2009年11月11日(水)06:59
雨。

昨日の出勤時には雨は降っていなかった。それから仕事中に土砂降りの雨が降ってきだして、5時に帰る頃は少し小降りになってはいたけど、風が出てきだしていた。でも何とか家に帰るつくまではひどくはならなかった。夜が深まっていくにつれてだんだん風とか雨とか激しくなっていって、今朝はかなりの激しさ。風、おさまってくれないかなあ。せめて息子が登校する頃までには。あと、昼から買い物に行くときにも雨はしかたないとしても風だけは何とかなくなってくれればと願う。旦那は9時半に起こす。私は今日はお休み。いろいろ書きたいものはあれど、気持ち的には録画しているサスペンスドラマが見たいな。体調もあんまりよくないし。まったり過ごしたいものだけど。やっぱ雨と風がユウウツを呼ぶ。やな感じ。ますます気分が落ち込む。






2009年11月11日16:59
怒涛の更新をしている誰かさんに触発されたということでもないんだけど、でも、たぶん、その人の書いたものを読んだからこんなバカげたものを書こうとしているのも確かではある。とはいえ、その人のせいじゃない。これは自分がそうしようと思って残しておくログである。その人に責任はない。ただ、こんなふうに書くと、その人がもし自分のことかと知ればいい気はしないだろうし、たとえその人が何にも感じなかったとしても、第三者は私を非難するだろう。他人のせいにしている、と。あるいは、他人のせいにしないのであればそんな前書きなんぞ書かずにいきなり核心を書けよ、と。ということで、こんな前置きを書いている私に不快感を抱くだろう。けれど、毎回毎回うざがられるほどに言うけれど、これが私だ。そして、自分のために書いてる所以でもある。今から書くものはたとえ言及でもなんでもないとしても、「それ」を読んだから書こうという気になったということで。もっとも、それならばちゃんと「どれ」を読んでそうなったかのタイトルとリンクをはるべきなんだろうけど、それはちょっとしないほうがいいかなあという私の中での判断でその都度決める。だから、今回はリンクはらない。それに、かなり読んだものには関係ないことを書くから。

という、いつもの前置き。

今回ひとつのリンクをはる。相手にとってはたぶん不本意なリンクだろうし、なにするんだと思われてもしかたないリンク。ただ、引用というか、その人の発言を公開することで、その人が私に抱いている私のイメージというものが、私のことをよく知らない人にとっては知っておいてもらうにはいいかもなあということで、あえてリンクをはる。私はそれくらい最低な人間なんですよというひとつの判断材料として。まあ、いわばこれも不幸自慢になりますかね。私はこれくらいしょうもないどうしようもないろくでもない人間なんですよってことで。

『小町でこんなトピ発見
「嫁が心を開いてくれません」


今はもう遠い誰かを彷彿とさせられます…。
人間関係クラッシャー、本人には自覚無し…。
やっぱり発達障害とか、機能的な問題なんですかね?
こういう方ってどうしたって直らないんだろうなぁ。
周りも本人も不幸だ。』(ここより引用)

リンクした掲示板は恐らくいつか消えてしまうだろう。それもあって、引用しておくことにした。いつもならローカルに保存しておくのだけど、今回はこんなふうに公開の場所で保存。

「今はもう遠い誰か」は私だ。間違いなく彼女は私のことを言っている。名前を書いてなくてもわかっていることだ。だって、その発言がそこで出てくる意味がわからないから。私がそこを見ていると知っていて書いているとしか思えないからだ。彼女は知っているんだから。私がそこを見ていると。見ているから私も書かれていることを発見したんだから。

私は普通の人間だ。けれど、何度も言うけど困ったチャンなところがあることは認める。けれど、大多数の人は私までとは言わなくても、私のようなところはまったくないとは言えないんじゃないかとも思っている。もし私がそんな病気があるとしたら、リアルで普通に生活していくことはできないんじゃないかと思う。引用の中でもリンクされている小町でのその人だって、問題のある性格であるだろうけれど、普通の人だと思う。大なり小なりそういった困ったところはみんな持ってるはずだし、その問題なところも、気になる人だっているだろうけれど、気にならない人だっているはずで、付き合う相手が合わなかったことによる問題でしかないと思うんだよね。ただ、家族にそういう合わない相手がいる場合確かにどちらにとっても不幸ではあるけれど、これではいかんと思ったほうが離れるしかないんじゃないかなあって。離れられてしまう人にとっては不本意で、自分は悪くないんじゃないかと思ってたら、どうしたって誰かに自分の気持ちを聞いてもらいたくなる、私もそんな聞いてもらいたいタイプの人間。場所が小町じゃなかったってだけで、私もまた似たようなこういった場所で今まで書いてきた。もちろん、私に同情的な反応をしてくれる人もいたけれど、ちゃんとたしなめる人もいた。私の気持ちとしては、やっぱりたしなめられる、叩かれるっていうのは確かにつらい。けれど、それはしかたないことでもあるよなあとも思った。

ただ、本当に反省しているのなら、こんなふうに自分の気持ちを公開された場所で書くべきではないというのは、言われたくない。いや、言われたわけじゃないけれど。けれど、自分のことを書けない人だっている、とか、書ける人は同情を集めやすいのだから私のように書く人はいいよねとか、そんなようなことは聞いたことがある。でもね、書ける人が同情を集めやすいって、別にそうでもないんだよね。書けば書いただけみっともないと思われることのほうが多いし、黙ってしまった人に同情が集まるってことだってあるんだよね。私は書かなくちゃ自分の気持ちを整理できない人だった、ただ、それだけのことだったんだよ。自分の気持ちを書けない人のことなんて考えてるヒマなんてなかった。自分のことだけで手一杯で。私は自分を守ることだけしか考えられない奴なんだよ。それがイヤなら離れてよ…そりゃそれもほんとはイヤだけど。離れられてしまったら、それはそれでまた吐き出すんだろうけれど。私に好きになられてしまったことは、その人にとって不幸だったということなのか。そうは思いたくなかった。思いたくなかったけれど、確かに不幸だったんだろうな。だから、結局はそんなふうに「どうしたって直らないんだろうなぁ」と言われてしまうんだ。

でも、それでも、私は今でも彼女が好きだし、彼女が心安らかに生きていってくれることを心から祈っている。

だから、最後にここで取り上げて言葉を綴ることで、本当に最後にしようと思う。しばらくは掲示板も覗くだろうけれど、その掲示板が消えてしまったら、もう私には彼女がどこでどうしているのか知りようもないんで探すこともしないし、もう関わらないようにしたい。彼女に贈りたいと思っていたものがあったんだけど、それも諦めることにする。彼女は知らないだろうな。私がガクトさんの「Missing」を聴いて、彼女と「彼」のことを想って号泣したことなんて。どうして私が泣いてしまったのか、なんて。「Missing」の歌詞カードのバックで心持ち下を向いてタバコをふかしているガクトさんが「彼」のようだと思ったことも。

ねえ、貴女。貴女は「彼」が消えてしまったら私を許さないと言ったけれど。「彼」が消えてしまっても私を許さなくていいから、「彼」のことは許してほしい。というか、許すも許さないももしかしたら「もう関係ないし」って貴女は思うかもしれないけれど。

『君を離さない…離したくはない…』とガクトさんが歌う。
傷つけることでしか自分の存在を感じられない「彼」は、暗闇で怯えていた貴女に手を差し伸べることで、「彼」自身もまた暗闇で怯えていた自分を貴女に救われたんだよ。
けれど、「彼」は貴女から離れてしまった。
それをそう仕向けたのは私だ。
「彼」は私のせいじゃないと言ったけれど、間違いなく私のせいだ。
だから、憎むなら「彼」じゃなく、私を憎んで。
私はそれくらい酷い事を貴女にしたんだから。
離れることがそんなにも辛いことなんだと「彼」は言った。
ガクトさんが歌うように。
いつも落ち着いた言葉を紡ぐ「彼」が悲痛にそう言ったんだ。
私は胸が張り裂けそうだったよ。
辛い、辛いと血の滲むくらいに悲痛な叫びだった。
もう遅い。
気づくのが遅くてもうどうしようもなかったと。
だから、「彼」は貴女が自分ではない誰かと幸せに過ごせることを祈ってた。
本当は自分と一緒にいることで幸せにしたかったのに。
でもそれは叶わないのだと悟ったわけで。

私は貴女に「幸せに」とは言えない。言う資格はない。
だから、私のことは忘れてしまってもいいし、忘れられないのなら、徹底的に憎んでもいい。
けれど、「彼」のことだけは忘れないで。
そう願うことは無理なことだとしても、どうか「彼」のことだけは忘れないでほしい。


Missing〜笑顔を見せて〜

私に見せなくていいから
貴女に笑顔が戻りますように
心から祈ってる






2009年11月11日22:11
ついったーでこんなポストを見た。

『ネットゲームと人生について。この文章好きだな。僕じゃ書けない。』

そこにはってあったリンクがこの記事。→>「ネットゲームを辞めた - コトバにしよう」

私はネットゲームはしたことがない。リアルでアンジェとかミストとかそういった感じのゲームに一時期はまったことはあった。それは仕事を辞めた1997年の頃。仕事を辞めたことで好きに使える時間ができ、小説の執筆とゲームとで一日中そればっかりだった。朝、旦那が仕事に出てから洗濯や掃除などしつつゲーム、お昼ご飯かっ込んですぐにゲーム、息子を保育所に迎えに行くまでゲーム、とにかく昼間のほとんどをゲーム三昧。さすがに旦那が仕事から戻ってきた後はやってなかったと思う。たぶん。そこらへん実はよく覚えていない。あの頃の私はゲームしている時の記憶はよく覚えているけど、それ以外はあまりよく覚えていないんだよね。仕事を辞めるちょっと前までは少し私もおかしくなっていて、一度駅のホームから飛び込んでしまいそうになったくらい仕事でノイローゼになってしまったことがあったから。それは何とか立ち直ってしばらくは仕事も慣れたようで、死んでしまいたいと思うほど追い詰められることはなかった。でも、やはり時々やりたくない仕事があったりすると精神的に不安定になってしまうことはあって、このままではいつか辞めてしまわないと本当に私は死んでしまうかもしれないという危機感は抱いていた。だから、やっと仕事を辞められて、私は有頂天になってゲームや執筆におぼれていたと思う。まるでそうすることで自身を癒すかのごとく。だからなのかな、今はまったくゲームには興味がない。それに、私は、どうもそういったゲームに向かない性格でもあるみたいで、他にはまるものができたからゲームにも興味なくしてしまったんだろうと思う。今はアンジェとか好きだったゲームでさえもやりたいとも思わなくなってしまった。だから、ネットでゲームにはまることはなかった。ただ、私は別のことでネットではまったことがある。それが書くこと。掲示板で書きたいことを書いては誰かに反応もらって、それに対してまた自分の考えなどを書いては会話することにはまった。チャットにははまったことはない。リアルタイムでやり取りする能力は私にはなかったんで、掲示板でのタイムラグのあるやり取りやメールでのやり取りにはまったものだった。ただ、まだネットを始めた初期の頃は常時接続環境じゃなかったんで、それほどはまりこんでいたということはなかった。

そのうち常時接続環境になったこともあり、今度は自分のサイト作りにはまって夢中になった。同時にサイトで日記を書くことにも夢中になり、毎日長文な日記を書くようになった。どこかのランキングでかなりの上位になったこともあって、自分の書くものはおもしろいんだと天狗になった。その頃は特に梓さんの日記を毎日のように取り上げて書いてたから、たぶん、その関係でヲチされてたんだろうと思う。だから、ランキングで上位になったのも痛い人という目で見られていたんだろうな。そのことに気づいたのが、梓さんの日記がもとで炎上した時だった。2ちゃんのスレで私のことが書かれているとある人から聞いて覗きにいって、そこに書かれていたことを見て初めて自分が痛いことを書いている人としてヲチされていたんだと知ったから。ただ、その時は頭に血が上ったけれど、あとでよく考えてみたら、ヲチされることは本当は不快だとは思ってないと気づいた。突付かれない限りは好きなように見てもらって自分たちの領分で好きに叩けばいいと思ったから。私も好きに書くから。互いに互いの場所で好きに書けばいいじゃんって。だからなんだろう。炎上して一時期はいろいろ書くのにためらいが出たけれど、結局はまた書き出した。

次の舞台がライコス。そこで再び書き出した。今度は以前に比べてもっと大量な文章を書いていた。複数アカウントでキャラを演じ分けて書き続けた。そのキャラごとに繋がりを作っては交流していった。その頃はもうワヤだったな。それ以前は昼間は誰もかれも学校や仕事で相手してもらうってことはできなかったけれど、ライコスでは主婦もたくさんいたし、若い人でも学校や会社でもネットのできる環境だったこともあり、四六時中相手をしてもらえたこともあり、私はそのネタとして日記を大量に放出していた。普通の日記、過去の日記、ポエマーな日記と一日何十ものエントリを上げてはそれについて読んでくれた相手と会話したり、私もまた相手の日記を読んでは語ったり会話したりと、とにかく一日のほとんどをネットにかじりついてたな。というか、その頃から少しづつリアルでの生活が崩れ始めていて、それから逃れたい一心でネットで何か書くことにのめりこんでいたんだと思う。それがしばらく続いた。再び仕事に出るまで。その狂気めいたネット依存症は2005年まで続いたな。

結局、私を依存から救ったのはリアルでの平穏だったんだと思う。2002年の春に酷く体調を崩して胃カメラを飲むはめになった頃、確かにネットでの友人たちの存在も私を救ってくれはしたけれど、どんなに彼らが心配してくれても、最終的に私を病院に向かわせたのは旦那の抱擁だった。そして、「早く元気になってね」と手紙を書いてくれたまだ小学生だった息子だった。ネットで何か書くことは確かに私の精神を救ってはくれるのだけど、時にあまりにものめりこんでしまって、旦那のことも息子のことも疎かにしてしまっていたと思う。2002年当時はそれに気づいてなかった。それに気づかずにいたから、その後に起きてしまう一連のトラブルは、私の目を覚ますために起きたことでもあったのかもしれない。なんて、またしても都合のいいことを言ってるよな。たぶん、当時トラブルに巻き込まれた人がこれ見たら呆れ果てることだろう。けれど、私はそれくらいの経験をしないと気づかない大バカ野郎なんだよ。だから、私もネットというツールを全面的には否定しない。私はネットで痛い目に遭ったことで救われもしたし、何が大事なことかを気づかされたわけだから。

リンクした記事のラストに書かれていたこの言葉。

『どんなものも同じです。

使い方と程度次第で、どっちにも転ぶんです。』

本当にそうだと私も思ったよ。すべてののめり込みを否定はしないけれど(それが芸術になりうることもあるから)、確実にのめり込んではダメなものもあるって。ギャンブルとか、ね。だから、時にはのめり込み、時には程々に。それが大切なことなんだろうな。


ところで、蛇足になってしまうけれど。どんジレさんの「僕じゃ書けない」という言葉は、以前、私も他人に言われたことがある。私の書くものも誰かにとっては「自分には書けない」となるみたいだ。それはノイズに限らず、別のキャラで書いていた時にも言われた。私の場合は文章で、というよりも、書いている内容がそう思われる傾向があるらしいんだけど、確かに苦手なことは私にだって書けないことでもあるんで、私の書くものだって苦手で書けないとなることもあるかもしれない。でも、私は難しいものを書いてるわけじゃあない。だから、自分にはあなたの書くようなものは書けないなと言われて、嬉しく思う反面、自分に似た人は書けたりすることもわかってるんで、ちょっと複雑な気持ちになったりするんだよねえ。私は私だけにしか書けないものを求めているところがあるのかもしれないから。もっとも、そんなことなんてできやしない。もし書けたとしたら、私がいったい何を書いているかなんて、きっと誰一人理解する人なんていなくなってしまうんだろうな。でもまあ、考えてみたら、今だってほとんど誰も私の書いたものに言及する人はいないんだから、自分にしか書けないものを書いているようなものかもしれないけれども。と、自嘲気味。(笑)







画像提供サイト/Pearl Box

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