2009年08月02日(日)08:00
曇り。

昨日は息子は8時半から出かけたのだけど、夢みなとタワーで珍しい水族館がやってきていて、それに黒ばあちゃんたちと行ったわけ。私が出勤する頃に戻ってきた。ご飯は食べてきたって。念願のイルカのぬいぐるみを買ってきてた。(笑)昨日の仕事は4時半。






昨夜は栗本さんの「六月の桜」を読了。一気に読んでしまった。やふーの掲示板で「後味が悪い」と感想を書いていた人がいたけれど、確かに救いようのない内容ではあったんだけど、私にとっては後味が悪いとは思えない作品でした。まあねえ、あの「闇」でさえも私にとっては陶酔してしまう内容でもあったから、この「六月の桜」なんてかわいいもんだと思ったんだけどさ。
というか、主人公の桜子があんなふうにならなければ救われたというのだろうか。最後まで読んでいて、桜子はああするしか救いはなかったと思うんだけどね。そりゃあれだけ壮絶な少女時代を過ごした人間が、まともな人生を歩まないということはないかもしれない。けれど、桜子の同級生で自らがやったいじめのせいで精神を病んでしまった少女より精神の強い桜子であっても、必ず何らかの影響は出てくるはず。まともな人生を歩いていくことはなかなか難しいと思う。ましてや、自分の母親をあんな目に遭わせてしまって、それがどっちに転んでいたとしても、桜子には不幸が待ってるだろうし。しかも、たとえ母親がいなくなったとしても、弟が彼女の足かせになることは間違いない。

桜子は飛んでよかったんだと、私はそう思う。

思ったよ。ああ、これは「レダ」みたいだなあって。「六月の桜」に漂っている雰囲気が「レダ」だなあって。確かに「レダ」でも主人公が飛ぶラストがあって、それが似ているというのもあるし、桜子とレダがどちらも強烈なキャラクターであるというのも似てはいるんだけど、全体的に流れる雰囲気というものが両方の作品とも共通していると私には思えたんだけどね。だから、ああ、死期が近づいて、梓さん本人は、それを感じていたのかそうじゃないのかわからないけれど、昔に戻っていったのかなあって、そんなふうに思えた。そしたら、私はこの「六月の桜」の呪縛から逃れられなくなった。読み終わったのが12時過ぎ。慌てて寝ようとしたんだけど、いつものようにガクトさんの歌声で寝ようとしたら、ガクトさんの「めぐりあい」、何だかこの歌が「六月の桜」の内容に捧げる鎮魂歌みたいに聞こえ、横になったまま号泣。梓さんがいなくなってしまったのだ、もうこんな物語は読めないのだという気持ちが再び押し迫ってきて、あとからあとから涙が止まらなくなってしまった。そして、その気持ちに拍車をかけるかのごとく、ガクトさんの歌声はどんどん続いていって、結局またしてもひとつのプレイリストを最後まで聞いてしまった。時間は1時半。眠れなかった。でも、その後は何とか眠れて、やっぱり夢を見たよ。梓さんが出てくる夢。最初は私も梓さんも別々の人間として出てたんだけど、途中で一人の男の子が母親とはぐれていなくなってしまって、それを探すことになり、いつのまにか梓さんの中に私の意識が入り込み、梓さんが男の子を見つけ出すっていう内容だった。

夢は寝る直前の強い気持ちが見せてしまうものなんだなあと痛感したものだった。

「六月の桜」に、ぜひとも梓さんのあとがきが欲しかった。それが悔やまれてならない。もう、彼女のあとがきは読めないんだ。あとはグインの数巻を残すのみだけど、それにも彼女のあとがきはないんだ。

ということで、次は、ひかわきょうこさんの「お伽もよう綾にしき」を読む。








画像提供サイト/Pearl Box

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