葉を使ったけれど、それは私の間違いで、
あの時の私の気持ちはむしろ「感激」の方がふさわしいと気づいたのはずっと後のこと。
しかしまあ、幸せそうな者は、往々にして他人の嫌悪を誘うものだ。
だいたいが、書くことが楽しいって言ってたヤツが
辛い人の気持ちを本当に理解していると言えるだろうか。
認めてあげたい(っていうと失礼だけど)気持ちに偽りはないけど
きっと私は腹が立っただけだったんだ、ムキになったのは。
ほんと見苦しいよなー。
相手を納得させるほどの筆力がないと、
こういうぶざまなことになってしまういい例だね。
反省して精進するか、それとも作家志望を取り下げるか…よく考えなくては。

PS.いぢめられてぴいぴい泣いてるようじゃ、
   この世界(作家)じゃ生きていけないもんなあ。
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これ以降も続くんだけど、けっこう辛辣なこと書いてたよなあ。今じゃ絶対書かない書けない言葉を。最初は怖いもの知らずだった。まあ、それで「イタイ奴」認定されてヲチの対象にされてしまったのかもしれないけれど。まあ、実際にイタイ人間であることは間違いない。

ただ、それでもやっぱり本当のところは、書くことが辛いなら書かなきゃいいっていうのは私も思っていたことではあったよなあ。それで言い合いみたいなことになったこともあるし。あの頃の私は書くことが辛いなんて思ったこともなくて、楽しくてしかたなかった時期だから。後に書きたいのに書けないという辛さは味わうことにはなるけれど。それは書くことが辛いというのとはちょっと違うと思う。

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