2009年04月06日(月)07:44
晴れ。

昨日もいい天気だったけど、今日もいい天気みたいだなあ。こんな天気の日に花見したいよねえ。まあしょうがないか。息子は明日から学校だしね。

昨日の仕事は5時。でも今日は遅くなるなあ。いつものように私だけ帰るってわけにはいかない。旦那は今日は昼前出勤だから早く帰らなくていいからねえ。あーあ。(笑)


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はあ…この後けっこうな量書いたんだけど全部消えちゃった。とある人のついったーの発言で語ってから、やすとろさんの記事で自分語りしようとしていた矢先のことだった。さすがにもう気力もないし、時間もないってことで、その発言で出てきた文章は忘れることにする。ということで、気を取り直してやすとろさんの記事で自分語りいきますか。

「人間関係にも壊れた鍋に合う「修繕した蓋」を作ろう ひとりごと-ウェブリブログ」

やすとろさんが偏屈な人だとはその書かれている文章やネットでのコミュニケーションを見ているとどうも合致しない。私から見れば、私なんかよりずっと柔軟でいい人そうに見えるしね。誰であるかをあげると問題があるんで名前はあげないけれど、私がネットで今までに知り合った人の中には、書かれているもので「この人は難しそうな人だな」とか「偏屈だ」とか、そんなふうに感じられる人もいたわけだけど、そういった人と比べると、ほんとやすとろさんは偏屈だとは思えない。もっとも、これは書かれている文章だけで感じるものだから、その偏屈だとか難しい人だとか感じた人たちも、本当は現実ではそんなふうには感じられないのかもしれないし、やすとろさんも現実でのやすとろさんは本当に偏屈だと感じてしまうかもしれないんで、あくまでネットで見せるやすとろさんは「こんな感じ」というだけに過ぎないわけなんだけど。

『 人間関係では、やはり合う合わないというものがある。勿論仕事をしていれば、合う合わないなどといった理由で人間関係を壊す事は出来ない(実際は多少の軋轢があるだろうが)。鍋に合わない蓋を無理矢理合わせてみても、うまく閉じる事は出来ず、蓋の意味を為さない。人間関係も同じで、まるで気が合わないのに無理矢理合わせようとしても所詮無理がある。』

昔の勤め先にも苦手で合わないと思っていた先輩がいた。時たまペアを組んで仕事をすることがあったんだけど、本当に苦手で一緒に仕事はしたくなかったな。まだ、私のことを見下していた他の先輩のほうが一緒に仕事していてそんな苦には感じなかったものだった、むかついてはいたけど。(爆)
それはどうしてかということは今の私にはわかる。苦手だった先輩は無視というか、私をそこにいる存在だと感じさせない態度を取って、むかつくけれどそんなに一緒に仕事するのは苦じゃなかった先輩は、私をことあるごとに構ってくれたからということ。つまり、私は無視されるのが一番辛いのだってことなんだよなあ、と。
けれど、結局はその苦手だと思っていた先輩との間はその何年か後にあることがきっかけで親しい間柄になっていった。私があそこを辞する時には、彼女が「寂しくなるね…」と言い、私も彼女と別れることが一番辛いと思うまでの仲になっていった。そんなふうに変わっていた関係のきっかけは、やはり私のほうの態度というか行動だったわけだ。相手に合わせた、それにつきる。

そして、現在の仕事場でもそれは言える。

私が仕事を始めた当初は、その人間関係で本当に辞めてしまいたいと思っていたわけで。その人一人の存在が私をとても苦しめていたんだよね。本当に苦手なタイプの人で、一緒に仕事はしたくないという人だった。ただ、私が別の部署に変わったことで、直接一緒に仕事をしなくなったというそのおかげもあってか、だんだんと私への向こうの対応が変わっていき、私も少し頑なな態度が変わっていったこともあり、今ではかなり良好な関係になったと思っている。それでもやっぱり私には苦手な相手なんで、一緒の仕事はしたくないなあと思っている。だから、今の部署での仕事はそのまま続けたいなあと思うんだけどね。これも保証はない。変化の激しい仕事場なんで。このたび、うちの部署から他に変えさせられた人もいたし。私もいつそうならないとも限らないから。

『 あくまでも、欠点を持っている者同士、互いを認め合い、より仲良くなっていく努力が必要だと考えたいので、日々そういう調和を目指している。そういう努力によって、一緒になった者同士の調和がとれる事の方が、余程素晴らしい事だと思うのだがどうだろうか? 』

欠点のない人間なんていない。私も自分が欠点だらけだとわかっているし、他の人たちすべて何らかの欠点があるということもわかっている。だから、できれば自分には欠点なんかないなんて本当に思ってる人がいたとしたら、少し自分のことも振り返ってみて欲しいとも思う。そうすれば、相手の欠点も少しは許せるんじゃないかなあって。私はそんなふうに相手の欠点もだいぶ許せるようになった。これも旦那のおかげかなって思っている。旦那のことは子供の頃から知っているけれど、前にも書いた通り、私は旦那が大嫌いだったし、向こうも私を好きじゃなかったみたいだ。けれど、そんな二人が大人になって、相手の立場とかこんな欠点があるけれど、それでもこんないいところがあるってことを知るようになり、それで今では互いがなくてはならない存在となっている。私は彼を尊敬しているし、彼は私の存在で頑張れるという。それは互いが互いの欠点を熟知していて、この欠点があったとしても、それでも一緒にいたい、その人のために頑張りたいと思えるようなったから。それはつまり、私も彼も相手に合わせて変わっていったからに他ならない。今の私たちを見て、子供の頃を知っている同級生は変わったなあと思うだろうし、実際にそういう声も聞いたしね。

私はそんな相手はそんなに多くいる必要はないと思っている。旦那とあと数人くらいで、もう今では新たにとは思っていない。もう若くないから。だから、あとはもう、ガクトさんが言っていたように、余生を静かに暮らしたいという気持ち。(笑)あ、これね、ガクトさんが自分は30までしか生きられないと思っていたから、30過ぎて今は余生だと思っていると言っていたんだよね。

……結局、やっぱりガクトさん話でくくるのか。私らしいと言えば私らしいか。鷹の目さんあたりには苦笑されてそう。(爆)


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画像提供サイト/Pearl Box

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