2009年04月11日(土)09:05 |
晴れ。 昨日は暑かった。仕事は5時半。 昨夜は浅見光彦シリーズをやってたんで、それを見て寝た。 ……って、それくらいしかないよなあ。(爆) |
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この記述を読んで私も思い出した先生がいる。ガクトさんのことを書いている時にも紹介した自作小説「死を生きる」でも書いた先生のことだ。その先生はまりねこさんの先生とはまったく違う雰囲気の人だったけれど、私にとっては衝撃的な死だったんで、小説に書いてしまうくらいに私に影響を与えた先生だったとも言える。まあ、死に方が突然だったからっていうのもあるんで、もし先生が私が卒業するまで生きていたとしたら、その存在を引き摺るってことはなかったんだろうけれど。でも、それでも変わった先生ではあったんで、記憶には残り続けただろうなあと思う。なんというか、まりねこさんの先生のような秀逸な雰囲気は持ってなかった、ただの酒飲みな古典の先生っていうだけで、話ではその酒のせいで亡くなったという話も当時聞いた。およそ尊敬されるような感じじゃなかったけれど、おもしろい先生だったということはよく覚えている。 それにしても、さすが物書きなまりねこさん、この記事の後半部分はよく書けてるなあって思った。人に自分語りをさせてしまうほどに魅力のある文章。こういった描写を嫌う人もいるとなんか聞いたことがあるけれど、やっぱり描写は必要だと思うよ。そして、やっぱり読むだけで何も創作しようとしない人にはわからないこともあるよなあって思った。書いてみれば、わかる人にはわかる、描写がどんなに大切かってことが。人の心を動かすのは描写力が必要だってことを。描写のない小説には力はない。人を癒すことはできるかもしれないけれど、人を動かす力は描写力のある文章のほうが強いんじゃないかなあって。私だけじゃないと思う。まりねこさんのこの記事を何度も読み返したいと思う人はね。できればいつでも読み返せるように残しておきたいと思うくらいに。ずっとそこにあればいいんだけど、私の書いたものじゃないから、相手が削除してしまったりしたら読めなくなってしまうことを考えると、どうしても転載してしまったり、今なら魚拓取ったりして手元に残したいと思ってしまう。これが本であれば、自分の手元に残して何度も読み返すことができるんだけどねえ。けれど、そんなふうにプロ作家じゃなくても、ウェブ上には本になって売られていてもおかしくない文章が確実にあることは確かだ。そういった文章に敬意を表したいと思うと同時に、やっぱり半永久的に消されることなく残ってて欲しいとどうしても思ってしまう。削除しないで。そこに存在しててって。
どうすればこんな素晴らしい文章が書けるんだろうな。私に書けているだろうか。こんなに素敵な文章が。人の心を動かす文章が。言われたことがないとは言わない。けれど、私はいつも誰かの書くもので打ちのめされるんだ。私にはこんな文章が書けているんだろうかって。書けていないようにどうしても思ってしまって、誰かが褒めてくれてもそれを信じることができない。どうすれば私は自分で満足できるものが書けるようになるんだろうか。 |
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