2009年11月22日(日)07:06
曇り。

昨日は行ってきた。ユニクロではなく、そのお隣の100萬ボルトへ。粗品はフードプロセッサーをもらった。別にこれがほしかったからというわけじゃないんだけど、ただ、せっかくだからともらっておいた。他にほしいものもなかったし。息子が岡山に行くことになったわけだから、新しくPCを買わなくちゃなあということで、ノートPCを見に行ったのだ。とはいえ、買うのはまだもうちょっと先だけど。ということで、こまごまとしたものを買うことに。今度ガクトさんの出る番組を録画するんで、地デジ対応のDVDも買ったし、息子が新しいイヤホンがほしいっていうからそれを買ったり、旦那もいろいろなんか買ってた。

それから今度は新しく新装オープンするというスタンドに寄って、ガソリンを入れてもらって灯油も買って、バケツ一杯の粗品もらった。ラップとかテッシュボックスとか数点入ってた。ついでにかわいいバケツも。

それから車屋さんに。マツダの車屋さん。今度新しく買おうとしているのがデミオっていう車で、それの見積もりをしてもらうために。すると、うちの担当をしてくれたスタッフさんが旦那の高校時代の同級生だった。なんかいろいろよくしてもらったよ。ということで、そこで契約してしまうことに。5年ローンで決定。納車は2週間後くらいだそうだ。今度24日に銀行印をもらいにその人来るって。そこで、車庫証明のことなんだけど。今の車を購入する時のこと、あまりよく覚えてなかったんで、帰ってきたときに丁度うちの管理人している104の奥さんに出会ったんで聞いたら、あとで旦那さんに聞いてみてくれるって。そしたら、その後、うちの旦那さんがKさんちに行ったあとに104の旦那さんがやってきて、県営住宅駐車場決定通知書を出せばいいらしい。で、新車がきてナンバーが変わったら、それを県に変更届を出すということになると。6年前の時の日記を読み返してみたんだけど、あの時はAさんが持ってきてくれた用紙に管理人さんの署名捺印となってたんだけど、あの時はまだ駐車場は有料じゃなかったんで、その関係もあるのかなあ、通知書だけでいいのは。

さて、車屋さんの次はプラント近くの神楽(からく)でラーメンを食べた。けっこうおいしかった。食券を購入してお盆とハシを持って並んで待って自分でそれをテーブルに持っていくという流れのラーメン屋さんでした。自転車で食べにこれるから、またいつか一人でも食べにきてみようかなあ。でも、一人で食べるのもつまんないし。やっぱ旦那と食べに来るかも。そこを出たら、今度はプラントでうちの買い物してしまった。夜はババさまんちでご飯なんで、大きいものとか重いものを先に買ってしまおうってことで。ということで、旦那の野望(笑)だったホットカバーを買うことに。そうそう、プラントでは福山さんの「化身」を買いたかったんだけど、それはなかったんで「RED×BLUE」を買った。

昨日はジジさまの命日だったんで、みんなで墓参りしてお墓の掃除もして、それからプラントに夕飯の買い物に行ってババさまんちでご飯。息子は墓でジジさまに就職決まったことを報告したらしい。旦那も何を報告したのか、ちょっと長い間手を合わせてた。私はというと、結局何も報告しないまま、手を合わせただけだった。まあいつものことなんだけど。私の思ってることなんてきっとジジさまには筒抜けだと思ってるから。やっとここまできましたよーって。

さあて、今朝は8時から集会所の掃除。めんどくさいけど頑張ってこよっと。あと、今度の火曜日は階段掃除。あ、車屋さんが午前中くるんだったよなあ。早めにしてしまっておかないと。9時までにやっつけてしまうか。






2009年11月22日07:14

『なんか、ネットでいろいろ書いていたら過去記事がたまっていって、自分では「え?それもう何年前の話?今は考え変わっちゃったし、全然キョーミないし、関わる気もないし」みたいな事柄についての記事も、削除しないでそのままおいてたりします。そういうのをたまたま検索やどこかのリンクでみつけて読んじゃうと、私が今でもそう考えてたり、そのことに興味があったり、関わりたいと思ってる、と受け取られても仕方ないのかなと。いや、仕方ないんですが。』「Fragments 潮時を知る人、知らない人」より引用

私などは見つけてきたおもしろそうな人の書いた日記などは過去ログから順番に読破していくほうなので、どうしても時系列で興味のあることに言及してしまうことになる。そんな感じで今までにも読んだ日記の過去ログを取り上げて「この人はこう言ってるけど、私はこう思う」的なことを書いてきたことも何度かあった。そうなるとやはり言及相手から「あれから何年も経っているので、あの頃の考え方とは違ってきているんですけど」と言われたこともある。まりねこさんのようにしかたないよなあと思ってくれる人ばかりならば私も気軽に「私はこう思うよ」と書けるのだけど、中には自分を誤解されたくないということで過去ログをあっさりと削除してしまう人もいるだろうから、私としては楽しみな日記読みを断念せざるをえないことで、残念だなあと思ってしまう。まあ、そう思うなら、書き手の嫌がることをするなよということなんだろうけれど、どうしても私は語りたいと思ってしまったら、相手の意向など確かめずに好きに書いてしまうんで、うーん、やっぱ私ってば誠意のない取り上げ方をしているということは確かなのかもなあと思ってしまうな。さすがに私も感情のある人間なので、自分のしていることを完全否定されたら腹も立つのだけど、それでも私は書きたいとなったら好きなように書いてしまうんだから、そりゃもう嫌われるのは覚悟の上で書いていくしかないわけだ。うん、でもまあ、覚悟っていっても覚悟だって本当は別に持たなくていいじゃん、とも思う。嫌われたら素直に「むきー」となって、そんなに私ってダメですか?どーして?私ってそんなに嫌われるようなことしてますか?なんて往生際の悪いことだって書けばいい。誠意がないって言うことだって素直な意見。そして、それを言われた側のやるせない気持ちを言うことだって素直な意見。まああれだ。素直対素直で泥沼的なことになってしまうのはしょうがない。結局はどっちもどっち、どちらにも思いやりが欠けているからこんなことになる。けれど、思いやりっていいことばかりじゃないと思うんだよね。思いやりがあったら、互いに相手に何も言わないでしょ、自分がいやだと思ってることなんてさ。けれど、言わないでいたら、相手はいつまで経っても、こっちが「そういう思い」を持っていたなんて気づかないわけで。いずれはそのことで他からバッシング受けてひどいダメージを受けてしまうことにもなる。だとしたら、はっきりと自分は「こう思ってる」と突きつけるのも思いやりってことにもならないかなあ。まあ、つまりはその時その時の相手次第で思いやりの形も変わってくるってことなんだろう。でも、私に対しての思いやりは「好きに言えばいい」ってことなんじゃないかと。人によっては、その人の悪いところを辛らつじゃなくてやんわりと指摘したとしても、その行為が思いやりにならない場合もあると思うんだ。その人には言わないことが思いやりっていうこともね。けれど、私に限りは言うことが思いやりになる、と思う。確かに、言われたことでこの私はかなり荒れるよ。もうね、思いっきり荒れる。過去にはあまりの荒れようで相手がびびってしまったことがある。私の荒れ方を見てめちゃくちゃ傷付いたって言われた。けど、あの頃のような荒れ方ももう今はする元気もない。だから、私を突付いたとしても、そんなに荒れることはないのでご安心ください。って、誰も私のことなんて怖いとも思ってないって?そりゃどうもすいませんでした。(って、別に言われてもないくせに。てか、相手もされてないだろうし)

ううむ、やっぱり話がズレてきたぞ。

ええと。ちょっと軌道修正。つまり、私の場合に限りなんだけど、私はその人が書いている考え方とか興味の対象とか、そういったものを書かれたものを読んで、その人が今でもそうなんだとはあまり思ってないんだと思う。そこに書かれていることが、私と考え方が違ってたりした場合、その考え方に対して、いや、私はこう思うと語るだけであって、その人が今でもそうであるかというのはどうでもいいと思ってるんじゃないかなあって。まあ、だからといって、その人に興味がないというわけじゃなく、興味があるからその人の書くものを読んでるんだけど。「考え方変わったよ」って言ってもらえれば「ああ、そうなんだ、変わったんだ」と、その人自身の情報として知れることは私にとっても嬉しいことだし。相手も私の自分に対する誤解を解消できるということで、私としても、「今は考え方変わったよ」と言ってもらえるのは助かる。時系列で読んでいってもなかなか考え方が変わったということはわからないかもしれないからねえ。やっぱりその時に書いた考え方のところで注釈とか入れてもらって「現在はこれこれこういうふうに変わってきてますが」と付け加えてもらえればわかりやすいと思うし。ただ、あまり自分の日記を何度も読み返すっていう人はいないだろう。私なんかは読み返すほうなんだけど。で、読み返していて自分の考えが明らかに違ってきているというところは追記として書くんで、過去ログを読まれることは嫌なことじゃない。ただ、それはけっこう大変な作業だと思うんで、私としては読めなくなるんで残念ではあるんだけど、自分をちょっとでも誤解されたくないという人であるなら、過去ログを削除しつつ日記を書いていくこともしかたないかなあとは思う。無理強いはできないからね。けど、今までにそんな感じで読破していこうと思ってた日記がいくつも削除されてしまって、別に私が取り上げたから削除されたわけじゃなくても、ちょっと後ろめたい気持ちにはなったものだった。それもあって、私もなるべくなら削除しない方向でこれからもやっていくつもり。サービス側が削除してしまうことはどうしようもないけれど。

『私の知っている人のブログもなくなってしまいました。
誰が何を言っているかもわからないネットのあれこれなんかより、リアルライフのほうが大切なのに決まっています。きっと潮時だと思ったんでしょうね。けど、そうやって飽きたりトラブルを起こして閉じては、別の名前で別のブログなどを再開する人も多いそうですが。
なんなんでしょうね。
露出癖?目立ちたがり?
そういうものが強くある人もいそうです。悪いことではないですが。いや、私もたいがい、「私を見て」な人だと思っていましたが、もちろん世の中、上には上が。私の欲など、小さい小さい(笑
痛い目に会ったり、ライフスタイルが変わって、これはもうネットから足を洗う潮時ってもんだろう、と周りが考えるような環境にある人でも、さらにさらにズブズブのめりこんで行く人もいますし。
私?そうですね、潮時を知る普通の人でありたいですね。』「Fragments 潮時を知る人、知らない人」より引用

潮時っていうのは私にはわからない。でも、私は普通の人だ。確かに、露出癖はあるし目立ちたがりではあるけれど。それでも私は普通の人間。こんな私なんてどこにでもゴロゴロしてる。どちらかというと、そういった露出する人とか目立ちたがりな人が私には普通の人に見える。というか、普通じゃない人ってそんなにいないような気もする。じゃあ普通じゃない人ってどんな人だろう。たとえば犯罪を犯してしまう人?それでも、誰某容疑者は普通の人でしたという声はよく聞くんで、犯罪を犯すから普通の人じゃないというものでもないんだろう。普通ってなんだろうな。どういうことが普通なんだろう。たぶん、誰一人として「普通とはこういうことだ」とは断定はできないんだ。昔の私は普通でありたくなかった。人とは違っていたいという気持ちが強かった。自分は特別な人間になりたいって。というか、自分は特別なんだって思いこんでいた。それは子供の頃のことなんだけど。大人になっていくにつれ、そんな理想の自分とかけ離れた普通の自分を見つけてしまい、絶望したものだけど、普通じゃない人は平穏な生活は望めないだろうなあと思ったら、今の私は平穏に暮らしていくことこそが最大限の目的でもあるんで、今はごく普通に生きていきたいと思っている。ただ、自分が考える普通が人とは違っていたら?それを思うと、やっぱり「普通」ってどんなことが「普通」なんだろうって思ってしまう。たぶん、私が他人の日記を読みたいと思うのも、他人の思う普通とは何だろうって読むのかもしれない。それだけじゃなく「普通」以外のことでも、自分はこう思ってるけど他人はどう思ってるんだろうということを知りたいから、読みたいと思って読んでるかもしれないな。








画像提供サイト/Pearl Box

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