2009年09月27日(日)08:11
晴れ。

昨日の仕事は5時まで。旦那は夜出勤。今日は戻るのが昼前じゃなく昼が過ぎるみたい。昨日は百萬から、ガクトナビの修理が終わったと電話があった。とはいえ、次の旦那のお休みまでは取りにいけないんだけど。それが1日。






昨日は仕事帰りにホゲホゲと書きたい話のことを考えていた。ガクトさんの「Secret Garden」で前から書きたいって言ってたアンドロイド物のことを昨日はなぜか考えてて、けれど、どう考えても切ない話を書こうとしたらエロ物になってしまうなあと一人自転車こぎながら苦笑してた。だいたいのあらすじはできてるんだよね。もちろん、骨格は中学生の時に書いてた「アンドロイドと少年」なんだけど。主人公の少年のもとに主人公の兄が弟のために作成したアンドロイドがやってきて友達になるんだけど、少年の彼女がそのアンドロイドを好きになってしまって、なんたらかんたらって感じだったんだけど。これ、私の好きなシチュエーションが盛りだくさんにつぎ込めるなあと。(笑)BLとか近親相姦とか普通のエロとか…やばいやばい。そりゃ、そういうの一切なしで健全な話を書こうと思えば書けるけど、やっぱ自分が一番書いてて楽しめるもの書きたいしなあ。まあでも、爆裂して書くと、表では掲載できなくて18禁サイト行きになってしまうんだけどね。それでもいいっちゃいいんだけど。いまじゃ、表の小説だって、どれだけの人が読んでるかわかんないし、まったく読んでないというわけじゃないとは思うけれど。ついったーで一ヶ月に一回二回しか感想こないとかいってぼやいてる人なんかいたけれど、そんなのまだいいよ。うちなんてもう何年もほとんど感想こないしね。

たとえば、私みたいにネット上で小説を公開している人たちの中には、書けば書いただけたくさんの人が読んでくれてたくさん感想を寄せてもらえる人もいる、そんなに多くはないけど。たくさん感想っていうのもしっかりとした感想というものだけでなく、一言「読みました」とか「よかったです」とかでも立派な反応だと思う。だけど、私の小説にはそういった一言もまったくない。確かに、私という人間が嫌いで、そんな私を確実に痛めつけたいと思ったら、まったく私に対して反応しないというのが一番だろう。でも、それをすることは私はしょうがないなあと思うくらいで思うところはないし、それをしている人が果たしていても、その人に対して何かを思うということもない。それはしかたないことだしね。むしろ、叩いてくる人のほうが少しは何らかの情があるってことで、叩かれることは諸手はあげられないけれど、それでも嬉しかったりするかもしれないし。ただ、今は叩いてくる人もいないしねえ。

とまあこんな感じで、こういった、ほとんど書いたものに反応してくれないという立場の物書きの人がほとんどだと思う。その中で絶望してしまって小説を書く事をやめてしまった人もいたかもしれない。数少ない読者を犠牲にしてまでも。犠牲っていうのはね、つまりは、一人くらいはその人の小説を読みたいと思ってる人がいるはずだから、多くに反応してもらえずに断筆してしまうということは、そのたった一人の読者を切り捨てるってことだもんね。その一人だけのために書き続けるってこともできるはずなのにやめてしまうってことは切り捨てに他ならない。けれど、その数少ない読者も、作者に働きかけない限りは、作者にとってはゼロにも等しいわけだから、誰もいない客席に向かってセリフを吐き続けているのは苦痛でしかないわけで。そりゃやめてしまうのもしかたない。
そういうのもあって、何かを発表している人で、誰も反応してないような人につい声をかけてしまうのが私ではあるんだけど。それは私もその辛さがわかってるからではある。もちろん、その行為は傲慢なことだとはわかってる。だって、見ている自分がつらいから、だから手を差し伸べているわけだもんね。それは相手のことというよりも自分を救いたいがためにそうしてるみたいなもんだもん。私にもこんなふうに誰か手を差し伸べてくれよ、みたいな。

才能があるから多くの人がその小説を読むのか、それは違うと言いたいけれど、たぶん、やっぱり才能がないから誰もこの小説は読まないんだと思ってしまうんだよ。どうしてもね。だから、才能のない人が手っ取り早く誰かに小説を読んでもらうためには、まずたくさんの人と友達になって、読んでもらえるようにするっていうのも手ではある。昔の私がそうだった。掲示板などでたくさんの人と知り合い、仲良くなって、そして、自分の小説を読んでもらう雰囲気を作り出す。あの時は気づいてなかったけれど、昔の私の小説をみんなが読んでくれて感想くれたのも、友達を作っていい関係を築いていたからだったんだと思うよ。今の私の周りには、友達だから書いた小説を読んであげようという人たちはいない。まったく読んではいないというわけじゃないだろうけれど、確実に読んだ人の心を捉えるものを書いていないからこそ、誰も感想を言ってきてくれないんだと、今のわたしは思っている。これは自虐ではなく、事実だ。でも、だからといって絶望してるわけじゃない。私は気づいたから。誰かのために書いてるものじゃないって。私は私のためだけに小説を書いている。だから、誰も読んでいないとわかっても、誰も反応してなくても、誰も感想くれなくても、私は絶望しない。昔のようにただただ書いていくだけだ。むしろ、感想なんかこなくてもいいという気持ちで書いていく。

小説を書くということは孤独であり、そして、孤独なんかじゃないとも言える。それは小説と私との蜜月を過ごしているからだ。それはあたかもナルシストが水面に映る自分の姿に見入っているのと同じこと。それが孤独に見えて孤独ではないということであり、それこそが私にとっての理想的な作家像なんだ。そんなふうに私は思っている。








画像提供サイト/Pearl Box

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