2009年04月30日(木)07:49
晴れ。

昨日は5時半。仕事終わってプラントで買い物してたら、仕事場のIさんに出会う。帰る時にロッカーで自分も今日は買い物に行こうって言ってたから。

4月も今日で終わりだ。今日の休み「も」(笑)ダラダラ過ごすぞー。とりあえず、録画してたサスペンス見るべ。


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平原綾香が「ジュピター」以降、今度は「新世界」という新曲を歌うとめざましで取り上げられていた。二楽章に歌詞をつけたらしいけど、二楽章には既存の歌詞があるわけだから、他の楽章に歌詞つけてほしかったなあ。


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「虐待事件ふたつに思うこと - Chikirinの日記」

二つの虐待事件を考察しているのだけど、一人の子供の親である私から言わせれば、どっちもどっちで比べられるもんじゃないと思うんだけどなあ。

重度の火傷の場合はそれが痕となっていじめとかの対象になったりすることもあり、それはそれで不幸なことではある。だけど、もしかしたら整形できれいに治せるかもしれないし、この事件の後はもう虐待されることもないかもしれない。けれど、殺されてしまった虐待児はそれでおしまいだ。将来幸せになれるかもしれないという可能性も断たれたわけだ。どっちも不幸ではあるし、どちらが不幸なのかどうかは私たちには決められるもんじゃない。

ちなみに、私も親として欠陥があるとわかっているんで一度は産んだけれどもう二度と産むつもりはないと決心した。けれど、私は産む前から自分には親になる資格はないとわかっていた。たぶん虐待だってしてしまうかもしれないとも思った。でもね、そんな私だったけれど、それでも虐待しなかったよ。してしまってもおかしくない私だったのにしなかった。その代わり、その鬱憤は創作にぶつけたけどね。これ(子育て)を我慢すれば小説が書けるんだって、楽しいことだけを考えて子育てしたんだ。だから、虐待してしまう母親たちはストレスをうまく吐き出せないんじゃないかと思うよ。もちろん、私の場合はそうだったってだけで、それだけではないとは思うけれど。

まあ、私も後者の火傷させた親はストレスとかそういった問題じゃないってことはわかる。その親は大人な身体を持ったガキなんだと思うよ。ガキがガキを産んでんだから、学校で苛めやってる感覚で家庭内でも苛めをやったってだけのことなんだろう。でも、少子化が叫ばれているこのご時世、人類というよりも日本人を絶やしたくないと言うのなら、産めよ増やせよじゃないといけないんじゃないかなあ。昔は子減らしやってたみたいだけど。考えてみたら、その子減らしも虐待とも言えるか。あれかな、虐待って現代の子減らしなのかもしれないね。つーことは、私ら日本人は滅びろってことなのかねえ。ねえ「Jesus」?(苦笑)


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画像提供サイト/Pearl Box

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