「辺境警備」を読み終わった。その6巻にこんな言葉が書かれてあった。
『闇を知らぬ人間を決して信用するでない。世の暗黒から顔を背け、心の闇を直視せぬ者には闇を乗り越えることもできぬのじゃ─』
私が正論しか言えない人や正義ばかりを声高に言い立てて正義から離れた人間を責めることしかしない人に嫌悪感を抱くのも、この世が清く正しいばかりの世界ではないのに、まるで臭いものにふたをするようなことしかせずにそれが正しいのだと、己の正しさばかりを提示することが本当に正しいことなんだろうかと思っているからだ。それは、私が自分をいい性質の人間ではないからと知っているからであり、正義しか生き残れないという考えを認めてしまったら、私は生きてはいけないのだと認めてしまうことになるからでもある。
ただ、正義を間違っているとは言いたくない。私だって多くの人が「それはどうかと思う」と言うものに嫌悪感を抱いたり、それは悪だと非難したりすることだってあるから。いい性質ではない私であっても、純粋な悪人というわけでもないからだ。純粋な悪の存在であるのなら、凶悪な犯罪に手を染めたりして、ここで普通に主婦なんてしていないだろう。まるで映画の世界のような環境で毎日ドンパチやってたりするかもしれないしね。私は、ただの困ったちゃんというだけな存在なんだから。しかも相当なチキン野郎。自分を守るためには言い訳だってその場しのぎの土下座だってなんだってやる。そういうチンケな奴なのだ。
そんな私が、正義を持って誰かを裁くだなんてできやしない。それは他の人だって同じだ。人を裁く裁判官だって本当なら誰かを裁くことなんてしちゃいけないんだと思う。けれど、社会の秩序を保つためには裁かなくちゃならないわけで、そのために公平に裁くために専門家として勉強してきて正義を行使する権利を持ったわけだから。それまでどうのこうのとは私も言えないだろうとは思っている。そうじゃないと好き勝手に悪いことをしでかす人たちが蔓延ることになるからね。
ただ、正義ばかりしかなくて、悪から目を背けて自分はそういうものとはまったく関わりない、清く正しく生きていると疑いもなく信じている人に対して、それって本当にそれでいいと思ってるの?と思うだけだ。もちろん、そう見える人だって実は心では葛藤しているのかもしれないけれど、とりあえず見た目はそんなふうにしか見えないわけだから、もう少し謙虚になって他人を糾弾するのはやめたほうがいいのになあと思わずにはいられないわけ。
たぶん、私がのうのうと生きていられるのも、そういったカオス的なところがあるからなんじゃないかなあとも思っている。悪を徹底的に否定して正義ばかり貫こうとするのも、悪だけしかなくて闇世界ばかりで生きていこうとするのもどちらも等しくこの世界では生きていくことはできないんじゃないかなあって。正義に従わず悪にも染まらないどっちつかずな人間こそが一番強かに生きていけるのかもしれないなあって、そんなふうに引用した言葉を見て思ったよ。
世界最強な剣士であるシモラーシャになりたいと願った私は、たぶんその生き方を本能的に悟っているんじゃあないのかと、だから、私はこの世で一番強くて幸せな人間なんだろうなあ。うん。そう思うとなんか元気出てきたな。ほんと単純。(笑)
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