2009年03月02日(月)06:46
曇り、雨も降るかな。

ガクトさんが夢に出てきた。

昨日は体調がすこぶる悪く、出勤前にお昼食べている時に吐き気のせいでなかなか食欲が出ず、すごく不安だったんだけど、前日に仕事で張り切りすぎたせいもあるかと思い、昨日の仕事はなるべく張り切らずに淡々とやった。そのおかげか、仕事途中に軽く空腹感を感じたりするまでにもなった。喉の異物感とか背中の痛みとかが顕著だったんで、やっぱ肝臓かなあ。そんなわけで、昨夜はフジテレビ50周年を見終わったらとっとと寝たんだけど。今朝は目覚ましが鳴る2分前にきっちり目が覚めて、体調もそれほど悪くはない。けれど、不安感はまだあって、油断はできない。

昨日は仕事は5時。旦那に電話したんだけど二度寝してたらしく、プラントについてしばらくしても来ない。それなのに私は電話もせずに6時前までボーッとしてしまってた。まあ、体調が悪くて何もしたくない何も考えたくないって感じだったからねえ。やっと電話して6時過ぎて旦那がやってきて、ちょっと揉めた。(笑)「俺も悪かったけど、おまえもとっとと電話してこいよ」とか「何か適当に買っとけばよかったのに」とか。はあ…昨日はほんとついてなかったな…。でもまあ、ガクトさんの夢見たし。とはいえ、幸せいっぱいな夢というわけじゃなかったんだけどね。

でまあ夢なんだけど。息子とガクトさんのライヴに行くっていう内容。最初、なんかイベントの会場に寄って、それからライヴ会場に行くことになってんだけど、それが新幹線で行く場所で、新幹線に乗る駅までずっとガクトさんが後ろから私たち親子を見守ってついてきてくれるっていう夢。迷いながらやっと駅についたんだけど、結局、どれに乗っていいかわからず途方に暮れていたところ目が覚めたんだけどね。つーか、どれに乗ればいいのかどうしてもガクトさんには聞けなかったなあ。なんかさ、誰にも頼らずに自分でたどり着くことをガクトさんが望んでるような気がしたんだよね。バカだよなあ、私って。


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みちアキさんのこの記事を実は私の中の一人は多少の共感めいたものを抱いていたんですが、私の中の別の一人はそのみちアキさんの記事にブクマをつけた人の以下のコメントに慰められました。

『nomonsterinme 人間 個人的には身近な者への精神的な負担も4に含まれると思う。不可避なら、せめて自死と悟られるのはNGだと思う。何かできたのでは、と思わせる余地は残したくない。よって自分なら首吊りは選択外になってしまうな。』

私が舅に死なれた時は「何かできたのでは」というよりは、私がワガママ好き放題にネットに夢中になっていたせいで死なれてしまったのだと、私の行いを何かが諌めようとしてそんなことになってしまったのだろうかと思ったものでした。もっと突っ込んで言えば、舅が、子供をほっぽってネットをしている私に目に物言わせるために…なんてことまで思い込んでしまったわけで。ジジさまがそんな人じゃないってわかってても、それでもね、自分が清廉潔白な生活を送っていたわけじゃないので、やはりどうしても自分のせいではなかったのかと思ってしまうんでしょうがないんですが。たぶん、自殺じゃなくてもそんなふうに思ってしまう私なんだろうなとは思います。

みちアキさんの記事について言えば、そうやって自殺することの難しさを羅列され、確かに迷惑かけずに死ぬことは難しそうだなあとは思った。けれど、たぶん、多くの行方不明者の中には自殺してしまった人だっているんでしょうね。たとえば樹海で死んでいった人とかも、どこかから家出してきた人もいたでしょうし。どんな死に方だって迷惑じゃない死に方なんてないんですよ。というか、生きていることだってまったく迷惑かけない生き方もないわけで、だったら死ぬ事だってまったく迷惑かけずにってことはありえないでしょう。ただ、本当に切羽詰った人っていうのは、生きるにしろ死ぬにしろ迷惑なんてことは考えないんじゃないでしょうか。だから生きれる、そして死ねる。迷惑を考えているようじゃ生きるも死ぬもどちらもできない。というのが私の死生観です。だから…やめとこう、これ以上言うと煽ってるようで、今の私には負を呼び込みそう。今朝は2005年の2月頃の日記を読み返してたんですけど、今の体調不調とまったく同じなことが書かれてました。やはり、今頃の私はいつもこんな調子なんだなあって。だから、あまり考え過ぎずに、今の不調が過ぎ去るのをじっと待ってるしかないんだなあ。楽しいことをなるべく考えながら。

つーかさ、死を考えるだなんて、ゼイタクだよ。私なんて必死に「死にたくない!」って思おうとしてるのにさ。健康体のくせして死ぬこと考えるなんて。そんなの死にそうになったら考えろってば!
私がどんなに昨日は「ガクトさん助けて」と呪文のように繰り返して必死に闘っていたか。それなのに元気なくせして死ぬことばかり考えてる人がいることに腹が立ってしょうがない。そりゃ、そんなこと知らんがなって死にたい人は思うんだろうけれど、こっちもワガママで「生きたい!」って思ってるわけだ。そっちもワガママで「逝きたい」って思ってるんだろうけど、こっちだって必死だからね!誰が死んでたまるかよ。金がなくなったって元気でさえいればどんな仕事だってできんだよ。病気になってしまったら、確かに死ぬこともアリかなとは思うけれど、それでも、病気になって明日をも知れぬ人だって「逝きたい」じゃなく「生きたい!」って思って必死に闘う人だっているんだ。そういう人の気持ちも考えろ!

……とまあ、別にみちアキさんが、そういった生きたい人の気持ちを考えてないとは言いません。(苦笑)ただ、ね、何とかして私は生きる気力を持ちたいんですよ。何としても。私もともすれば死にたいと思ってしまう自分を身内に飼っているから。だから、それを押さえ込むのに必死なんです。まあ、そんなわけで、みちアキさんのようなそういった文章に憤りを感じて、それを生きる力に変えようとしたわけです。まあ早い話が利用したというわけです。自分のために。私の中の一人は、彼の考えだってひとつの生き方であり、そういう生き方(というか死に方ですかね)も尊重されてしかるべきだとは思ってますから。ただ、やはりそんな若さでは死んで欲しくない。元気であればもっと年取ってから死ぬことを考えてもいいじゃないって、どうしても思ってしまうんですよね。病気であればまた別ですけれど。若い時の病気は本当に見ていて痛々しいですから。それは確かに「死なせてやりたい」とは思います。けれど、元気な人は元気に生きて欲しい。それは私の勝手な願いではあるんですが。でも、私は元気に生きている人を見ることで、生きる気力をもらったりしているんで、やっぱり若者には元気で生きててほしい。「俺は生きてやるぞーーーーーー!」って。

だから、私はガクトさんが好きなんです。(笑)

とはいえ、ガクトさんも毎日「今日が最期かも」と思いつつ生きているわけですけどね。つまり、ガクトさんも死を意識してるわけです。いつ死ぬかわからないからって。ただ、彼は一生懸命生きている。その姿を見ることで私は生きる力をもらってるわけで。そういった誰かを生かす生き方を、死ぬことがベストという見せ方じゃなく、生きることがベストと思わせる生き方を若い人にはしてほしいです。まあ、ベストっていってもね、生きることはやっぱ辛いんですけどね。ただ、その辛さは楽しいことをより一層楽しく思えるスパイスだと思えるようになれればいいんだろうな。つまりガクトさんが日頃から言ってることと同じなんだけど。

ガクトさん、昨日は頑張れたよ。今日も頑張るね。大好きガクトさん。


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画像提供サイト/Pearl Box

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