2009年05月08日(金)07:03
曇り。

昨日は昼前に旦那は出勤していき、昼過ぎて1時頃だったかな、ケータイが鳴ったんで出たら旦那で、一本で帰れそうだと言う。

昨日も一昨日もずっとPC作業していて、なんか何もできなかった。しかも、ゆっくりした覚えもなく、夜も結局早く寝れなかったな。今朝は起きるの大変だったし。旦那は昨夜は8時過ぎに戻る。それまで私はご飯食べずに待ってた。息子には食べさせたけど。聞けば、昨日は出勤してみたら他の人とシフトが重なってしまってたらしく、だったら帰っていいかと言ったら、それでも一本は走って帰れと言われたそうで。三連休になったのにーと旦那言ってた。私はそれはいいから、とにかく土曜日のお休みは潰れないでほしいよなーと言った。旦那「大丈夫でしょ」なんて言ってたけど、信用できないからなー。(笑)






昨日は久しぶりにガクトさんのブログが更新された。もうすぐでアリーナツアーが始まるって書かれてあったのだけど、今回のアリーナツアーって宿泊パックもあるんだってね。それもDearsじゃなくても申し込めるとか。ああいったのでライヴ行くのもいいかもしれないとは思ったけど、私にとっては今回は時期が悪い。今月末は自動車税払うし、6月は広島で義理の姪っ子の結婚式があるし。今回は私も出席するから、ご祝儀だけじゃなく、服も購入しなくちゃならないしなあ。またお金出てくのかー。あいたた。

で、ガクトさんのブログに死のことが書かれてあった。写真の整理してたらお父さんのメールに添付されていた写真があったと書かれていて、内容のことが書かれてあったのだけど。その写真がどんなものかちょっと気になるなあと思いつつ、ガクトさんが書いていることにちょっと思うところあり。というか、またしてもシンクロというか…。

『死ぬということは
人の中に生きるということ
自分の中に
逝った人々を生かし続けるということだ


今から考えると、これって本当にすごいメッセージだなって思う。
いろんなことを届けてくれようとしてくれてたんだって・・・
そう感じるんだ。

魂のバトンリレーっていうのかな・・・

いずれは僕も誰かにバトンを渡して
またそのバトンを受け取った人もまた
次の人に渡す準備をする。

でも、この行為が続く限り、魂は生き続けるような気がするんだ。

死は人の記憶の中にのみ存在し、
生は人の心にずっと受け継がれていく

ってことなのかな・・・』

昨日はプラントで買い物していて、まず書店で新しく発刊された新装版のグイン・サーガを手に取り、あとがきを立ち読みしたんだけどね。そこに、梓さんが、今はちゃんと死ねない人が多いってことが書かれてあった。それでまあ、その時も梓さんのその言葉でいろいろ頭に浮かんだんだけど、最近自殺した清水由貴子さんのこととか、その死んでしまった原因のこととか…そしたら、そういうことがあった当日にガクトさんが日記で似たような話題を書いていた。やっぱりシンクロしちゃうよなあって思ってしまった。

清水さんの死は介護疲れと報道されていたわけで、たぶん、それは本当のことなんだろう。実際に実母の介護をされていたわけだし、どんなにちゃんと母を介護しなくてはならないと思っても、介護は想像以上に大変なことだ。どうしても疲れてしまって逃げ出してしまいたいと思ってしまうことは誰にも責めることはできない。でも、実際にはやっぱり介護を逃げて親を見捨てて、たとえば清水さんは妹さんがいるから、その妹さんに介護を押し付けて逃げてしまうなんてことはできないし、他人に押し付けたままお金だけ出して自分の道を歩くってことはなかなかできることじゃない。まあ、世の中にはそうやって自分勝手に生きている人だっているわけで、自分もそんな身勝手な人間だと見られたくないと、少しでも良心のある人なら思うことだろうしね。なんかあれだよね、そんなふうに身勝手な人たちばかりがしぶとく長生きして、心優しい介護者たちが自殺なんかで若くして死んでいくっていうのも、なんか身勝手な人間ばかりが増えていきそうで。でも、身勝手じゃない人は生に対して貪欲とは言えないわけだから、しかたないことなのかもしれない。生きていくのに世界が優しいのもまた正しい世界とは言えないとも思うし。矛盾だよなあ。けど、あまりにも過ぎるっていうのはよくないことだと思うんで、適度に身勝手で、適度に心優しくっていうのが一番いいのかもしれないな。

でまあ、介護問題は長寿国にとっては避けては通れない話題。それは結局は人間が長生きをしたいから出てくることだからなあ。元気で長生きっていうのが一番ではあるんだけど、どうしてもすべての長寿者が元気でいられるわけもなく、そういった元気じゃない長寿者が被介護者となってしまうわけだ。で、介護するのはどうしても若い者になってしまう。そして、その若い者が介護に疲れて心中してしまったり自殺してしまったり…そう思うと、自分だけは子供がそんなことになってほしくないと思って、寝たきりになったら死にたいと思う人だって出てくるだろう。けれど、自分で死ぬのは追い詰められない限りはできないことでもある。とすれば、誰かに殺してもらいたい。できればなるべく痛くなく苦しくないように。そうだとしたら、やっぱ安楽死ができるようにしてもらいたいよなあ。そうすれば、介護疲れで死んでいく若者を救うことにもなるし、寝たきりで身体も精神的にも苦痛を感じている老人にとっても救いになると思うんだけどなあって思うんだけど、駄目ですかねえ、そういうのって。

ちゃんと死ぬっていうことから、安楽死も認める社会になってほしいと説に願っていることをつらつらと書いてみました。だってさ、そうであれば、私も死ぬことを怖がらずに、もう少し楽に人生を生きられるような気がするんだけど。ガクトさんはどう思うかねえ。安楽死についてどう思ってるか、聞いてみたい気がする。どうですか、ガクトさん?








画像提供サイト/Pearl Box

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