2009年09月04日(金)07:40
曇り。

昨日は昼から米子に買い物に出た。旦那の仕事用のズック買ったあとに本の学校の文具屋さんに連れて行ってもらったし。プラントには息子も連れて行ったんだけど、それはその前にメガネ屋さんに連れて行くため。昨日は体育でバレーをやったらしいんだけど、ボールが思いっきり顔面にぶつかってきたということで、メガネに支障がないかどうかを見てもらいに行ったわけ。体操服のことといい、メガネのことといい、昨日は旦那がお休みでよかったよねー。それからプラントに買い物行って、ワンピースの34巻と35巻をゲット。54巻まであと9巻かー。少しづつ買って行くぞー。

今日は旦那は昼前に出勤。私の仕事は、明日のために今日は遅くなる予定だったんでよかったといえるのかも。で、旦那は一本シフトらしいんで、今日は夜に戻る予定。






梓さんの旦那様がmixiで書いていたことなんですが、梓さんがジャズ・ミュージシャンとして活動していたことを「You Play JAZZ?」というサイトで配信されるということなのです。それが「中島梓(作家 栗本薫)さん追悼番組」です。


梓さんの旦那様、今岡氏はこう語ります。

『 中島梓という人にとっては、社会的な評価とはべつに、本人の気持ちとしては表現するという点では音楽も芝居も、小説と同じように大事なものだったと思います。

 もっとも、作家としての栗本薫のファンでいらっしゃる方にとっては、よけいなことを始めてという思いはあったのでしょう。そんなことをする余裕があったらグインの続きを書けばよいのにとか、趣味に走って仕事をないがにしろにしているという声も聞きました。

 でも、私の奥さんにとっては、小説も芝居も音楽も趣味ではありませんでした。そして、この番組によってミュージシャンとしての活動が認められたということはとても嬉しいことであったのに違いありません。』

創作者にとって「余計なこと」というものはないと思います。無駄なことだと思われることから創作は生まれるということは創作者であれば誰でもが知っていることですから。確かに、その物語を待っている読者にとっては、他のことはどうでもいいから読みたいものをもっともっと読ませて欲しいと思うことはしかたないことなのかもしれません。私もその一人ではあったのですから、その気持ちもわからないではないのです。けれど、私も一人の創作者として、梓さんが小説だけでなく音楽や芝居をどうしてもやりたいと思う気持ちはわかりますし、それに何より、今岡氏の言われるように、彼女は音楽や芝居のプロでもあります。そちらの方面でも「待っている人」はいるのですよね。それはもう作家だけやってればいいという立場の人じゃないということで、どちらも精力的にやっていくことは当たり前のこと。

この追悼番組がいつまでみられるのかはわかりません。今岡氏が『ぜひご覧いただいて、よろしければほかの方にもお知らせいただけるとありがたいです』と書かれていましたが、私がこうやって紹介しても、私のような弱小サイトでは彼女の別の面があったということを多くの人に伝えられるとは思えません。結局は、自分語りをするネタしてしまったようなもんですからねえ。
ただ、私自身は、彼女の肉声も、そして彼女の演奏する姿も見たことも聞いたこともなかったので、この機会にこんな形ではあっても彼女が動いて話しているのを見れたことは嬉しいことでした。マイスペースで私は彼女のマイフレにしていただきましたが、彼女のプロフに掲げられているピアノを弾いている写真でしか拝見したことがなく、今回、その写真が動き出してピアノを弾いているのを見られたことは感慨深いことでした。

番組の最後のほうで、彼女は「グイン・サーガ」が自分がいなくなってからも人々に語り継がれることを望んでいたと聞きましたが、それを知って、私はとあることを考えていました。ただ、それは何であるかはここでは語りませんけれど。

語り継ぐ。それはなかなか難しいことではあるでしょう。もう新しく続きが読めるわけではないので。よしんば、誰かが続きを「こんなふうではなかったか」と書いたとしても、それはそれで悪いことじゃないけれど、それはやっぱり「グイン・サーガ」じゃない、どうしても二次創作的な物語でしかないと思うんですよね。私はですね、どうしても「彼女のグイン」が読みたいと思ってしまうんですよ。だから、少なくとも私の中ではグインは前に進まないんです。時が止まったまま、もう二度と動き出すことはないんですよ。それだけ私は彼女の描くグインの世界に魅了されていたのですから。彼女の描くグイン以外は受け付けないほどに。

私の手元には「黄昏の名探偵」というアルバムがあります。梓さんの作曲した曲たちが入った一枚です。今夜はそれを聞いて眠りつくことにします。夢で梓さんに逢えることを祈って。







『俺も中学・高校くらいまでは「誰か女の子が俺に惚れて告白しないかな」みたいなことを考えていた時期がありました。』 (「「男に告白させる」スキルが低下してるのかも web-g.org 」より)

↑を読んで思ったんだけど、中学・高校の頃の男の子ってたぶんみんなこんな感じだったんだろうなあって。やっぱり積極的なのは女の子のほうで、だいたいが女の子が告白して、それで付き合うって感じだったんだろうな。
私なんて小学生の頃からいっちょまえに好きな子がいて、相手が自分に告白してくれないかって思って学校生活を過ごしていたもんだし。ただ、「誰か男の子が」とは思ってなくて、自分が好きな人が自分に告白してくれることが絶対条件だったんだよねえ。やっぱり少女マンガの読み過ぎだったんだろうな。
だから、二度ほど付き合ってくれと告白されたことはあったけれど、その二つとも冷たく断ってしまったものだったもの。今思うと、なんてもったいないことしたんだとは思う。

でまあ、中学の時にN君という男の子を好きになって、その人に告白されたいなあと思ってたけど、結局、その人は別の女の子とお付き合いを始めてしまったことがあった。それは、相手の女の子のほうが告白してきて、それでN君のほうは、それまで別に何とも思ってなかったけど、告白してるその姿がなんかかわいいと思って、それで付き合うようになったと後に聞いたんだよね。当時は、そんなN君の男心なんて想像もつかなかった。相手の女の子は他の子にいじわるばかりしたりするあんまり好かれてない子だったんで、そんな子をかわいいなんて思うN君に幻滅したもんだったけど、今なら、N君がその子を「かわいい」と思ってしまう男心はわかる。それだけ私も大人になったんだなあと感慨深くなったりして。(笑)

『実は女性は年齢が上がってくると男性に告白させるテクニックを身に付けてきて、それに男性が乗せられる、みたいな感じになってたのかも知れない。』 (「「男に告白させる」スキルが低下してるのかも web-g.org 」より)

私自身はそんなテクニックがあるとは思ってなかったけれど、確かに旦那が私に告白してきたことは、無意識のうちに自分に惚れさせるようにしてたんだなあと思うよ。当時の私は20過ぎの一番女として輝いてる時だったと思うし、それに当時は私にも好きな人というか「いいなあ」と思う人とかもいたりして、その人に「かわいい」と思われたいという気持ちから、男受けするような仕草だの言動だのは無意識のうちにやってたと思う。それゃもう「告白させるよう仕向ける」っていうのを無意識にやってたわけだ。それで、それにひっかかった旦那が告白してきたわけで。ただ、私も昔みたいに「この人じゃなきゃいやだ」っていう気持ちを「いいなあ」と思ってた人に持ってたわけじゃなくて、旦那とも一緒にいて楽しいとも思ってたから、それを冷たく拒絶するってことはなかなかできなかったんだよね。

告白される前、仲間たちと喫茶店で何の話からだったか、昔は私は告白してくる人を冷たく突き放してきたものだったけれど、自分も好きだった人とうまくいかなかったという辛い気持ちはわかるから、今はむげに冷たくするってことはできないかもなあと言ったことがあって、その時に、やけに旦那が「じゃあ、今告白されたらOKするのか」みたいなことを熱心に聞いてきたことがあったんだよね。その後に告白されたわけだけど、そっか、そういうことがあったから奴は私に告白したのかなって。ただ、旦那は私に断られたら、みんなとはもう会わない。遠くに行くつもりだったってあとで聞いた。それはまあ、私が自分ではない他の奴が好きみたいだと何となく感じてたからなんだろうな。まあ、確かに他に好きな人はいたんだけど。けど、結局は旦那と付き合うことにした私だった。

あの時、旦那の手を取らなかったら、今の私はどうなってたんだろうなあ。まあ、たぶん、今でも実家で一人、結婚もせずにニートしてるんじゃないかなとも思う。見果てぬ夢である作家を目指して。







画像提供サイト/Pearl Box

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