2009年08月01日(土)07:34
曇り。

昨日の仕事は予想通りの5時半。ところが終礼で明日の仕事の予定は変更になったという。えー。まあねえ、この間から2週間くらいしか経ってないわけだからやっぱしょうがないか。

昨日は身体がしんどかったけど、仕事してる間はそれほどひどくは具合悪くならなかった。さすがに晩ご飯のあとに鎮痛剤は飲んだけど。そのおかげなのか、昨夜はぐっすりとはいかないまでも何とか眠れたようだ。ほんとは10時くらいから寝たかったけど、いろいろやってたら11時が過ぎてしまい、とっとと寝たんだけど、すぐに眠りに入ったみたいだし。旦那がいつのまにか戻ってて、トイレに起きたのが5時くらいだったかな。それからまた二度寝して起きたのが7時前。今朝も胸のあたりはもやもやしてるけれど、昨日ほどひどくはない。すっきりさわやか〜とはならないけれど、これでよしとしなくちゃね。ま、こんなもんだわって感じで。






栗本さんの「逃げ出した死体」を昨日は読み終わったんだけど、なんかもうね、ラスト近くなったら読んでて泣けてきてしかたなかった。今回はあとがきじゃなく内容で。あとがきでもちょっとくるものがあったんだけど。だって、伊集院大介シリーズの文庫化で、梓さんがあとがきを書いた最後の作品だから。日付が2009年1月14日となってた。作品自体は2006年12月に出たものなんだけど。次に読み始めている「六月の桜」は、梓さんが亡くなった後に文庫化されたやつなんで、当然彼女のあとがきはない。だから、これが最後のあとがきだものね。
このあとがきでも、この作品の主人公の元気くんをまた出したいって書いてますけれど、それももう二度と見れないわけです。どこかで誰かも書いてましたが、次の「六月の桜」はかなりまた暗い話みたいで、この「逃げ出した死体」は作者本人も書いているように明るくて救いのある内容なんですけど、さりげなくいじめとか虐待の話も盛り込まれてます。まあ、いじめにしても詳しくは書いてないし、虐待といっても本格的なものではなく(本格的って言うのも変かもしれないけど)、普通の母親なら少しは身に覚えがあるようなものでしたけど。というか、主人公の母親って、モロ梓さんみたいな人だよなあと、作者を投影して書いたんだろうなあと思うキャラでした。もっとも、元気くんの母親みたいな多少虐待めいたことっていうのはたぶん梓さんはしてないとは思うけれど、作品中で元気くんが「ぼく、もう、邪魔じゃないよね?」と聞いたらこんな言葉を母は返してくれるだろうなあと元気くんが思ったその言葉が「あんたのことは、邪魔だけど、いらないと思ったことなんか、生まれてから1回だってなかったわよ」この言葉には共感持ったなあ。私もそうだったから。私の場合は元気くんの母親のように才能があったわけじゃないし、多少の感受性は持ってたとしても彼女のようにエキセントリックな芸術肌でもないし、人見知りはするけれど、彼女ほど人付き合いが苦手というわけでもない。けれど、それでも小説なんかを書こうとするだけはあって、多少は彼女に近い性質ではあると思う。私の執筆する手を止めないでと心ではいつも叫んでたわけだから。つまりは、その創作の手を止めるのは我が子であり、どんなにノって執筆していても、家族の世話のためにその手を止めなくてはならないということがストレスとなっていたわけです。まあ、梓さんは執筆が仕事であり、それで稼いでるわけですから、そりゃもうプロになりたいから執筆し投稿していたとはいえ、まだ趣味の段階の私が「邪魔するな」とは言えないんですけれど。とはいえ、世間にとってはプロだろうが、アマだろうが、関係ないと言う人もいるかもしれませんよね。執筆のような芸術活動ではない普通の仕事の場合でも、仕事より子供のほうが大切だろうがという風潮はありますから。

邪魔だと思うことまでは非難されたくないというのが私の本音です。

思うは自由じゃないですか。すべての人間は同じじゃない。そう思ってしまう性格のものだっていないわけじゃない。そりゃ、だからといってそれを歓迎しろとは言いませんよ。自分だって、邪魔だと思ってしまう自分に自己嫌悪してるわけですから。ただ、それを捻じ曲げてまで自分の感じていることを押し込めてまで「いい子」でいることはできないし、またそうしてしまったら確実に自分は壊れてしまい、最悪、道ずれにして死んでしまうことだってあると思うんですよね。

とと、熱く語ってしまいましたが。この作品はかつての自分にとっての救いとなる内容だなあと思ったもので。いいんだよ、それでもいいんだよって、辛い思いで子育てをしている母親にとっては何よりの救いの物語だと思います。少年元気くんが健気に自分の母に『ぼくに頼ってもいいんだよ、ぼくに相談して、重荷を預けてくれてもいいんだよ、ぼくはもうそういう話の出来る年になったんだよ、ってお母さんに云いたいな、って思ったです』と言った時、こう、なんていうか、胸がいっぱいになって涙がブワッと溢れてきてしまったんですよねえ。いやもうね、そうなんだよなあ、こういうことなんだよなあって。(笑)まあね、子供を育てたことのない人には共感できないことだろうとは思うんだけどね。それだけでも、ほんと子供産んでよかったなあと、今だからほんとにそう思えますです。

とにかく、この「逃げ出した死体」も、伊集院大介シリーズでだいぶ好きな作品の一つとなりました。次は「六月の桜」を読みます。けれど、私の心では、この「逃げ出した死体」がこのシリーズの最後の作品となった気がします。








画像提供サイト/Pearl Box

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