2009年05月28日(木)07:12
曇りのち雨。

今朝はだいぶ体調はいい。それでも夜中に目が覚めた時におなかは痛くて腰も痛かった。それでもだいぶ楽になってきたから、あとはもう玉姫さまがきてくれることを祈るだけだ。

昨日は仕事は4時半。

なんというか、昨日はちょっといろいろあったな。3時過ぎに休憩になって休憩室に座ってケータイを見たらメールがきていた。無題だった。よっぽどのことがないとメールしてこない人だったから何だろうと思って見たら一言「ニュース見た?」これはいったい何のことだと思い「な、何の?」とレスをした。すると返ってきた答えが…栗本さんが亡くなったとのこと。私は思わずケータイを閉じた。いやまあ、最近の日記などでずっと体調が悪いとかそういうことを書いていたから、もしかしたらやっぱりダメかもしれない、もたないかもしれないとは思ってたんで、信じられないというよりも「ああ、やっぱり…」という思いのほうが強かったから。だから、前にも書いたようにそれほどショックは受けてはいない。けど、それでも「生きていてほしかった」という気持ちもあるわけで、その気持ちが「亡くなった」という事実を受け入れがたいものにしている。だから、メールもらったあとの私はちょっと心ここにあらず状態だったな。仕事でミスしてなきゃいいけど。実はちょっとミスしかけた。それでも何とか無事に終了。

家に戻れば息子が「ちょっとちょっと」と手招きして、ネットのニュースの画面を見せてくるし。私が栗本さんのファンだってことは知ってるからなあ。それからご飯の用意したりしたあと、まだ旦那を起こすまでに時間があったということもあり、ミニゲクトでネットに繋いで彼女がいつ亡くなったのかを確認。26日午後7時18分だった。前日のその時間、私は何してたんだろうとちょっと思いを馳せる。彼女の旦那さんの日記を確認してきたところ、8日で止まっていて、その日の日記には彼女が入院することになったと書かれてあった。ということは、容態が悪化しての入院だったってことなのかな。彼女の旦那さんもその前に入院手術してるわけで、退院したあとの出来事だったはず。旦那さんが入院している最中じゃなくて幸いだったのかも。いや、幸いっていうのも変な話か。






それにしても、今年の5月は何という月だったんだろう。9日にMちゃんが亡くなり、一度生還したやちさんがネットに復活してきて、25日はzeroさまのサイト11周年、26日にとうとう栗本さんが亡くなるなんて。思うに、私が体調悪くなったのって栗本さんが入院したあとじゃないか。しかも、26日亡くなった時間の後に、済世会で診察が受けられると知って気が楽になってだいぶよくなってきたわけで。もしかしたらこれも虫の知らせだったのかなあなんて思ってみたり。

でまあ、神楽坂倶楽部にアクセスしようとグーグルから飛んだら表示されなくて慌てた。今はまた復活して表示されているけれど。最後の日記は4月28日。旦那さんの手術が終わった時の様子や、自分の調子が悪いことや、『5月になってものごとがもっといい方向にむかってくれたらいいな』とか書かれてあり、最後の最後に『それではきょうのところは短いですが、こんなもので……』で締めくくられていました。この言葉が最期の言葉、なのかな。まあmixiでギリギリ最期となった言葉が残されているかもしれないけれど、私には見る事ができないんで、私が見ることができる最期の言葉はこれということになるわけです。

それにしても、昨夜、サイトをググった時に検索結果の二番目に出てきたページにアクセスした。そしたらそのページからその人が書いた別の記事のタイトルに目が行く。それが栗本さんへの追悼の記事だった。それまで私は彼女の死を知っても泣かなかった。半ば覚悟していたことでもあるんで、すぐには泣けないということはわかっていたし、たぶん時が経ってから、彼女との思い出を反芻しながら泣くんじゃないかと思っていたから。ところが、誰かの書いた追悼を読んで、そこに書かれていた罵倒に多大なる愛情を感じてしまい、そして、泣いた。彼女のことを馬鹿と言い、その馬鹿を熱く語る奴はいないのかという文章を目にした時、私は泣いた。こんなことを言うこの人は誰だ?名前に見覚えがある。そしたら、最後にこんなことが書かれていた。『うなぎ氏が管理する下記を激奨。泣ける。』リンク先には、私のgooの記事にかつてトラックバックを送ってきた青年のブログが。推測でしかないけれど、このサイトの管理人はあの青年なのかなと。それともあの青年の家族なのか。それはわからない。というか、私にはそんなことはどうでもいい。書いた人ではなく、私は書かれたものが自分にとってどうであるかが一番重要だから。もちろん、それは相手がよく知らない人であれば、なんだけど。相手をよく知っていて、もっとその人を知りたいという場合のみ、その人の興味の対象まで興味を持つことが多いんだから。とはいえ、だからといって必ず興味を持つというものでもないけれど。けれど、私は「泣ける」とリンクされたものではなく、この罵倒記事で泣けた。「愛してはいなかったような気もする」と書かれてあるけれど、そうじゃないと思うよ。本当に愛してなかったとしたら、そんな罵倒記事だって書きはしないと思うから。

熱く語る、か。今の私にはそんな気力はない。自分の体調の悪さでいっぱいいっぱい。これが、酷い悪さなら全く何もする気力も出てこないんだろうけれど、半端に体調悪いわけだから、何かしなくてはという気持ちも多少出てくる。けれど時間ばかり過ぎていく。今はこれが精一杯。ブログは更新する気力出ないし。できればその罵倒記事をリンクしてノイズブログで熱く語りたいものだけど、そこまでの気力がやっぱり出てこない。エッセイブログで書かなくてはとは思っているけれど、今日書けるだろうか。サイトのほうはzeroさまのサイトのことで語りたいとは思うけれど、もちろん、栗本さんのことにも多少は触れて書かなくちゃとは思っている。というか、触れなくちゃ書けない内容にもなるかなと思っているし。とにかく、とっとと日記を更新してサイトの更新もしなくては。

その前に銀行に自動車税の支払いに行ってこなくては!






2009年05月28日(木)14:55
5月25日はzeroさま(やっぱどうしても「さま」つけちゃうのよね)のサイト「TEAR DROP.」が11周年でしたね。直接関わりを持たなくなってしまってからだいぶ経つと思うので、もう私のことは忘れられていると思ってました。今はまだログの引越しが終わっていないFC2のブログで二度ほど取り上げて語ったこと(これこれ)がちょっと前にあるのですが、それからまた月日が経ってしまってました。その頃からまた彼女の書く物を読んでいこうと思っていたのですが、少し心の余裕がなくなってしまっていたため、その頃取り上げた日記のログももうあちらには残っていないようです。そして、これから新しく書いていかれる日記もずっと残すことはないらしいので、足しげく通っては読み、書かれていることで何か書きたいと思ったら即刻書いていかなくてはならんよなあと思ったものでした、今書いているように。(笑)

他の方の書いたものは引用してそのページをリンクするんですが、zeroさまのは消えていくものですから、引用はさせてもらってそれで自分語りをさせてもらいリンクははらないつもりです。ということで、いきなり自分語りを始めたいと思います。(笑)

『twitterに、古くからのお知り合いの方がいらして、その方が私に声かけてくださってたのに、twitterの機能を私が理解できてなくて、その事実に気付いてなかったことに、昨日やっと気付いてショックでした。「説明書読まない人」という属性がこんなところで災いするとは。無礼者ですみません。天下一のたわけ者だ俺は!!
しかしtwitter、その醍醐味がいまいち掴めてない私なんですが、こんな感じで古いお知り合いに再会できたりするのって、美味いなあ。それが新しいフィールドの魅力か。小学校のときの同級生とmixiで再会みたいなやつか。出会い&再会の場か、twitter系は。
あの、「フォローする」ってやつの空気がよくわかってない私は、フォローしてもらっても「誰だろう、この人は」と思った時点で止まってて放置みたいになってんのだけど、あれってフォローされたら、基本こっちもフォローし返すものなの? たぶん違うと思うんだけども。そこまで厳密じゃなくてテキトーでいいんだというトコロまでは空気読めたんだけども。そこから先の微妙な文化って「面倒くせえや、まあいいか」で放置してて理解してないのよね。大丈夫かそれで。……まあええか。
一応、コミュニケーションツールなんだという理解はしてるので、zero-zeroさんに話しかけてやろうかなという方は、遠慮無く話しかけてやってください。そして遠慮会釈の無い返事をされて、先方がムッとしたりしなければいいが……。馴れ馴れしいんだよな、私は基本。』

いきなりの長文引用。これだから、そういうことがお嫌いな方から「誠意のない取り上げ方だ」と非難されるのでしょうけれど、たぶん、zeroさまなら許してくださるでしょう…、と、またしても勝手にそう思い込む天慈さん。まあ、ほんとにいやだったら「こら、てめぇ、何勝手に転載してやがる。即刻削除しやがれ」とお叱りを受けると思われますので、そういった声があった場合は、速やかに削除いたしますので、ご安心ください。ただし、私のローカルには保存させてもらって、時が経ってからも取り出しては「へへーん、わたしゃzeroさまの書く物好きだしねー」とニヤニヤして舐めるように読み返すことでしょう。(爆)

ととと、またしても本題に入る前の前振りが長いし。これだから日記書くのに一日仕事になってしまう過去だったのだ、私は。そうよね、昔はサイトで日記書いてた時は、日記を書くのがメインで、開いた時間にサイトかまったり、人さまの日記読んだり、その人さまの日記を肴にその人のBBSに長文ダベリ書いたり、小説書いたり、と、そんな一日を送っていたわけです。今の私は何やってんだかって感じです。人さまに読んで楽しんでいただけるようなものはほとんど書かず、公開できないようなものばかり書き散らしている毎日。でも、それもちょっとづつおさまって、少しづつではあるんですが、やっとのことで小説を書いていく気力も出てきたところです。まだ完全とは言えないんですが(実は最近ちょっと体調が悪くて)、何とかストップしているものだけは完成させたいと思いました。それもまあ、zeroさまのちょっと前に書かれていた日記でそう思ったんです。その話はちょっと置いといて。引用した記述に触れたいと思います。

古くからのお知り合いって…これたぶん私のことなんだろうなあと思う。昨日はネットに繋げるところまではできて、一応はついったーにもログインはしたのですけれど、みんなの呟きに突っ込み入れられる精神状態ではなかったので、zeroさまが私に@で話しかけてくれていたのも確認はしたのですが、星をつけただけで回れ右をしてしまいました。その精神状態というのはまたあとで語ることになりますが、きっと私の嗜好を知っている方々には察しがついていると思います。昨日は二人の…いや三人か…メールが届いたものですから。そのメールにはレスが返せませんでした。ケータイのレスではなく、日記のレスという形にしたいと思っていたからです。まあ、それについては後ほど。

zeroさまが私の話しかけに即レスしてくださらなかったことについては気分を害しているわけじゃないです。フォローについても、私は相手の読むものを読みたくて、そして興味あることがあれば突っ込み入れたくてそれでやっているだけですから、@が返ってこなくてもそれはアリな世界がついったーだと思っているので。それに、たぶんzeroさまは@のことも気づいてないんだろうなあと思ってましたから。フォローについても、確かにフォローしてもらえたら嬉しいんですけど、私の場合は積極的についったーで何か呟くということをしていないのでフォローはしなくてもいいんです。私の呟きというか一言リアル日記はわっさーでやってるので、そちらを覗いていただければ幸いかと思います。

さて、いよいよ本題です。(って、今までのは本題じゃなかったのか!)

新しいzeroさまの脳ログの前のログに書かれていたことなんですけれど、zeroさまは「カルテット」という小説を書かれていて、どうやら私のガーディアンシリーズと同じようにまだ完結はしていないようなんですが、その小説の読者さんがまだお若いのに病気で亡くなられたそうなんですね。で、またしても引用なんですが。

『そういうの考えると、長編小説をゆっくり書くというのは、因果なもんです。読んでる途中で亡くなる人がいるというのは、ありうることなんだけど、どんなショボい作品でも、途中で未完だと、なんとなく心残りになっちゃいますよね。それはまずいよねえ』

このログが書かれたのは5月25日です。zeroさまはこの日のログに『人間て、ほんまに、死ぬと何処へいくんでしょうかね?』と書かれていますが、奇しくも次の日に梓さんは亡くなられてしまいました。(やっと出てきた本題)ほんとにそうです、zeroさまの小説の読者さんも、そして「グイン・サーガ」を未完のままにして亡くなられた梓さんも、何処に行ってしまったのかなあと思います。
前に私は、死んでもできればこのネットの中で生き続けたいと書いたことがあります。幽霊になってでも、私はネット世界を彷徨っていたいのだ、みんなの書いたものを読み続けたいのだ、そして、それについてネットに「私はこう思うよ」と書き続けたいのだ、と。死ぬことは本当に怖いです。それはなぜか。昔はこの自分というものが失われてしまうからだと書いたのだけど、今は実はそうは思ってません。やっぱり痛いとか苦しいのがいやだなあと、怖いなあと思うんですよ。それはそんなに長いものじゃないかもしれない。少し苦しんだ後の死かもしれないけれど、梓さんの病気のように長く続く苦しみかもしれないわけで。その痛みや苦しみも治るという保証さえあれば我慢もできるかもしれないけれど、私は梓さんのような本当に治るのだろうかと思ってしまうような闘病生活は心が持たないかもしれない。昨日はまだ梓さんの死を知らない朝に特ダネでは川村かおりさんの闘病生活が紹介されてました。梓さんもこんな辛い生活を送っているのだなあと、涙が出てきてしかたなかった。でも、その時にはもうすでに梓さんは亡くなっていたのです。私が川村かおりさんで梓さんのことを思い出しているときにはもうすでに…。

「グイン・サーガ」完結しませんでしたね。いろいろな謎がそのままになってしまった。これは「デュマレスト・サーガ」でもそうだった。他にも未完のままで終わってしまったものもある。この間、ネットで見れるアニメで「イタズラなKISS」をやることになったと知り、そのアニメでは未完の部分も描かれているということなんですが、それを誰が考えたのかは知らないけれど、ちょっと納得はできなかったな。イタKISSは多田さんの頭の中にストーリーはあったわけで、それを誰かが聞いていて、それを忠実に描いたというのならまだ許せるんですけれど。もしグインも誰かがこんなふうにするつもりだったと本人に聞いて、その通りに執筆してくれるのなら読みたいとは思うけれど、「こうだったんじゃないか」という推測で書くというのなら何だかなーと思ってしまいます。やっぱり完結はさせてほしかった。それは読者のワガママだとはわかっていても。

そう思うとですね、私もやっぱり何が何でも自分のストップしている小説を書き上げてしまわないといけないなと思ったんですよ。私はグインのように多くの読者が待ってるわけじゃないんですけれど、それでも一人くらいは続きを待っててくれる人がいるんじゃないかと思うんですよね。ファーはいったいどうするつもりだとか。ファーのことも、こうなってくれればいいなあとかそんな話を当時読んでくれた人が言っていたことも覚えているんですよね。ドドスが好きだと言ってた人もいたし、そのドドスだってこれからどうなるのかわからないような展開になってるしね。あと、マリーの秘密もまだ書いていないわけだし。これは私の頭の中にしかない秘密だからなあ。だから、私が書かないと永久にマリーの秘密は誰にもわからないわけだし。だから、書かないといけないと、そんなふうに思ったんです。梓さんのことが起きて、より一層強く。

梓さん、今何処にいるのですか?まだご自分の愛する家族の傍にいるのでしょうね。それから何処に行くのでしょう?ナリスさまのもとに行かれるのかな。そこにはあなたの生み出したキャラたちが待っているのかもしれませんね。空の上から、ナリスさまとカラム水でも飲みながら、下界の私たちを見下ろしていてください。もう痛いことも辛いこともないですよ、たぶん。と言うしかない、誰にもわからない死後の世界なのだから。本当にお疲れ様でした。

そして、zeroさま、梓さんの追悼を書くのにダシに使ったみたいになってしまって申し訳ないです。zeroさまのログで語るつもりではあったんですが、即日に書く元気がなかったので仕事のお休みの日に書くことにしてたんですよ。そしたら梓さんの訃報が入ったので、微妙に内容がシンクロしていたということもあり、一緒に書かせてもらいました。お互い、死ぬまでにお互いの看板小説を完結させましょう。私も頑張ります。だから、zeroさまも「カルテット」を読者のためにも、そして何よりご自分のためにも完結させましょうね!







画像提供サイト/Pearl Box

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