2009年03月27日(金)08:11
曇り。

昨日はそういうことで2時くらいから自転車でツタヤに向かいました。向かい風で大変でした。しかも、ツタヤについたらガクトさん新曲どころか、前には置いてあったセルコーナーがなくて、レンタルばかり。どこ探しても新曲が置いてない。えーここになかったらどこに買いに行けばいいのー。パティオ近くのあのCD屋さんまで行かなくちゃいけないのー。これからプラントに買い物に行くのに、それとは逆方向。ほとんど境港一周自転車で走ることになるじゃんかー。またガクトさんに体力使わされるのかーなんてドンヨリしていたんですけど、しかたない、諦めて帰るか、金曜土曜が旦那が連休だから、土曜日にでも米子に連れてってもらうかと思い、ツタヤの隣のアゴラに入る。なんか古本でもないかなあと思って。そしたら、中古CDのコーナーにセルコーナーが。無事にガクトさん新曲(タイトルが英語で長くて覚えられなかった)DVD付きをゲットいたしました。はー買うまでの前振りが長い長い。(爆)

まあ、えらい思いまでして買ったかいがありました。これ、いい曲ですね。もっとも、私の好みのメロディというわけではないんですけど、さわやかとかキレイなメロディラインが嫌いというわけではないんです。基本がダークな感じなのが好きっていうだけであって、さわやかメロディラインでもものすごく好きな曲調は私にもあります。で、この歌はサビの部分が妙に頭に残るメロディで、頭の中ぐるぐる昨日から回ってますね。それにしても、ゆうさんちのBBSでも誰かが書いてましたが、DVDで共演している仮面ライダー役の人、誰かに似てるよなあと思ったら、確かにゆうさんに似てると私も思いました。雑誌でこの撮影の時のことを読みましたが、ガクトさん、仮面ライダーに出るならトビっきりの悪役で出たいということを言ってました。それいいなあ。なんつーか、ドラマだとかアニメでの声優とか映画とか、そういうのの役でガクトさんは善人役よりものすごい悪人の役が似合ってるなあと思うし、そういうの見てみたいなあって思う。ただ、ガクトさんは嫌がるかもしれないけれど、ストーカーみたいな役だって見てみたいなあって。前にも書いたけど、栗本さんが書いた小説のあの犯人役なんかやってるの見てみたいってすごく思ったし。常人じゃない見た目はハンサム、中身は壊れているっていうそんな役とか。


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それにしても、ガクトさんの日記が更新されて、それに書かれていることを読んで私もチラッと日記で書いたことではあるんだけど、サプライズって、あのことなんだろうなと思いつつ、私もガクトさんちのコメント欄に私の考えを書き込みしてきました。まあ、反映されるかどうか神のみぞ知るですけど。投稿しても反映されない時がたまにあるんで、それがスタッフ側の意向で反映されないのかシステム上のことで反映されないのかはわからないんですけど、今回のも反映されないような予感がしています。だから、ここにそのコメントを転載してレッツラ自分語り。(笑)

私は「Gackt Blog≫ ブログアーカイブ ≫ おはよう、今日は島根。」を読んでこう書きました。

『サプライズ、私は賛成も反対もしません。
サプライズとしてではなく自分の気持ちから正直に出た「ありがとう」という言葉でしたから。
それが結果的に相手(この場合だとガクトさんやスタッフの方々)にとってのサプライズとなったというだけに過ぎないんじゃないでしょうか。

私は正直、ガクトさんの想いをキチンと受け取っているのかどうか自信はありません。ただの妄想女ですから。
ただ、もうガクトさんの見せてくれる世界観や考えや音楽や、そしてガクトさん自身の存在で日々を強く生きれるということだけですから。それがガクトさんの想いなのかどうかは想像するだけです。
他人の想いなんて、やはりその人にしかわからないことであり、どんなに心通わせた相手でもその人の想いはその人にしかわからないものなんだっていうのが私の考えですから。

けれど、私にとって一番大事なことは、自分がいかにちゃんと日々をちゃんと生きれるか、夫や息子の為に生きていけるのか、それだけが一番の最優先事項なので、そのためには他人から要らぬ攻撃をされたくないという思いから、昔よりはだいぶ慎重に発言するようになったと思っています。
他の人もそうであれば、他人を攻撃なんてしているヒマなんてないと思うんですよね。ほんと、もっと大好きな人に誇れる自分になるべきですよ。おこがましいことではあるんですが、私はだいぶ誇れる自分になったと思っていますよ、息子に、旦那に、そして、ガクトさんに。←これも思い込みだったりしたら「ガチョーン」ですけれど。(爆)

でまあ、ひとつ正直な気持ちを言えば、対立とか意見のぶつかりあいは悪いことじゃないとは思ってます。ただ、私はDearsではないので、その対立の仕方がどの程度なのかは想像もできないんで、何とも言えません。でも、それを目の当たりにしたガクトさんにとっては、確かに「ひどい」というものでしかなかったんでしょう。対立や意見のぶつかりあいも、もっと意味のあるやり方でやってほしいよなあと思いますね。とまあ、私も昔は作家栗本氏関連で似たような意見のぶつかり合いをした身として感想をのぺてみました。その時に身に染みたこと、私には決して意味のあるぶつかり合いはできないと悟ったので、そういった対立には立たないようにしようと今は思っています。私もまた醜い争いをしてしまうと、自身で痛いほどわかっていますので。

それにしても、ガクトさん、うちの旦那さんと同じ事言いますねえ。(笑)
私も、昔、他人とトラブった時に旦那に言われましたもん。「くだらない」って。
ほんと、考え方が二人とも似てます。旦那にはイヤな顔されますけれど。
そういうことで、また米子来てください!
米子にきてくれたらまた絶対行きますから!
その時は今回とは違って緊張せずに心から楽しみにして会場に向かえると思います!
何度も言いますけれど、本当に米子に来てくださって、ありがとうございました!!!』

まず「Dears村」の存在の意味。言いたいことが言いやすい場所なんじゃないかなとは思う。まあ私は入れないコンテンツなんで想像するだけなんだけど、なかなか公の場所では言えないことが言えるという利点があるように部外者にとっては思える。ただ、ガクトさんも言ってるように言いたいことを言ってはいけないということではなく、その伝え方・見せ方、つまりは提示のしかたが問題なんだろうなと。私としてはどんなに丁寧な言葉を紡いだとしても、そこに見え隠れする相手の醜さっていうものはありうるというのを信じているんで、言葉を乱暴にしないとかそういうことではなく、思いやりを、出来うる限り発している言葉にわかりやすく提示するということが言葉を発する者のやるべきことなんだろうなあって。なんでもかんでもバカ正直に提示することは思いやりとは言えない。なんつーか、サプライズについてあーだこーだと議論すること自体がバカのやることなんだってこと、どうしてみんな気づかないんだろうか。日本人って「察する」という素晴らしい文化があるじゃないですか。今の若い子たち、一部の年寄り連中、みんなその「察する」ということを忘れてしまってる。どうして察する事ができないんだ?察して黙る時は黙る。それが思いやりだってこと、それがわからないようじゃ、発言する権利はないとまで私は言いたいよ。ガクトさんに、ああいった内容の日記を書かせること自体がどういうことか、誰も何もわかっちゃいない。いや、わかってる人にはわかるんだろうけれど。

サプライズ。やっぱり創作畑の人間にしか理解の出来ないことなんだろうか。ねえ、ガクトさん、そうは思いませんか。いや、でもね、創作畑に縁のない人だって、サプライズの何たるかを理解している人だっているんだろうなあとは思う。ただ、私は思うんですよ、サプライズをする人すべてはきっと創作のできる人なんだなって。そもそも、創作の才能のある人にしかサプライズをしようという気持ちにさえならないと思うんですよ。そうは思いませんか。サプライズをしようとする、誰かを喜ばせたいと思う、そういう人は、きっと創作サイドの人間なんです。やろうと思えばその人はきっと何かを創り出せる。それが音楽なのか詩なのか小説なのか絵なのかはわからないけれど。でも、私はそう思ってます。サプライザーはすべてそうなんだって。だから、それを非難する者には創作者の気持ちなど絶対に理解はできない。私はそういうことを最近になってやっとわかったような気がします。どうしたって作り手と受け取り手は理解し合うことはないんだって。けれど、理解できなくても、一緒にいようと思えばいられる。そして、そこには当然思いやりが互いに存在するから一緒にいられるわけです。

私はガクトさんが米子にきてくれたことが私にとってのサプライズだった。確かに、私だけのためにというわけじゃない。米子や境港には多くのガクトさんファンがいるとは正直思えないけれど、それでもまったくいないわけじゃない。現に米子にはかつての私の同僚が住んでるけれど、その彼女はいつのまにかガクトさんのファンになってたし。まあ、コアなファンではないんだろうけれど。けれど、私は私(を含めたファン)のために米子にきてくれたんだって信じた。それはサプライズだ。そして、私はそのサプライズに応えて小説を書いてガクトさんに贈った。それは私なりのサプライズ。ただ、それはガクトさんの目指すサプライズとはちょっと違う。ガクトさんのサプライズは提供して相手の喜ぶ顔が見れて初めてサプライズは成功したと取る人だから、私の場合は、私のサプライズがガクトさんを喜ばせているところを見ることはできないということで、ただの自己満足なもの、とてもサプライズとも言えないものになってしまったわけで。でも、それはどうしようもない。だって、あの場所で渡すわけにはいかなかったからねえ。だから、あの場所でできることといったら、言葉を叫ぶしかなかったわけで。だから、「ありがとう」だけでなく、「ただいまー」も「ガクトさーん」も声の限り叫んだ。きっと届いてると思って。そしたら、日記でガクトさんが「ありがとう」と応えてくれた。私のサプライズは成功したわけだ。まあ厳密にいうとサプライズとしてやったことではないんだけどね。この間の日記にも書いたわけだけど。サプライズっていうのは他人に頼まれてするもんじゃないから。それは自分からやりたいと思ってやるもんだから。そして、Dearsの女の子が頼んで回ったこと、その行為自体は否定されることじゃないよ。だって、その子だって、それが自分がやりたいと思ったサプライズでやったことなんだから。それを否定する人はサプライズする気持ちなんか永久に理解できないつまんない人間なんだろうしね。そんな人、誰かに大事な人だなんて思ってもらえないかわいそーな人なんだろうからさ。←これが余計な一言。だから私は嫌われる。(爆)

私も常に大切な人たちにサプライズし続けている。それは公にはできないことだよ。説明してしまったらそれはサプライズじゃなくなってしまうから。だから、本当はサプライズについて議論すべきじゃないんだ。ガクトさんにあんな日記を書かせるべきじゃないんだ。それがわかんないようじゃDears失格だと思うよ。まだ私のほうがそんなわからんちんなDearsよりマシなファンじゃないかって、そういう暴言まで吐くよ。もっと、考えてほしいよ、自分たちの立場ってもんを。よーく考えてみてほしい。何が一番大事かってことを。そして、DearsにしかできないことをDears一丸となってガクトさんに提供してほしいよ。あなた方にしかできないことを。そういうことをもっと話し合っていくべきじゃないの?賛成・反対の議論じゃなくてね。今のままじゃ誰もDearsに入りたいとはおもわないと思うよ。だから…

もっとみんなで幸せになってよ。私にDearsに入りたい!って思わせるくらいに!!!


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画像提供サイト/Pearl Box

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