2009年08月09日(日)07:00
曇り。

今朝、旦那が戻ってきた午前3時頃、土砂降りの雨が降っていた。私は2時半くらいから左の脇とかが虫に刺されてすごくかゆくて目が覚めてて、まんじりとも眠れなくて旦那が帰ってくるのを迎えてしまったのだけど。その頃には胃の左側が痛いのもなくなってたし、気分もそんなには悪くなくていい感じだったんだけど、さっき目が覚める頃にまたしても今度は下腹が痛くなってきた。玉姫様の時の痛みと同じ痛み。これでご来訪されれば安心なんだけどねえ。ということで、今朝も体調はいまいち。今は雨はあがってるけれど、さて、今日の天気はどうなることやら。旦那の話では、台風が熱帯低気圧に変わったから、そのせいで今日は雨みたいだって。やだなあ。それに、このムシムシももっといやだ。不快だー。

昨日はそういうことでなんか突然に休んだ人も出てきて、人がいなくて仕事も大変だった。旦那もそうだったみたいだし。昨日の私の仕事は5時まで。Tさん、めまいがして昼からは帰ったらしいよ。今日も出てくるかどうかわからないから、代わりに他の人が出てきてって言われてた。こんな天気だと、私より元気な人たちでも体調崩すだろうしなあ。

昨日、グインの128巻「謎の聖都」ゲットした。やっぱりあとがきなかった。寂しい。ほんと寂しいなあ。






いちのせクンの「久々に手入れ いちのせけいの雑記帳」でこんなふうに書かれてあった。

『そもそもなぜ「書く」のか?

若い頃は自分の考えをまとめるため、とか、しっかり覚えるため、だったと思います。
が、最近はもっぱら「忘れる」ために書いている。
書いてあれば、それを見ればいいだけだから。
だから書いた端から忘れていきます。
書いたことすら忘れていることがあるのが難点なんですが・・・。』

私は子供のころから小説もどきを書いていて、さらに日記なんかもコツコツ書いてはいたから、本当に人生の大半は「書く」という行為を続けてきたわけです。

なぜ書くのか。

それはこうなんだと明確な理由があるわけじゃないんですよね。もちろん理由はあります。でも一つの理由だけじゃなく、いろんな理由があってそれで私は書いている。ただ、いちのせクンが言う「忘れるため」というのは意識したことはなかった。自分は忘れるためには書いていないと思ってるから。けれど、忘れたくないと思っていても私は書いて忘れてしまうことだってないわけじゃない。だから、私は書いたものを不定期的に読み返してるんだよね。読み返すことで「こんなことあった」と頭に刻まれるから。忘れたくないって思ってるから。もっとも、すべては刻まれないんだけどね。それでも、誰かが書いたものなんかで、ふと「そういや似たようなこと書いた覚えがある」と思い出せるほどは頭の隅にその記憶は残っているみたいだもの。

最近ではネットで書く以前の日記をブログ(日記に出てくる当時の同級生や知り合い等の名前はイニシャルにしたり仮名にしたり、ありふれた名前であれは本名で書いたりと特定されないように書いてはいます。あと地名や施設の名前もイニシャルにしてあったりしてわかりにくくしてあります。もっとも、私の過去の日記に興味あるという人がどれだけいるかはわからないですけどね)に転載しては一言言葉を添えるという作業をしているのだけど、その日記の中には確かに「えーこんなことあったっけ」というようなことが書かれてあったり、それを書いたという記憶もないものもある。それこそ書いて忘れてしまったという感じ。昔だってね、リアル日記は読み返していたんだよ。だから、その時には「そんなこともあったっけ」とは思ってなかったと思う。ただ、少なくとも20歳からこっち、それこそ26年くらい短大を卒業するまでの日記を丹念に読み返したことはない。たぶん、それで忘れてしまったんじゃないかと思う。仕事しだしてから今までのリアルノートに書かれていることは、そんなに読み返したという記憶はないんだけど、これからそれらも丹念に読み返しては転載していく過程で「えー、こんなことあったっけ」となるかもしれない。でも、ならないかもしれない。それはそこまで辿り着いてみなければわからないけれど。








画像提供サイト/Pearl Box

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