2009年10月14日(水)08:17
晴れ。

昨日は10時半くらいに旦那さん整形外科に行ってきました。私が出勤する頃には戻ってきました。そしたら、やっぱりぎっくり腰だったみたいで、貼り薬や飲み薬をもらってきてました。あと、コルセットも。市販のものよりやっぱり病院の薬は効きがいいですよねえ。飲み薬は痛み止めだと思うんですが、飲んでるとやっぱり痛みは消えるそうです。貼り薬もいい感じらしいし。それに脊椎はやられてないみたいでよかったです。ただ、ぎっくり腰も早々には治らないみたいで、何週間かはかかるみたい。仕事大丈夫かなあ。重いもの持つ仕事なのに。

ああ、そうそう、旦那さん新米をもらってきました。昨日、病院から戻った旦那が駐車場から電話してきて、息子に降りてきてくれっていうんですね。そしたら、そのお米を息子に持たせて帰ってきました。昨日の早朝に戻ったときは息子は寝てるわけですから、腰を痛めた自分には持ってあがれなかったらしい。そりゃそうだ。かなりの重さだった。たぶん10キロはあるだろうな。でも助かった。もうお米を買わなくちゃならないときだったんだよね。本来なら月曜に一緒に買い物に行って、そのときに買おうと思ってたのに、結局この一週間は腰を痛めた旦那とは買い物できなくて、自分で買ってくるしかないかなあと思ってたんで。まあ2キロくらいなら持って帰れるしとは思ってたんだけど。これでしばらくもらい物のお米で過ごせるぞ。






さて、昨日は出勤前にガクトさんのPLATINUMBOXのTを見ました。すぐに全部見るつもりはなかったんですけど、Dearsのインフォで映像が見れない場合は問い合わせをと書かれていたこともあり、一応ざっと見れるかどうかを確認しておかないとなあと思って。まあそれでも一気に全部は見れないだろうから、少しづつ見ていくつもりだけど。
それにしても、そのガクトさんのDVDを見たあとに、旦那に「絶対見ろ」と言われていた「ひぐらしのなく頃に」の一話目を見たんですけれど、やっぱダメだわ、このアニメは。そういう系(って、どんなだよ)のだとは知ってはいたし、残酷なのが絶対ダメという私でもないけれど、何だろう、あの絵柄でああいった内容のはちょっとカンベンしてと思ってしまった。まあ、まだ一話目しか見てないんで、これから惨劇となっていくんだろうけれど。見て気分悪くなるってわかっているのに見るバカもいないんで、私はもう一話だけで次は見ないつもりです。
旦那は「絵柄はおまえは好きじゃないだろうけど、内容はおまえ向きだと思うよ」って言ってたけれど、うーん、同じ残酷な内容でも全部いけるくちってわけじゃないんだよなあ。だって、撲殺天使はダメだったもの。たぶん、かわいい絵柄でそういうのってダメなのかもしれない。JETさんのようないかにもっていう絵柄のホラーやスプラッタだったらそんなに見たくないというわけじゃないから。

でもね、今はあまりそういった残酷系のものはきついかなあって思ってる。今の私には「けいおん!」が一番癒されていいなあって。(笑)






2009年10月14日13:31
実名・匿名問題っていうのは何度もネットでの議論では出てくる話ではあるんで、以前にも何度か日記で書いてはいる私でもあります。だから、ほかの人も何度もご自分のテリトリーで書いてきているとは思うんですよね。まったく同じことばかり書いていることもあるし、時間が経って、少しづつ考えが変わったりして、同じことじゃないことも書いてたりもするでしょう。また、同じことであっても、一字一句同じことを書いているわけでもないから、たとえその人の書いた同じ意見を以前読んだからといってそれについて「またかよ」と思う人もそんなにいないでしょう。まあ、いたとしても別にいいんですが。おんなじこと書いててウンザリしたのならもうその人の書くものなんて読まなきゃいいんですからね。
でも、昔のその人のことを知らなくて昔のログも読んでなかったりして、今はじめてその人の書くものに触れることもあるでしょうから、何度も何度も同じ話題について書いても別にいいでしょうしね。というか、書きたい人間は結局はこうやって書いてしまうでしょうし。私なんかは書きたい人でもあるから書いちゃうんですけれど。つーか、気にしないで書く性格ならこんな前置きなんて書かずに好き勝手に語り倒すんでしょうから、とりあえずは「また同じこと書いてすみません」と殊勝にも書いちゃうんですけれど。まあ、ほんとにそう思ってんのかこらとか思われてそうではあるんですが。(笑)

『 これはよしおりさんにというわけでなく、実名で書いた方が良いと主張する人全員に。論点がズレますが、もし自分の子どもが小・中学生の頃から本名でブログをやっていたら止めますか?また自分の奥さんまたは旦那が、自分のブログに子どもの写真を毎日載せていたら止めますか?とある奥様ブロガーから、子どもの写真を通してその家の生活を見られ、いろいろ言われるという話を聞いて、ママ友怖い!って思ったので、ちょっと聞いてみたいなと思いました。』(「re:RE:実名も捨てたもんじゃない - あめだまなめる?」より引用)

10年近く前に初めてネットで書き込みをした時はもちろんHNで書き込みをしていた私です。ネットデビューはヤフーの掲示板でその頃の私のHNは「天慈」ではありませんでした。そのすぐあとにサイトを開設して、そこで「天慈」を名乗るようになったのですが、厳密に言うと○○天慈と名乗ってました。○○は苗字になるんですが、匿名じゃありません。当時の私を知っている人なら誰でもが覚えている名前でしょう。いわゆる実名ですからね。正真正銘の戸籍の名前です。最近になって知り合った人には知らない人もいるかもしれませんけれど、調べればすぐにわかる名前でもある。けれど、あえて私は今は伏せて、ただたんに「天慈」とだけ名乗っています。それは、やはり昔よりは危機意識を持つようになったからだと思います。まあ、いまさら隠したところで一旦ネットに上げてしまった個人情報ではあるんでどうしようもないんですが。だから、どうしても「天慈」として、あるいは「天慈」であるとわかる別のHNで書く場合は慎重にならざるを得ない。それは自分自身を攻撃されることが怖いからというよりも、リアルで私とつながりのある誰かを、たとえば家族や友人に何らかの危害が加えられる危険性があるからでもあるんですが。だから、私はネットで実名を晒して好き勝手なことを書くことには反対派なんです。昔の私は好き勝手に書いていたせいで嫌な目にも遭ったことがありましたから(それはネットだけでなく新聞紙上での発言によってでも、ですが)、その覚悟がない人は好き勝手な自分の意見を書きたいと思うなら実名で書くのはやめたほうがいいよなあと思っています。(だから、実名だけでなく、居場所も明記して発表しなければならない新聞への投稿は完全にやめてしまいました)
この場合の実名は本名というだけでなく、自分がリアルで特定できる立場で、ということなんですが。ただ、本名で書いていれば、どんなに日記などで自分の居場所を特定されないように書いていても、実名というキーワードでどこに住んでいるのかはわかってしまうことでしょうからね。実名というのは、リアルでのその人が「何処の誰であるか」ということであって、名前がどうのこうのじゃないと思うから。

それにしても、まなめっちの記事に書かれていたこの言葉『とある奥様ブロガーから、子どもの写真を通してその家の生活を見られ、いろいろ言われるという話を聞いて、ママ友怖い!って思ったので』というのなんですが、それは写真だけに限らないと思います。私なんかは自分が見聞きしたことはどうしても書きたくなってしまう人間でもあるんで、自分のことを書かれたくないと思う人にとっては、私の存在は脅威となるんじゃないかなあとも思いますし、実際にそういった声を聞いたこともあります。だから、私に自分の書いたものを読まれたくないという人は、私があまりにも好き勝手に書きすぎることが嫌だとか怖いとか思って、それで読まれたくないとなったんだろうなあと勝手にそう思っちゃったんですけれど。たぶん、そんなに間違ってはいないんじゃないかなあって思いますね。

さて、まなめっちはその実名・匿名問題でこんな記事を書いています。

「実名・匿名論争が論じるべきテーマはたった一つ 304 Not Modified」

『実名でやっていることの最大のメリットは、今まで自分のやってきたことがすべて繋がることでしょう。自分、過去の自分、今属している組織、過去に属してきた組織。そこからひょんな出会いがあったり、仕事に繋がったり。実名でなければ、過去と今を繋げることができないですからね。

匿名でやっていることの最大のメリットは、匿名でやっていることを実名の自分との繋がりを切り離すことができることでしょう。別に、実名の自分と繋がると良くないことをやしているからではありません(それが目的の人もいるかもしれませんが)。もし、何か失敗を起こしてしまったときに会社に迷惑をかけないためです。』

ここでいう実名は本名ではなく固定の名前のことでしょうね。まなめっちでいえば「まなめ」私でいえば「天慈」がその固定の名前です。たとえば、私がほかの名前で何か書いていたとしても(実際いくつか書いてはいるんですが)「天慈」という名前がゆるぎなくずっとあのサイトで掲載し続けている限り、この名前の人は実は「天慈」なんだよってなればそこに繋がりができるわけです。もし、別の名前で書いている私のことしか知らなかったのなら、その別の名前の人が「天慈」というこのサイトの人のことなのかーと新しい面を見ることにもなるだろうし。そんなふうに、私はいくつかの別HNを実は「天慈」のことなんだよと公表してきています。たとえば「天子」とか「ノイズ」とか「サアラ」とか「昏途」とか「久羅」とか、すでに日記の過去ログに追加した別HNで書いていた日記にはその名前は出てきているので、過去ログを見れば見つけることはできるでしょう。
まあ、公表したってことは、私にとって何かのメリットがあるから公表したわけであって、やはりいくつかの別HNは私がやっているのだとは公表したくないのもあります。それはもう確実にリアルの私にとって都合が悪いことを書いているからではあるんですが。つまりは、書かれたくないだろうと想像できる人のことを書いたものを書いているからです。そのほとんどが仕事での繋がりの人や親族のことなので「天慈」として書くことはマズイことなんですよね。だから、私にとってその知られたくないHNがたとえ固定HNであっても名無しと同じ匿名となるわけです。何も名無しだけが匿名というわけじゃないのです。私の場合は。

まなめっちは匿名か実名かそのどちらかはそんなに重要なことなんかじゃないと言っていると私は思いました。『名前なんてどうでもいい』と言い切っているわけですから。『連絡が取りたいと思ったときに、連絡が取れる相手かどうかが、信頼しうる相手かどうかとなる』と言っているから。そこには名前は関係はないわけです。ただ、どちからというと実名援護派であるということは、まなめっちも結局は会いたい相手とは会うという人なんだなあと、オフ会に積極的に出て行く彼を見ていて、少し私とは基本的な立ち位置が違うのだと思い知った気がします。だから、まなめっちは多くの人に慕われ、私はあまり信用はされないんだと。でも、私は誰かに信用されたいから何かを書いているわけじゃない。私はただ書きたいんだ。書かせてくれればいい、それだけなんだって。誰に誤解されて悲しい気持ちになろうとも、その悲しい気持ちをネタにして小説を書く。それが私というろくでもない人間の存在理由。たとえくだらない小説ばかりだと誰かに指差されようとも、私は私が読みたいものを書き続けていくだけ。そのためには強くならなければ。けれど、何ものにも動じない強さではなく、凹むこともある、悲しくて号泣することもある、痛くて悲鳴をあげることもある、けれど、それでも書き続けることのできる、そんな人間にならなければ、こんなふうに書き続けることはできないんだなあと思い知ったから。

まなめっちは『結局は言葉の向こう側にいる人間を見ている。』と言うけれど、私は、言葉の向こう側にいる人間の心を見ている、というか、見たいという考えのもとで書き続けているのかもしれない。それは匿名だろうが実名だろうがどうでもいいことで、ただ、匿名であれば正直なその人の心を見せてくれるんじゃないかなあと、そんなふうに思っている。私にあなたの心を見せて、あなたの想いを見せてほしい、と。







画像提供サイト/Pearl Box

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