2009年08月19日(水)09:15
晴れ。

今朝も暑い。ただ、昨夜から明け方にかけて外はそんなに暑くなくて風も涼しい風が吹いてた。でも、朝になって日が昇りだすとやっぱり暑い。今日は息子は黒ばあちゃんと従姉妹の姉妹(従姉妹たちの弟Yは除く)とで松江に行った。息子は遊覧船に乗りたいらしくて、従姉妹たちは松江城に入ってみたいとのこと。私は松江城には入ったことはあったけど、遊覧船には乗ったことないんで、いいなあとは思った。それに今日はお休みなんだけど、でも、旦那を起こして出勤させる仕事があるしなあ。まあもう息子たちは出かけたし。私の弟の嫁さんが松江まで送ってくれるということで、早くには出なくてよかったんだけど、またしても出かけるときに大騒ぎ。なんか音楽を入れようとしてたのかな、それがなかなか終わらなくて、しかも、出かける用意もしてないもんだから、迎えにきてもらってもなかなか出かけられなくて。なんつーか、やっぱ私の息子だよなあって思った。旦那も私が出かける前に大騒ぎするのを、こいつはよーって思ってたんだろうなあって、その気持ちがよーくわかってしまった。(笑)
ということで、今日は夕方まで息子はいない。私もできれば今日中に鋼の乙女を完結させたいんだけど。

昨日の仕事は棚卸で5時まで。今日はシフトのことでの話があったよ。今度お休み変わるみたい。

さあ、もうすぐしたら旦那を起こさなきゃ。今日は旦那はしんどいコースらしい。明日も帰ってくるのが朝遅いかもしれない。寝る時間があればいいんだけど、もしかしたら寝ないで出かけることになってしまうかも。こんな時、確かに私が車の運転ができたらよかったのになあとは思う。そしたら、私が運転してる間寝れるのに。まあ、いまさらそんなこと言ったってどうしようもないけれど。明日のお休みは息子とババさまと旦那とでアクアスに行ってくるね。明日の日記は更新できないかもしれない。






2009年08月19日11:14
さて、今度はフールズメイト。ゴシップ誌から叩かれたことについてガクトさんは心は折れないと言っている。ただ、まったく何にも感じないっていうのは嘘だと思う。確かに、叩かれ続ければ、それが長く続けば続くほど、それに対しての適応っていうのはできるようになって、こんな私でも最初は腸が煮えくり返るような思いをしたもんだけど、今では「ふーん。そうくるか」みたいなことは他人事みたいに思えるようになった。だから、ガクトさんが『ああ、そうなんだ。ふーん』ってなるのもわかる。でもね、全く何も感じなくなることは表現者としてはマズイことだと思うんだよね。どんな感情も表現できなくちゃ、表現者とは言えないっていうのが私の持論だし。腸が煮えくり返るとか、悲しいとか、辛いとか、あるいは「心が折れる」っていうのも表現できなくちゃねえ。そのためにはその気持ちを感じることができないとダメなんじゃないかなあって。だから、傷つくことを否定せずに、傷つくことを恐れずに傷つくことも大切なんじゃないかってね。まあ、そこらへんのことはたぶんガクトさんも気がついてるんじゃないかと思うんだけど。

ガクトさんはそのゴシップ誌に叩かれることと、ネットの掲示板で叩かれることも同じだと言っていて、そういったことで叩かれる同じ芸能人で傷ついている人たちを見ていて思ったのが、すべての人が自分を肯定するなんてことはむしろ宗教的で、そっちのほうが怖いって言っている。つーか、すべての人がその人を肯定してまったく否定しないなんてことは絶対に無理なことだと思うんだけど。この世にすべてから肯定される人間なんてただの一人もいないよね。いるはずがないんだよね。つまりはそれと同じで、ただの一人もその人を否定するというのもないってこと。どんな悪人だろうが、たった一人誰かはその人の味方になってくれる人はいると同じことでもある。

ただ、そうなると、戦争のことでのガクトさんの考えとはちょっとズレてくるような気がする。まあ、いつものように私の読解力のなさからくる勘違いなのかもしれないけれど。すべてが同じであるっていうのが怖いというのなら、戦争に関してもすべて同じ考えであるっていうのも、それはなんか違うんじゃないかなって。ガクトさんは、確かに人間にとって戦争って必然なのかもしれないとは思っていても、それでも戦争っていう愚かな行為を繰り返していってそれに気づかないっていうのを情けないとか言ってるけれど、それはもう人間が人間である限りは絶対に争いっていうのはなくならないし、戦争だっていろいろな事情とかきっかけとか複雑なものが入り組んで勃発してしまうもんだから、それはもうその情けなくて愚かなのが人間の本質だってことで、しょうがないんじゃないかなあって。戦争を否定する者がいるとすれば、肯定する者だってどうしても出てくるわけだし。肯定するものがいる限りは戦争はなくならない。それに、すべてが同じ考えでいたら、それはもう人間とは言えないんじゃないかなあ。もっとも、少なくすることはできないことはないと思うんで、なるべく戦争をしなければしないですむようにしていく努力はできるはずなんだけどね。

でまあ、話を戻して、その叩かれることでガクトさんは、叩かれることや叩かれないことよりも、そういった掲示板で名前が挙がらずに叩かれないことが問題なんだって言ってるんだけど、これってあれかな、芸能人であればそういった目に遭うことはそれだけ有名だからってことだと言いたいのかな。それか、一般人の場合だと、目に見える叩かれ方よりも目に見えない場所での陰湿な苛めのほうが危険だと言ってるのかな。ちょっと意味がどうとでも取れる感じでよくわからなかったんだけど。

それにしても、ガクトさん、本当は2005年に引退しようと思ってたんだって。でも、自分を見つめなおしてみて、まだできると思ってくれたらしいんだけど、そっか、その時に引退してたら、本当に私は一度もガクトさんのライヴに行くことはなかったってことなんだ。続けてくれたおかげで私はライヴに行けたわけだし。
あと、ガクトさんもやっぱり『死ぬまでやれれば』という気持ちは持っているらしい。ただ、中途半端な気持ちではステージには立てないって。ああ、それを聞いて、この人はたとえ終りがきたとしても、途中で止めてしまうってことはないな、ちゃんとやり切って、キチンと完結させてくれるなと思った。梓さんを非難するわけじゃないけれど、それでもやっぱり私はグインの完結を見たかったという思いに引きずられそうになるわけで、それを思うと、どうしても梓さんに恨み言を言いたくなることもある。そんな気持ちを持ちたくないと思いつつ、でもやっぱりどうしても持ってしまうのは、やっぱ彼女がちゃんと最後の幕切れをやってくれなかったからとどうしても思ってしまうんだよね。それはそれだけ彼女のやってきたことを楽しみにして待っていた人間だからそうなってしまうもんだと思う。
そういう気持ちをガクトさん思わせない幕切れをしてくれそうだと、そんなふうに思った。








画像提供サイト/Pearl Box

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